見出し画像

東一口 (京都難読地名)に行った話

「東一口」、ひがしいもあらい。京都屈指の難読地名として、関西圏の方には一定の知名度を誇っていると思います。
 ただ、この東一口がどこにあるのか、どういう場所なのかまで詳しくご存知の方はそう多くはないのではないでしょうか。

 と偉そうに書きましたが、私も今はなき「巨椋池」があったぐらいしか知らず、関西圏にずっといながら行ったこともありませんでした。

 今回、この久御山町東一口にある、登録有形文化財「山田家住宅」の公開時間に合わせて、東一口に初めて行ってきました。
「山田家は本山田とよばれ、淀川・巨椋池の漁業者の代表として御牧郷13カ村をまとめる大庄屋」だったそうで、入口には水害に備えた石垣の上に立派な長屋門が往時をしのばせていました。
 建物は一部しか残っていないものの、鶴沢派の落款のある屏風や、鯉の欄間などに当時の隆盛を感じることができました。

  その昔は、淀川水系の遊水地として、下流の大阪の水害被害を小さくするような機能もあったようですが、豊臣時代の淀川の付け替えなどにより、巨椋池に流入する水量が減っていった結果、水質の悪化を招き、地域の意向により、1933年から1941年かけて干拓された巨椋池。
 
 今は、中書島や、向島といった地名に名残を残していますが、水運中心の近世まではとても大きな役割を担っていたこの地域の名残を残す、山田家住宅でした。

特にオチもないまま終わる…。

 

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?