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野心作『人間の条件』

コラム『あまのじゃく』1959/2/1 発行
文化新聞  No. 3156


好演の山村総、仲代…私なりの映画評 

    主幹 吉 田 金  八

 人間の条件という映画が飯能松竹にかかるからぜひ見てもらいたいと、招待券を館主の小沢さんから貰った。
 私は映画が嫌いではないのだが、最近は滅多に見ることはない。
 たまに、仕入れに東京に出た時、どうせ急いで帰ってもその日の新聞に間に合う訳でなし、遅く帰っても同じなので、そんな時など、丸の内、池袋などで二つくらい小屋を覗いててたっぷり見てくることもある。
 時には三つも小屋を変えてフラフラになって出てくることもある位で、決して嫌いな方ではない。
 少年時代には都内に福宝館という小屋が第一、第二、第三などと言う風にチエン式にあった当時、浅草の三館共通などというのも覚えている位の古い映画少年でもあった。
 しかし中年になってから、私の見る映画は西部劇とか戦争物、特に船とか飛行機などの出てくるスピードと機械力の場面のものが好きになったのは、やはり感傷や考えながら見ることが面倒臭い年寄りの通例である『キング』『富士』( そんな大衆雑誌が今でもあるかどうか知らないが)趣味に落ちたからであろう。しかもそんな程度の映画を見る機会も、最近のように1年に三度か四度、それこそよんどころのない用のない限り上京しない無精になってからは、それこそ殆ど映画にお目にかかる機会はなくなってしまった。
 せっかく小沢さんが二度も人をよこして招待券をくれるからには、その義理でもこの『人間の条件』を見て、お世辞の映画評でも書かない事には申し訳ないので、初日の午後、女房を連れて見に行った。
 どうせなら夜の方が帰りに平素擂り粉木すりこぎの様に働いて新聞社に尽くしている女房の慰安になる訳だが(帰りに支那そばの一杯も奢れば女房は凄く嬉しがるものである)夜は女房の方が抜けられぬ役割を持っているので、昼の部にした訳である。
 幸い替わったばかりの昼のことで、小屋は椅子が丁度いっぱい、立ち見席が若干という興行主には有難くないが、見る側には手頃の入りであった。
 3時頃入って、第1回の終わりの方から見始めて、第2回が始まったら椅子席が空いて夫婦並んで席が得られた。
 それにしても『飯能松竹』も私の青年時代に生まれた小屋で、随分年数が経っているのを、何度か間に合わせの改造をして現在に至った訳で、当時とすればこの程度の収容人員に間に合ったかも知れぬが、この頃のように方々の映画館を見慣れた目には、あまりも小さくザット数えて百か百五十の座席、鼻を押さえられるような客席とスクリーンとの距離、昔畳敷きの頃からしか馴染んでいず、その後すっかりイタチの道なのだが、二階が取り払われ階下は椅子席となり、周囲が通路と喫煙室、トイレという風に保健所の命ずるように改造されたとはいえ、何か裏ぶれた田舎の活動小屋を思わせるものがある。
 スキーで草津に行って暇潰しに活動小屋を覗けば(映画館と呼ぶには相応しくない)ガランとした客席の腰掛けを薪ストーブの周りに寄せ合って、数名の客が薪をくべながら身体をよじって映画を見ているという風景に出会うが、飯能松竹の場合、それほどでないまでもワイドスクリーンが重荷のように感じられ、喫煙室に練炭ストーブが並べられ、便所にも花などあしらってある館主の心遣いなどを見れば見るほどジーンと瞼が痛むようないじらしさが感じられる小屋である。この小屋を見て、飯能の文化の水準を云々されるようなことがあっては全くやりきれない、という小屋である。
 せっかくのご招待が、小屋の品定めのようなことに始まり、小沢さんには申し訳ないが、これが少年時代になじんだ春日館への郷愁といったものであろうとご勘弁を頂くことにする。
 映画評らしきものは改めて別に担当記者に当たらせることにして、西部劇、戦争ものファンの大衆的観衆の一人として、人間の条件の感想を一、二申し上げれば、
 炭鉱の所長のエへラ、エヘラしたのを除いて、他の俳優は皆ハマり役だったと思う。主演の仲代も青年の純情さと正義心の盛り上がりも適切である。同僚の沖島をやった山村が何と言っても上出来で、この大作を締めていた。
 憲兵軍曹は憎まれ役だが、憲兵にこんな形があったかどうか。私も中国に行ったが、憲兵には用がなく、ただ戦争中の憲兵警察の恐ろしさを物語で伝え聞くのみだが、憲兵ならずとも、多兵科の古参軍曹にもこんな型の男がよくいたとことは見かけた。
 よく芝居らしいというが、映画らしいとばかり言えない当時の一部の軍人気質をよく表していて良いと思う。
 陳少年の石浜も良い。演出も映画らしい誇張と極端さがあるかも知れぬが、あれ丈の大人数の配役を良くこなして、群衆場面の捕虜列車が到着して、貨車の扉が開けられた場面、梶が憲兵に切られようとする時、数百名の捕虜が「人殺し、人殺し」と叫び実砲を向けられて恐れて下火になりかけた抗議がまたゾロ梶を救えと燃え上がっていく場面などは全く素晴らしいと思った。
 よく絵空事というが、決して架空なことではない。梶のヒューマニズムを敵国人である王や高が解しないのも、憲兵や人夫頭が残酷に捕虜たちを扱うことも、単に日本人の側にのみあった訳ではなしに、戦う以上に憎しみはお互いにこんな愚かしいことを繰り返した訳であり、あり得る事であり、あったであろう事である。
 戦争に参加し、大陸を知っている者にとっては、生々しい実感を呼ぶであろうし、それらを知らぬ人達も戦争を嫌う気持ちにも戦争を嫌う気持ちを植え付ける映画であることは良い。
 ただし、あまり惨たらしい場面が多いので、幼少年や、ご婦人に受けるかどうか疑問である。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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