映画「ほかげ」


directed by 塚本晋也
starring: 趣里、河野宏紀、森山未來、塚尾桜雅、大森立嗣、利重剛

昭和20年、敗戦というかたちで戦争が終わった。女(趣里)は空襲で半焼けになった小さな居酒屋で一人暮らし。体を売ることを斡旋されている。家族を失った絶望から抗うこともできず一人暮らし。空襲でたった一人になった男の子(塚尾桜雅)は闇市や畑で食べ物や野菜をくすねて暮らしていたが、盗みに入った居酒屋で女に出会い、そこに居つくようになる。戦地から帰ってきたばかりの青年(河野宏紀)も、居酒屋を紹介されてやってきたのだが、結局お金もなく、女を抱くこともできず、なぜかそこに居続けるようになる。なんとなく行き場のない3人がなんとなく疑似家族のようになるのだが、男の子も青年も夜になると、何かに怯えうなされている。青年は以前は学校で子供たちを教えることに夢抱いていたが、戦地での出来事が彼の心を蝕み、昼間は何もできずにじっとしているだけ。男の子がカバンに大事に持っていたものは、実はとんでもない危ないものだった・・・女はそれを忌み嫌って手放すように言うが、それはある時は男の子の身を守ったものだった。男の子はやがて外で、片腕が動かない男(森山未來)に出会い、彼に惹きつけられ、やがて行動を共にするのだが・・・

チラシや監督の舞台挨拶の話の内容から、これは塚本晋也監督の「野火」の続編でもある・・・ということだが、私自身は「野火」は未見。前評判は高かったし、「野火」も塚本監督の舞台挨拶付きだったが、どうしても気持ちの重さに耐えれそうもないと見送った作品だった。
  「ほかげ」は、やはり、趣里さん、森山未來さんが出演されるということと、チラシに載ってた男の子の眼差しに強烈に惹かれて、「絶対見よう」という気持ちになった作品だ。

やはり「男の子が主人公」の映画は、私は勝てない・・・どうしても見てしまう、見なければならないって思ってしまうのだ。

よくある映画で、戦地に行っていたお父さんや夫が日本に帰ってきて、焼け野原の東京に戻ってきて、家族が無事だったら抱きついて喜びめでたしめでたし、家族が全員亡くなってしまってたら、泣き伏して、ああ、悲しい・・・で終わる
なんって単純な図式・・・では決してないのだという・・・戦争は「エンタメ」にしちゃいけないんだっていう、塚本晋也監督の強い思いが伝わってくる。
戦争って、人の心を破壊してしまい、そのことが終わった後、自分のやってきたことを振り返って、心が壊れ、生きて帰ってきても、全く、生きる気力なんて湧くはずねぇだろ!!という・・・それも命令を下した人間は全く悪びれもせず「あれは戦争だったんだ、仕方がない」と言い切るが、駒となって実際に目の前で人を殺してきたことに苛まれる人は、ずっとずっと延々と苦しみもがく・・・という一面を・・ろうそくの炎ぐらいの暗い画面の中に浮かび上がる、人のまなざし・・・で終始訴えてくる。
そしてしつこいまでにそれが繰り返される。
塚本晋也監督作品の恐ろしくて怖くて・・・そして魅力的なところだ。

趣里さんが針と糸をあやつり、服を縫い・・・というシーン。
きっと戦争前は、銀座あたりで洋装品を扱っておしゃれに、楽しく明るく生きる女性だったのだろう。
何もかも失った喪失感と、大切な人がみな死んでしまった中に生きるという自分を呪っている・・・その瞳の強さと体のしなやかさ・・・は心の絶望感の中でも、脈打つ熱くて若い部分・・・そこが、迷い込んできた男の子に出会ったことで、その中でも芽生えてくる母性という、誰かを慈しみ守るという気持ちが湧き出るという・・・希望というしなやかさを体と眼差しで体現していた。
そしてみずみずしさ・・・男の子の肌のみずみずしさと、その眼差しの強さ・・・子供の力ってこういうことだなぁとつくづくと感じさせる・・・子役の塚尾桜雅くんってなんかすごかった。この作品は、何より、この子のまなざしの強さに尽きると思った。

この子がどこで手に入れたのか、拳銃を持っていた・・・ということで、物語が動いていく。外で知り合った謎の男・・・森山未來さんだが、この方が身体で表現する「存在」「生」「優しさ」「厳しさ」「危うさ」・・・そして何より「美しい」のだ。言葉にしなくても、この人がすっと歩いていく姿一つで全てを表現していることに、唸らせられる・・・夜空に向かって片手をゆっくり挙げる・・指の先まで見惚れてしまうのだ。人の身体は美しい・・・
飄々としていても、片腕が動かないってことも語らなくても仕草、動作でわからせていく見事さ・・・この謎の男が何を内に秘めているのか・・・クライマックスで全てが明らかになっていくのだが、突然剥き出しになる彼の激情を傍で見ていた男の子・・・

彼に教科書を渡し、学ぶことを教えた青年は、戦争で壊れた心のまま、何も救われず、生きる気力を失ったまま・・・きっと朽ち果ててしまうのだ・・・
そういった「何もしないでじっとすることしかできなくなってしまった人」である青年にそっと教科書を返す男の子は、一人で生きていくために闇市に向かう・・・
  たぶん・・・この男の子の年代の人が、大人になって作り出した物語・・・例えば脚本家になった人、映画監督になった人、俳優になった人、画家になった人、音楽家になった人、演奏家になった人・・・彼らが表現して世に出した作品には、必ず「戦争」の影を感じた・・・戦争って人を人で無くしてしまうことなのだと・・・その影を見て聞いて感じてきたのが、おそらく私たちの世代・・でも、私たちが最後だろう。私とて、その後の世代、息子たちにこういった「戦争の影」は全く伝えられなかったと思う。でも戦争は今も現実にある。ウクライナやパレスチナ・・・でも、どうしても「遠い国の出来事」になってしまう。

「ほかげ」では、戦争で「人を殺す」ことをやってしまった「普通の人」がその後もずっと「終わらない戦争」で心を蝕まれていく姿が、強烈に心に焼きついた。片方だけが被害者・・・という単純な図式ではないのだと。

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