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ヘルプマークに似たデザインを作って世に広まったことについて考えた話

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ヘルプマークを知らないことは別に恥ではありません

この事件はヘルプマークの存在を知っていて、それを使用している人全体の許諾、確認を取らずにパロディ化してしまった

知見の不足

モラルの不足

を責められていると感じます

仮に知らなかったとしても、「知らなかったから許されるよね」という話ではないのです

知らないで済まない話は世の中にはたくさんあります


そして、「かえって宣伝になったのに何がいけないのか」という言葉は、私はすべて自分に返ってくると考えています

・有名アーティスト、デザイナーが許可なく既存の物をパロディすること

・広まるなら、現在使用している人のことを考えず無許可でパロディをしていい

・それが暗黙の了解で許されること

これはとても怖いことなのです


今回の事件に「悪意」があったかはわかりません

ただ、「悪意」がなければ許される問題ではありません

社会の中で「助け」が必要な方の持つヘルプマーク

「どんな方が使用されているか」

具体的なイメージを持てる方がどれくらいいるでしょうか?


中には、

・目線を向けられただけで刺激になってしまう方もいますし

・言葉を向けられただけで精神的に委縮してしまう方もいます

・行動が奇異の目で見られてしまう方もいます

本来、人は他者に対して弱みを見せたくないのです。しかし、見せて助けてもらわなければならない状況の方もいます

それがヘルプマークの一つの側面でもあります

そのようなデリケートな問題に適切に手を差し伸べられる人が多いほど、日本の福祉は成熟していないと私は実感しています

「あのマーク 話題になったやつだよね」と声に出して、指を指して注目を向けるような行動なら平気でしてしまいそうな未成熟性を持っているとさえ思います

そんな現在の日本社会で、

「かえって宣伝なったから我慢してほしい 悪意があるわけじゃないんだ」と私はとても言えません

不十分な日本社会の中で、いたずらにこのマークを使用、広めることで

「かえって宣伝になったからいいではないか」という相手のことを考えない精神性が「結果オーライ」ではないことを物語っています


「あなたの持っている商品をパクリ、いたずらに人を傷つけましたが、世の中に広めれたから許されるよね」

これは許されますか?

本来なら「パクられた側」が「世の中に広まったから結果オーライだよね」というなら分かります

しかしそうではないでしょう

加害者が都合のいいように被害者の代弁をする様はまるで「いじめ」のようです

では、どのような流れだったら、今回のパロディは認められていたのか とも考えてみます

必要なのは

・このマークを作ったの「東京都福祉保健局」に許可をとること

・パロディマークを作りたい意図をしっかり包み隠さずに共有すること

・実際にマークを使用している人の実体像を知ること

・販売されることで起こり得る問題について検討がなされること

上記の内容がなされ、初めて今回の件は認められるのではないかと考えます

しかし、今回はこれが何一つなされていなかったのではないかと推測されます。ここからも誠実さを感じられません

本来、パロディは「無許可で行う」ことで面白さが出るものであったり、後で当事者がそれを知って面白おかしく展開していくようなものです。私もその面白さはよくわかります 芸人や漫画、イラスト等、様々な世界でよくありますよね

ただ、それは「誰も傷つかない」「悪意がない」ことが大前提になります


今回のような「当事者不在」で行われる「福祉」の不意な拡散はいままでもたくさんありました

結果として社会の注目を集めることになっても、当事者が「それは違う」と反論し、それが「ヘイト」になってしまうならば、それは拡散の仕方として間違ってると私は感じます


客観的にみるとこうやって私が記事を書いていることも、この話題が拡散されていることになりますね

「かえって宣伝になったから良かったですね」

本当にそう思いますか?

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