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壊れていく身体

仕事に行けなくなるつつある時、そして完成に仕事に行けなくなってから、どんどん私の身体や心が荒んでいった。

まず数値上の問題。

2年前元気に出勤もしある程度、仕事に対して楽しさや行きやすさが出ていた頃は今よりも約15kgほど痩せていた。

学生時代からの友人からとも遊びに行けたり、会社の同期とも頻繁に連絡を取り合い、飲みに行ったり、笑ったり、時には泣いたりと…充実感に満ちていた。

あれから、1年、2年と時が過ぎて、健康診断の結果が身体症状にも現れていた。まず体重は15kg増えたこと。職場の人間関係や小言や嫌がらせやパワハラなどから、仕事にいけなくなりました。

これが障害者雇用なのか?…とかなり疑問に思っていた。私は大学を卒業してからずっとクローズで働いていて、限界を感じたので今の職場に障害を開示する形や合理的配慮事項の記入や、配慮をして欲しいことを上司に伝えたり、相談員に相談もした。

しかし、改善されない職場でした。

あぁ、障害者雇用で入ったのに意味なかったな…と。心ながらに思いました。

少なくとも、メンタル的な疾患を抱えているならば、支援機関との連携や密な面談をするべきだと思いましたし、何を言っても行動しても変わらない組織にうんざりしています。

休職に入り更に障害者にとって仕事場という居場所がいかに重要かと言うことも心の底からわかりましたし、ある程度、相談以外にも気軽に話せる同僚などがいれば今のような状況にはならなかったと思います。

その中で健康診断の結果を踏まえて少しでも自分が心安らげる状況や環境を変えていく必要性を感じています。

都会だからキツイとか色々と思っていましたがそうではない、むしろ中途半端な地域だから人が気になったりしてもいます。

障害者雇用の◯務員になってから楽しさ1割、悔しさ9割でした。周りの人からは別物扱いされたり、むしろ今までの設計エンジニア時代よりも悔しかったです。

なんだかんだ、エンジニア時代もそうですけど、薬を飲みながら仕事に行っている人を沢山見てきました。私は認知機能が少し落ちるような薬を長年服薬しており、中々難しい問題や根拠法令、そして格段に難しいことを考える思考力が落ちています。

高校生の時に精神疾患を発祥して20年。もう、自分のことを大切に生きる選択をしなければいけない、いやこれからは過剰なストレスをかけずに良い支援者や仲間と働ける環境を模索しなければいけないと思っています。

このまま、◯務員を続けていても、今の土地にいても休まらない自分がいます。詳細については中々noteには書けないのですが、転居や障害者に優しい地域に引っ越して、就労移行支援やクローズでもある程度、人との繋がりを大切にしている職場に恵まれる必要性があると感じています。

やはり精神疾患で仕事を休むと孤独になりやすいし、生活リズムも崩れてきます。
しかし、これからは少しでも本当の笑顔を作りたいという気持ちです。

無理をしない生き方を今後選択するかどうかも構想段階ですが、一歩ずつ人生に彩りをつけていきたいと思います。

気持ちの整理のためにnoteを書いてみました。私の文章を見て、こんな人もいるんだなとか、こんな気持ちの人が私の他にもいたんだなって思える人が1人でもいたら嬉しいと思います。


デルタ

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