27.何かの間違いだよね?
坂口君と電話で話したのは金曜日の夜のこと。
私は、土日は休みだった。
日曜日の朝。
9時頃、家の電話がなった。
夫も日曜は休みだったので、まだ、ふたりともベッドの中にいた。
寝ぼけまなこのまま、子機をつかんだ。
『あこちゃん、おはよう。お休みのところ、ごめんね。』
主任からだった。
『実は、坂口君、亡くなってん。で、明日、出社した後、みんなで葬儀に参加するから、喪服を持ってくるか、着てくるかしてくれる?』
すごく自然な、まるで業務連絡の一環のように話された。
え…?
ほとんど声にならない声で聞き返した。
主任は、一呼吸おいてから、話し出した。
『昨日の土曜日、坂口君も仕事は休みやってん。だから、お母さんは、朝、坂口君が起きて来なくても、何も思わなかったらしい。
でも、お昼すぎても起きてこないから、さすがに部屋に見に行ったら、ベッドの上で亡くなってたって。状況から見て心臓麻痺?発作?らしい。死亡推定時刻は、金曜日の夜22時から24時頃だろうって。
お母さん、すごく悔やんではった。
なんでもっと早く気がついてたらって。
そうだよね。悔やんでも悔やんでも悔やみきれないよね。』
ただただ、主任の言葉が、言葉だけが私の中を素通りしていく感じがした。
主任も、ただただ単調にすらすらと通夜のことや、明日の予定を話してくれた。
『じゃ、明日。よろしくお願いします。』
すごく、事務的に、他人行儀に電話を切られた。
その様子を見てた夫が声をかけてきた。
『あこ? 大丈夫?
おまえ、顔、真っ白やけど…』
「え?あぁ、会社の人が亡くなったって。明日、お葬式やから、その段取りの電話。」
『それ大変やん。誰が亡くなったん?』
私はそれには答えず、ベッドから立ち上がり、キッチンに向かった。
亡くなった?
ってどういうこと?
金曜の夜10時って…私、話したよ!坂口君と。
そう、まちがいなく、坂口君と話した。
だから、おかしい。
絶対に、何かの間違いにちがいない。
慌てることなく動じることなく、ただただ、てきぱきと、家事をこなしていった。
月曜日。
いつもと同じ時間に、いつもと同じように支度して、会社へ向かった。一応、とりあえず、喪服は持った。
どうしても、主任の不自然なまでの事務的な話し方が耳から離れない。
事務所に入ると、みんなが喪服を着ていた。
……。
仕方なく私も着替えて、その中に混じった。
すごく立派なお寺。
大きく書かれた坂口君の名前。
すごくたくさんの人達。
ひそひそ話。すすり泣く声。響き渡る読経。
目や耳から入ってくる状況と、自分の感情が一致しない。
何をしてるんだろう…
何が起こっているのだろう…
お焼香の列へ促され、前へ前へ。
前の人達のやり方を目に焼き付ける。
そして私の番。
そこには坂口君がいた。
とても綺麗な顔で目を閉じていた。
とても色白になっていたけど、間違いなく、それは坂口君だった。
こんなに穏やかな寝顔は見たことがない。
瞬く間に、視界がぼやけ、次から次へ涙が溢れ、すべてのものが、ぼやけて見えなくなってしまった。
とにかく、泣いた。本当に泣いた。
涙も鼻水も止まることはなかった。
それでも、その後のお焼香する人達、お父様の挨拶、身内の方のお別れ、出棺まですべて全部見た。
坂口君が乗った真っ黒のベンツ。
見えなくなった後も、ずっとその方向を見ていた。
喪服だけでは、まだ少し肌寒かった。
風が吹くと、花びらが待って、とても綺麗だった。
満開の桜が…とても綺麗だった。
私はそれまで、まだ身内などの近しい人を亡くしたことがなく、こんなに泣いたお葬式は初めてだった。尋常じゃない泣き方に会社の人はひいてたけど、そんなこと関係なかった。
帰宅後、夫にどうやったか聞かれた。
「若い人のお葬式はホンマにつらい。」
とだけ答えた。
『え?いくつやったん?』
「25歳」
と答えた瞬間、また涙がこみ上げてきたので、あわてて背中を向け、何かを探してるふりをした。
会社にいても、別に今までと何も変わらず、仕事は滞りなく進んでいく。
ただ、扉が開く度に顔をあげてしまう。
『おつかれさまです!』と坂口君が入ってくるような気がして。
でも、ふと顔の向きを変えると、机の上に置かれた花瓶が視界に入り、慌てて目をそらしていた。
帰宅しても、別に今までと変わらず、家のこと、夫のこと、を淡々とこなしていた。
唯一、お風呂に入っている時だけ。しかも、シャワーをしてる時だけ、思いっきり泣いた。
頭からガンガンお湯を浴びながら、泣いた。
声を出して泣いた。
毎晩毎日泣いた。
ひたすら泣いた。
泣いても泣いても、悲しい気持ちがなくならなかった。
何をしても何を見ても何を食べても、悲しかった。
それでも、毎日は続く。
半年ほどすぎた。
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