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相模湖の遊覧船転覆事故

コラム『あまのじゃく』1954/10/11 発行 
文化新聞  No. 1305


不断の準備で … 過剰な心配は不要

    主幹 吉 田 金 八

 8日午後相模湖の遊覧船が転覆して、麻布中学の生徒が22名も湖底に飲まれた事故は、ちょうど修学旅行期を前にして、全国の子弟を持つ親たちの声を呑ませるほどに驚愕させた。
 先の洞爺丸の事故も、死者の数が千数百名というタイタニック号以上の事故だけに、大きな感慨を与えたが、洞爺丸の時は15号台風の風速50m以上という様な何十年にも珍しい悪天候という条件があり、退避、発船等の処置に船長の責任が云々されており、同じ海域で貨物船数隻が海に飲まれている事実を見ても、世人は半ば天災としてこの不幸を認めざるを得ない諦めの思いがあるが、今度の相模湖事故は、どう見ても19名の定員に80名ものを生徒を乗せた無謀さを見る時に、明らかな人災として遊覧船の持ち主、船長、引率の教師等の責任が深く追求され、今後の戒めとしなければならない事を痛感する。
 現に遭難後、船着場に繋がれた船の全容を見れば、こんな小さな船にどうして80名近い人間が乗れたかと疑われるほどのもので、ツメ込みさえすれば良いという無知な船主のあくどい商業主義、なんでも命ぜられた事をすれば良いという無知な船長、いささかの不安も感じないで生徒を乗り込ませた教師の非常識には呆れ返らざるを得ない。
 この悲惨事は当分の間児童や父兄の頭にこびりついて、修学旅行などの計画に対して学校当局に必要以上の手数をかける様な事になるのではないかと言う事である。
 現に記者の次男が近く学校で佐渡旅行をすることになっているが、『そんな危ないとこはやめたが良い』と75歳の祖母が反対説を唱え出したりした。
 ところが、世の中には相模湖の遊覧船以上に危ないことが多い。
 自動車に乗っても、汽車、電車、船でも、考えれば考えるほど生命の危険に晒されている訳で、どうも一番安全なことは畑で芋でも掘っている事になってしまう。
 現にその畑の芋堀でさえ、高麗川のように近代大工場の建設地近くでは、絶え間なく通る砂利トラックのため、うっかり道路も歩けないと言うことで、危険を恐れていたのでは世の中は生きて行けない言ういう事になる。
 それ故、まず危険に処する修練を常時子供に行わせておくことである。今度の相模湖の場合、秋の穏やかな日和であり、現場は岸部200mの所だと言うのだから、10分も水面に体を保つことが出来たならば、一度沈んだ船に取りすがる事も出来たろうし、そうすれば救援の船が間に合ったかも知れない。岸辺に泳ぎ着くことが、衣服をまとっていて可能かどうか分からないが、いずれにもせよ水の心得のある者が、ない者に勝って生存率が高かったものと思われる。
 どうにも避けられぬ場合の事故が、どんなに注意しても起きる事があることを思えば、運命と諦められる場合もあり得る訳で、せめてそうした場合に何とかなったものを、悔いのない用意を身に着けていいる事はぜひとも必要である。
 今度の事故など、当然起こり得る事故であり、狸の泥舟の如き必然の結果であったことを思うとき、その難を招いた船主、船長、教師に対して愛児を失った父兄の恨みと世人の非難が集中されるのも已むを得ない事である。
 この事故に恐れて、学生・生徒の見聞を広める修学旅行が必要以上に警戒され、敬遠されることが心配である。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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