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残夢【第一章】⑪渇望

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「鴨南蛮、あ、いや待って。鴨せいろ。いや待ってやっぱり……」

向かいに座った曽根がメニューを睨みながら何度も言い直す隙に俺が注文を伝える。
「俺はざる、ごぼう天つけて」
「あいよ」

鳩巻署のはす向かいにある長寿庵の看板おばあちゃんは俺の注文だけ聞いて厨房に戻る。

「ちょっと、待ってよ。じゃあ、鴨せい……うー、鴨南蛮!」
曽根が叫ぶように言うと厨房から、あいよの声がかろうじて届く。

「相変わらずメニュー選びだけは優柔不断だな」
「うふふ。堂森ちゃんと久々のランチで舞い上がっちゃった」

嬉しそうにおしぼりで手を拭きながら、曽根はメガネをあげて「それで? 香穂里ちゃんに怒られた?」と笑顔で聞いてきた。
俺はため息をつく。

「曽根は署内の通信電波をジャックでもしてるのか?」
「まさか、まさか。おそれ多い」
曽根はグフフと笑う。
「じゃあ、なんで分かるんだよ、気持ち悪い」
「あらやだ。当たっちゃった」
「いや、怒られたわけではない」

だが曽根はいつも勘が鋭すぎる。ランチに誘ったわけでもない。ただ警務課の前を通ってこの店の好きな席についたら突然向かいに座ってきて、コレだ。

警察官サツカンより預言者とか占い師のほうが合っていると思うよ」
「それ、いいね。あー、そろそろ少年課に戻りたいな。少年少女の悩みを聞いてあげたい。穂乃果ちゃん辛かったねぇ、でもあなたの未来は明るいわよって教えてあげるの」

曽根はおしぼりにむかって泣きそうな顔で話しかける。勝手にしろ。

「警察学校時代にさ、お互い彼女連れて四人で遊園地行った事あったじゃん。ふふ。青かったわね。懐かしいなぁ。香穂里ちゃんは仕事もできて、気遣いもできて。堂森ちゃんには勿体ない女性だってずっと思ってたわ。ま、私の彼女のほうが美しかったけどね」

「おまちどう」
ごぼう天の皿が添えられたざる蕎麦が目の前に置かれ、曽根はお先にどうぞと微笑む。

「堂森ちゃんがもうちょっと大事にしてあげていればねえ。穂乃果ちゃんだって『今日はお友だちと約束したからパパとは会えません!』とか言わなかったでしょうね。月一回しかチャンスないのにねぇ。パパ泣いちゃう」

先月、穂乃果にドタキャンされた時のことだ。わさびを溶かしながら聞き流す。

「香穂里ちゃん、あんなに仕事仕事で輝いてた人だからさ。妊娠が不安定で安静にしてなきゃいけないとか、辛かったんでしょうね。今はいきいきしてるわよね」

俺はそば猪口を持ち上げたまま固まった。
今は? 
「お前、香穂里とやりとりしてるのか?」
曽根は驚いたように両眉をあげる。
「そうよ。もちろん」
「いつから」
「やだ。ずっとよ。ずっとっていうか、そうね、離婚前はよく電話で愚痴を聞いたわ。何日もずっと泣いてたわよ。泣きながら全部吐き出してた。あ、別にあなたの悪口ばかりじゃないわよ。自分のふがいなさとか、穂乃果ちゃんの心配とか、そんなの。あの時、一生分の涙と鼻水を流したかもね。干からびてなかった?」
深いため息がでた。全く知らなかった。

「結局、離婚したって連絡もらった直後に堂森ちゃんが鳩巻に来たからびっくりしちゃったわよ。アハハ」

そして曽根は「おまち」と言って目の前に置かれた鴨南蛮に「おいしそう」と顔をほころばせて箸を割る。
 
「でも安心して。稲元のことは喋ってないし。いただきまーす」
俺は蕎麦のひとくちめで盛大にむせた。必死に口を押さえてゴホゴホと咽ながら、「あらあら、大丈夫? 気を付けてね」と、にやける曽根を精一杯睨みつける。
「箸で人のこと差すのやめてよ。あ、ごぼう天いっこもらっていい? だめ。あそう」
曽根が自分の蕎麦を啜りだしてやっと俺の咳き込みも止まる。ああ苦しかった。

夏未とのことを知っていたのかと曽根に聞いても「もちろん」という返事が返ってくるに違いない。「いつから」「いつって最初からずっとよ」と。
俺は黙って蕎麦を啜った。

「出産後に復帰する自信がないって言った彼女に無理することないって言ったでしょ。俺が家庭は支えるからって」
曽根は鴨南蛮の湯気で眼鏡を真っ白に曇らせたまま香穂里のことを話しだした。
それのどこがいけないんだ。無理して欲しくないと思うのは優しさではないのか。

「あなたが育児休暇でも取って全部の家事と育児をやってくれたら奥さんは無理せず働けたのに」
俺は曽根の曇って見えない目を睨んで言った。

「俺が育児休暇? あのな……」
余計な議論をふっかけても返り討ちにあうことが想像できる。やめておこう。だが、これだけは言っておく。
「曽根の言いたいことは分かる。だが、あいつはそこまで望んでなかった。望んでいたなら言えばよかったんだ。そうしたら俺だって考えた。黙って一人で我慢したと、後から文句言うのは卑怯だ」
察してちゃんもいい加減にしろ。お互い大人なんだ。

それでも曽根は平然と言い返してきた。
「そこまで望んでなかった? そこまで強く望まないと実現できないことなの? あなたが特別に望まなくても当たり前のように叶えていることを、香穂里ちゃんは声を高らかに訴えかけなければいけなかったわけ。で? 彼女が妊娠出産まで一人でやったから、あと一人で一年お願いって言ったらやってたの」
「子育ては二人でするものだろう」
「妊娠のきっかけは二人だけどね。その後の妊娠から出産までは女一人のからだよ」
「その後も、その間も、経済的な面は俺の担当だった」
「ばかね。だから出産後の経済面は彼女が支えて、一年くらい夫が一人っきりで子育てしてくれたっていいわけでしょ? 二人で子育てとか、分担分担って言うのなら」

俺は何の話をしているか分からなくなってきた。それに今さら考えるだけ無駄なことだ。
「もう終わった話だ。そもそも男は妊娠できない」
「そうね」
「ごぼう天、全部やるよ」
大して食べていないのに腹が膨れてきた。もうお腹いっぱいだ。勘弁してくれ。
だが曽根はごぼう天を見つめたまま動かない。

「女に産まれたくて産まれた訳じゃないのにね」

看板おばあちゃんが蕎麦湯をテーブルにトンと置いた。
「親ガチャとか言うけどさ。性別だってそうよね。望んだわけではないの。親子はいつか離れるけど性別は一生ついてまわる。自分にとっては一回きりのガチャ。これはきついわ」
俺は無言で蕎麦湯を猪口に注ぐ。
「私がレアキャラを望んでたと思う?」
曽根はそう言って鴨南蛮の汁を全て飲み干した。

「今は自分が好きだろ」
「そうね。一回だけよって小遣い貰って回したガチャでレアキャラを当てたの。見た目は普通だった。でもそのうちレアキャラに育っていく。小遣い渡した親は、うしろで見ていてどう思ったかしら」
「曽根が気に病むことではない」

曽根はフッと息を吐くように笑い、あらやだ蕎麦湯入れるの忘れた、全部のんじゃった、と舌をペロリと出しておどける。

「香穂里も女に産まれてキャリアを棒に振ったことを悔やんだことがあったかもしれない。でも今は後悔なんてしていないはずだ。与えられた運をどう生かすか、全て自分次第だ」
「ふふ」
曽根は軽く笑ったあとにごぼう天を口に入れ、笑顔のまま言う。

「簡単に自己責任論振りかざしてくれるけど堂森ちゃんは冷たいのよ」
「なにが」
「奥さんが女の子用のおもちゃが出るガチャ回すのを後ろから見ていただけ。男の子用のおもちゃが出るガチャで、俺はコレが出たーって一人で喜んで。こっちのガチャも回していいよって勧めた? なんで中身が違うんだろうなって気づきもしなかったでしょ。だから愛想を尽かされたのよ」

曽根はそう言ったあと、ご馳走様と丁寧に両手を合わせた。
そのガチャを用意したのは俺ではない。女は女の子用を回せと強制したわけでもない。そう言い返そうとしてやめた。
中に入っているカプセルがそもそも違うかもとは。
いつもそこまで考えていない。

「香穂里はなんて言ってたんだ?」
「今日?」
「ああ」
曽根はお茶を飲み干した。
「急いだほうがいいかしら、って。あなたの聞きたいことが大至急調べるべきことなのか気にしてたわ」
「それで、なんて返事をした?」
「そんなの私には分かんないわよ、何の話? 好きにしなさいよって返事したわ」
曽根は可笑しそうに笑った。

先に会計を済ませて店を出るとスマホが震えたので確認する。
香穂里からのライン。テキストではなくて写真だった。拡大すると作文用紙に書かれた作文。

「私の大切なもの 五年二組 大沢穂乃果」。
曽根に好きにしろと言われてコレを送るのか。ざる蕎麦しか食わなくても胃もたれしそうだ。
心で悪態をつきながらも作文を読み始める。

『私は書道を習っています』という書き出しで書道がいかに難しくて楽しいか小学生らしい言葉で綴られている。そして『おのれと向き合うことができるおけいこだと思っています』という、自分の考えか師匠からの教えか分からないが、その信念もしっかり書かれていて驚く。

大人になったのだ。俺の五年生当時より遥かに大人だ。

作文だけでは判断できないが無性に穂乃果に会って抱きしめてやりたくなった。今までそうできなかったぶん、忙しいと言い訳ばかりして抱きしめてやらなかったぶん、できれば今すぐ謝って抱きしめたかった。

『書道を習い始めたきっかけは、お父さんが剣道をやっていたからです』
「お父さん」のところに赤線が引かれ「父」と直されている。最終原稿ではないようだ。

『お父さんは【道】がつく習い事は、時間をかけて身につけるものなので、何年かかってもいいと言っていました。おとなになっても未じゅくな自分をはじることはないと言っていました。自分と向き合うことが大切だと言っていました』

俺からの教えだったかと苦笑する。全く記憶がない。

『だから私は一生つづけます。私の大切なものは、お父さんの教えてくれた【道】という考えです』

そう結ばれた作文を俺は最後までまともに読むことができなかった。いつからそこに居たのか、曽根が静かに半歩離れて待っている。

「あ、悪い。待たせたな」と告げると曽根は笑って首を横に振る。
慌てて写真を閉じると次のメッセージが来ていたことに気付き、ざっと目を通す。

「おかげさまで落ち着いた子に育ちました」の文。そして「ありがとう」の小さなスタンプ。
「友達の都合でパパと会えないことを残念がっていました。来月はお願いします」の文。
本当かどうか分からないが、香穂里の気遣いが身に染みた。

「それから、昔のフォトを漁ったら見つかったので送ります」
「穂乃果にとても良くしてくださった先生と一緒に撮った写真」

先生とは、さっき電話で話した書道の講師のことか。急に現実に戻され冷静に写真を拡大して凝視する。近堂なのか。

ふくれっ面でピースサインを掲げる小さな穂乃果。隣に屈んで写る笑顔の女性。無表情で後ろに立ち、手を前に組んでいる和装の男性。
さらに拡大して顔を確認し、背後の壁にあるポスターの文字も読む。

《 前崎ふくしプラザ 書道イベント 講師 横田竹幽・高柳愛子》

そこに写っていたのは、顔も名前も、近堂ではなかった。


「父親」へつづく 


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