残夢【第一章】⑨連鎖
刑事課に戻ると数人が藤岡の席の周りに集まり同じパソコン画面を眺めていた。
「何かあったのか」
「嶌さん、あっ、堂森さんも見てください。これ」
藤岡はライブニュースの動画を最初から再生しなおす。
物々しい複数の赤色灯に照らされた画面、駅構内で男性二人が女に刃物で切り付けられる事件があったようだ。
「どこ?」
「大阪の市営地下鉄です」
動画では担架に運ばれる人物の足元が映され「男性二人とも意識あり」とのテロップ。そしてベージュのトレンチコートを着た女らしき人物が駅構内で取り押さえられている静止画像とともに《大阪府警は当時の状況と詳しいいきさつを調べています》というアナウンサーの声で動画は終わった。
「似てないですか」
藤岡が不安そうな顔で振り返って続ける。
「トレンチコートの女ですよ」
「うん。まあ、これだけではなんとも」
「被害者との面識はないらしいっていう報道もあったみたいです」
「動機は?」
「それは、まだ」
藤岡はパソコンに向き直り、別のタブをクリックしてみせる。
「これも見てください。青森です」
地方新聞のニュースサイト、貼られた写真は単なるイメージだ。タイトルは《刃物で切り付けられ男性けが 女が逃走中》。
記事前半を読むと刃物で切りつけられたのはコンビニエンスストアの店長。
「それはさすがに関係ないだろ。怨恨か客とのトラブルか」と呟きながら読む。
被害者は軽傷だが相手は見覚えがない女。レジや商品が荒らされた訳でもなく品出し中にいきなり後ろから切りつけられて逃げたという。
「人着は?」
「帽子とマスク、ベージュのトレンチコートだそうです」
その場にいた全員が一瞬息をのんだが、すぐに「うーん」と半笑いで顔を見合わせる。
「冬だからなぁ。誰でもコートは着るし」
嶌村は首をかしげ、山下まで笑みを浮かべている。
「華ちゃん、みんな関連あると思ってるの。全国で模倣犯か? 気にしすぎだよ」
「トレンチコートなんて珍しくはないですけど、今年特に流行っているわけじゃないですよね。しかも今の季節はもう寒いですよ。着るのは春とか秋でしょ」
「うーん」
「あとこれも。先月の静岡で」
用意されていたタブをクリックすると、すでに供述を始めた事件の詳細が書かれている。
「鈴田百恵 三十九歳、傷害事件で逮捕。余罪がないか調べている……えっと、子どもの頃スーツを着た男性に性的な目で見られて嫌な思いをしたことがあり、それ以来男性そのものが怖くなった、ですって」
藤岡は続ける。
「なぜ自分がびくびくしながら生活しなければいけないのか。許せないと思い犯行に至った、だそうです。被害男性は軽傷」
「性的な目で見られて、って。見られただけで刺されちゃうのかよ」
「しかも刺された人は関係ないんですよね」
小池さんと山下は、納得がいかないかのように腕組みをした。
「これもトレンチコートだったのか?」
嶌村が聞くと藤岡は「あれ? どうかな? 分からないです。でも女が刃物でってのが似てたので」と言い出す。
「そんな事件を全部あげたらキリがないだろ。これは?」
嶌村が別のタブを指差すと藤岡は「これはうちの近所の話で」と言いながら最後のタブをクリックして見せる。
男児が公園で見知らぬ女に服を脱がされるという通報が多発しているので気を付けてという注意喚起だった。
「いやこれ広島の話じゃん。華ちゃんは生まれも育ちも前崎でしょ。しかも傷害と痴女とごっちゃにされてもなぁ」
小池さんが笑った。
「でも、女性が男に危害を加える事件ですよ」
「そんな事件ばっかり探してたのか」
「探していた訳じゃないですけど、なんか目につくんです」
「あれじゃないですか、フィルターバブル」
突然割って入った山下の言葉に、小池さんが「フィルターバブル?」と眉間に皺を寄せて聞き返す。
「今、ネットで検索すると自分にオススメの情報ばかり出てくるじゃないですか。次々と。一度美味しいラーメン屋を検索したら、あなたラーメン大好きなんですねって言わんばかりに美味しいラーメン屋を推してくる」
「ああ、あるね」
「政治的なネタとか、社会問題とかもそうです。ちょっと検索していくつかの記事を辿るだけで、気が付けば毎日そんな情報で自分のスマホが溢れてる。世の中、同じこと考えてる人ばっかりなんだ。自分の意見はみんなの意見だと思い込む」
「なるほど」
そこで藤岡は頬をぷうと膨らませて言い返す。
「これは広島ですけど、似たような話が前崎文化センターであったって聞いたんですよ。ママ友が騒いでて。小学生男子がトイレで泣いてたとか」
「それで?」
「うーん。まあでも怪我もないし、トイレしたいのを知らないおばさんが手伝ってくれたんじゃないかってそのママさんは通報しなかったみたいなんですけど」
「おばさんに脱がされたのか。じゃ事件じゃないだろ」
小池さんが笑うと藤岡も少し吹き出す。
「まあ、そうですよね。でもちょっと気になったんです。すみませんでしたー」
藤岡が反抗的な顔で語尾を伸ばして謝る。
「最近の男はひよっこだな。小学生男子がトイレで下半身出されたくらいで泣くかよ。華ちゃんだって毎日息子のムスコの手伝いするだろ」
「何ですか、息子の息子って言い方、やめてくださいよ。ちなみに保育園のころは手伝ってましたけど、今や小学生の長男が知らないおばさんにズホンおろされたりしたら怒りますよ」
「そうか。男子なんていつでもどこでも丸出しで立ちションする生き物じゃないのか」
小池さんはそう言いながら軽く腰を前に出す。藤岡は大袈裟に顔を顰めた。
「やだ。ひくわぁ。犬じゃないんだから。セクハラですよ、セクハラ」
「えー。ムスコの立ちション話だけでアウトか」
小池さんが頭を掻く。
「相手が不快に思ったらセクハラって言いますからね」
山下が分かったような顔で同意するので思わず割って入る。
「山下、その考えは危険だ」
「え?」
山下はきょとんとした顔を俺に向けた。
「相手の気持ちは尊重されるがセクハラにあたるかどうかのラインというものはある程度存在する。相手が不快ならセクハラ、という基準ではない」
「え。でもそう言いますよね」
「なら、相手が嫌がらないならオッケーなのか。違うだろう。相手が笑っていた、否定しなかったという言い訳が成り立つ。パワハラも併せたらなおのこと。被害者が意思を表明するかどうかに委ねてはいけない」
「あー」
納得したように口を軽く開けたまま山下は頷く。
「逆に、多くの人が不快に感じるものではないのに『私は傷ついた』と声を大にする被害者の言い分も成立してしまう。それも問題だ」
「なるほど」
首を縦に振った山下に俺は尋ねる。
「客観的に見てどうだった?」
「どうって、なにがですか」
「小池さんの発言は客観的に見て不快だったか」
山下は小池さんの顔をパッと振り返りじっと見つめる。
眉間に皺を寄せて「不快っすねぇ」と断言した。
藤岡は「小池さん有罪ィ!」と笑顔で叫び、その場は笑いで包まれた。
「さて、仕事仕事」と小池さんがいそいそ自席に向かうと藤岡の開いたタブの関連性などすっかり頭から抜け落ちたのか皆自分の仕事に戻る。
俺は前崎文化センターという単語で先程の嶌村の話を思い出していた。
近堂が講師をしていた教室に娘が参加したことがあるかどうか。面倒だが早く妻に確認してしまおう。
⑩「不変」へつづく ▶
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