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【創作大賞2024】残夢/ミステリー小説

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リアルな日常と闇を描く警察ミステリー。
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#ミステリー小説部門

残夢【第一章】①手錠

女は髪を振り乱して俺から逃れようともがく。手首は白くて折れそうに細い。 俺はそのコートから伸びでた手首を素早く掴んで捻りあげ、女がそれ以上抵抗できないようにブロック塀に体を押し付ける。 「イヤッ……」 小さく息を漏らした女のおくれ毛は汗ばんだ頬に張り付き、思うように身動きの取れなくなった上半身を必死に動かし振り向こうと再び藻掻く。 抵抗しても無駄だ。 俺は必要最小限の力を込め女にそれを分からせる。 苦痛に歪めた顔の彷徨っていた視線が背後の俺を認めた。開いてい

残夢【第一章】②供述

◀◀最初から  鳩巻署に連絡を入れた時点で刑事課は色めきだっていた。 住宅街で盗難車の聞き込みをしていた俺と後輩の山下が、偶然出くわした傷害事件。師走の住宅街で蓄電池の営業に回っていた男性が見知らぬ女に小さな刃物で切り付けられた。 その悲鳴が聞こえて二人が駆け付け被疑者はすぐに確保。救急要請して運ばれた被害者男性は客の家を出たばかりでコートをまだ着ておらずスーツの背中が大きく引き裂かれ腕には複数の防御創が見られたが命に別状はなさそうだった。 傷害事件自体が珍しいという

残夢【第一章】③お七

◀◀最初から  ◀前話 俺は、警務課のドア脇に貼られた交通安全ポスターの『ふりむくな』というロゴに目をとられて足をとめた。県内の中学生部門最優秀作品らしい。 自分の運転する自動車の後部座席でグズる我が子が気になっても走行中は決して振り向いてはいけない。事故を起こせば幸せだった日々は二度と戻ってこないというメッセージが込められた水彩画は酷くグロテスクな色彩で描かれていて一目で心を掴まれる。 落とし物を受け取りに来る一般市民も必ず目にするはずだが過疎化が進んでいる鳩巻署

残夢【第一章】④少年

◀◀最初から ◀前話 あと何年何か月。 夢の中の少年が指折り数えて立ち尽くしている。少年は焦っている。 あと何年何か月。 川が勢いよく流れるように少年の足元を日々が過ぎ去ってゆく。 あと何年何か月。 成長した青年が数える指から目を離すと大きな瞳が現れる。 「逢いたくて。あなたに」 化粧気のない黒い瞳だけが青年に対峙している。青年を飲み込むように。 「あなたは私のヒーロー」 スーツを着るまでに成長した男はあと何か月か数えるのをやめて訊ねる。 なぜだ。どこで会った。何の話だ。

残夢【第一章】⑤雑談

◀◀最初から ◀前話 結局近堂は多くを語らないまま送検され十日間の拘留が決定した。簡易的な精神鑑定でも何も問題は見つからなかった。 その後も変わらず黙秘を続けるため「空気を入れ替えてこい」と係長に言われ取調べ室に向かった山下遼太朗は、わずか十五分程度で戻ってきた。 「雑談でいいとは言ったが随分早すぎやしないか、山ちゃん」 係長が少し眼鏡をずらし上目遣いで山下を軽く睨んでいる。 「めっちゃ温めてきましたよ。きっと近堂ひろ子は今から全部話します」 「山ちゃん、その自信はどこ

残夢【第一章】⑥子供

◀◀最初から ◀前話 山下の運転する車が駅に到着する前に被疑者は前崎東署員によって無事確保されたという無線を受信した。 「無駄足でしたね」 山下は悔しそうに言い、駅手前にあるコンビニエンスストアの駐車場にいったん車を滑り込ませた。 「無駄足なんてひとつもない。緊急配備にならなくて良かったじゃないか。戻るぞ」 戻ると言っているのに山下はエンジンを止め申し訳なさそうに俺を見た。 「ケンさん、巡回……いや巡回っていうか。ちょ、サシこんで。あぁ本当にすいません!」 山下は下腹

残夢【第一章】⑦亀裂

◀◀最初から ◀前話 あれは酷く暑い夏だった。ひとり娘の穂乃果が幼稚園の頃。 当時配属されていた署管内の市営住宅の一室から、異臭がする、ポストの覗き穴から人が倒れているように見えるとの通報があり、たまたま近くにいた自分もその部屋に向かうよう指示された。 大家に部屋を開けさせて先に入ったはずの交番勤務の若い警察官は玄関先で立ち尽くし、大家は植え込みで吐瀉しているところだった。 その胃酸の饐えた匂いなど気にならないほど開け放たれたドアの中から異臭が漂っていた。 キッ

残夢【第一章】⑧教室

◀◀最初から ◀前話 山下の運転する車は静かに署に戻った。 刑事課に入る手前で嶌村に「ちょっといいですか」と声をかけられ、コートを置いて二人で喫煙所に向かう。 嶌村は俺より年は下だが警部補の昇進試験に今年合格した。来春にはどこかの係長にでもなるかもしれない。冷静で的確な分析と指示ができる嶌村はリーダーにも向いているうえに家族サービスも欠かさないという。 到底、俺には真似できない。 娘が産まれた頃は俺も地方公務員ながら可能なところまでは出世したいと考えたが、忙

残夢【第一章】⑨連鎖

◀◀最初から ◀前話 刑事課に戻ると数人が藤岡の席の周りに集まり同じパソコン画面を眺めていた。 「何かあったのか」 「嶌さん、あっ、堂森さんも見てください。これ」 藤岡はライブニュースの動画を最初から再生しなおす。 物々しい複数の赤色灯に照らされた画面、駅構内で男性二人が女に刃物で切り付けられる事件があったようだ。 「どこ?」 「大阪の市営地下鉄です」 動画では担架に運ばれる人物の足元が映され「男性二人とも意識あり」とのテロップ。そしてベージュのトレンチコートを着た女ら

残夢【第一章】⑩不変

◀◀最初から ◀前話 俺は前崎文化センターという単語で先程の嶌村の話を思い出していた。 近堂が講師をしていた教室に娘が参加したことがあるかどうか。面倒だが早く妻に確認してしまおう。 近所の書道教室以外で教わったことがないと分かれば時期も場所も確認する必要はない。元妻にラインで要件を送った。 そもそも娘は人見知りが激しかった。知らない場所を好まない穂乃果が単発の習い事で集中できるとも思えない。離婚後は知らないが少なくとも別れるまでは、そうだった。 五分も待たないうちに元

残夢【第一章】⑪渇望

◀◀最初から ◀前話 「鴨南蛮、あ、いや待って。鴨せいろ。いや待ってやっぱり……」 向かいに座った曽根がメニューを睨みながら何度も言い直す隙に俺が注文を伝える。 「俺はざる、ごぼう天つけて」 「あいよ」 鳩巻署のはす向かいにある長寿庵の看板おばあちゃんは俺の注文だけ聞いて厨房に戻る。 「ちょっと、待ってよ。じゃあ、鴨せい……うー、鴨南蛮!」 曽根が叫ぶように言うと厨房から、あいよの声がかろうじて届く。 「相変わらずメニュー選びだけは優柔不断だな」 「うふふ。堂森ちゃ

残夢【第一章】⑫父親

◀◀最初から ◀前話 鳩巻署に戻ると警務課の中から稲元夏未が飛び出してきた。 「堂森さん! お帰りなさい。さっき近堂ひろ子に面会したいって人が来たの。父親だって」 「父親?」 父親は近堂が子供の頃に協議離婚している。現在の所在は分かっていない。 「それでどうした」 「お昼の時間であることを最初に言ったらキレちゃって。まともな話もできないまま出て行っちゃったわ」 「うちの課の誰かに伝えたか」 「伝えた。嶌村さんが後を追って外に出たけど、もう見当たらなかったって」 「ど

残夢【第一章】⑬過去

◀◀最初から ◀前話 近堂の取り調べが終わるころ、昼間来たのと同じ男が受付にきていると夏未からの内線電話が入り、小池さんと山下が警務課留置係の窓口に走ったという。俺も後を追った。 留置係の若い担当女性を差し置き、受付窓口で夏未と会話している男の背後に二人がそっと近づくと、夏未がそれに気づき急に声を高くした。 「あ、ごめんなさぁい。近堂さんはまだ誰とも面会できないんだったぁ」 「は? ざけんなよ、ねーちゃん。これ書きゃいいっていうからよぉ」 どうやら夏未は、小池さんが内

残夢【第二章】①過去(夏)

◀◀最初から ◀前話 夏休みがもう少しで終わる。そんな風が吹いている。 冬は寒くて夏は暑い。お父さんはそれが当たり前だっていうけど、三年前にこの村に越してきた時は、まだそれに慣れなくて辛かった。 今年は季節の変わり目の感触もなんとなく分かる。ツクツクボウシも聞き飽きてきた今日このごろ、日が昇ってもサラっとした風が肌にあたって気持ちいい。 「ケン、宿題終わった?」 「うん。あとこれから五日分の日記書くだけだよ。大輔は?」 大輔は坊主頭を撫でながらへへと笑う。やってないの