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May boots 親父【ショートショート】

春に咲いた桜が散っていき、楽しみにしていた予定が雨で潰れていく。そんな季節になると、あるオヤジのことを思い出す。

十五年前、僕がまだ小学一年生の時にオヤジはうちの隣の空き家になっていた一軒家に引っ越してきた。

どうやらオヤジは東京の都心から来たみたいで、口を開けば田舎の悪口ばかり。
そんなんだから、うちの親も向かいの家族もみんなすぐに彼を煙たがるようになった。

今思えば厄介者扱いされていた理由はその言動だけじゃなさそうだ。

辺りを見回しても高いビルなんて一個もない田舎で、オヤジはシャツにジャケット、黒のパンツといった都会の装いで身を固めていた。その格好で毎日庭にウッドデッキを作ったり、花壇を作ったりしていたから、それはもう目立ってしょうがなかったのだ。

小学生だった僕はそんなオヤジと話をするのが好きだった。

学校が休みの日になにやら庭を改造しようとしているオヤジをぼんやり眺めながら

「おじさんそこに何ができるの」

なんて具合に声を掛けた。

「これか、ここにのお、野菜を植えてなちっちゃい畑にするけえ、ボク、イタズラしちゃいかんよ」

「わかったー。なんでおじさんはお野菜好きなのに、田舎は嫌いなの」

僕は大人達の話していることをぼんやり聞いていて、オヤジに子供ならではの質問をした。

「わしも田舎生まれじゃけえ、田舎がどんな所か一番分かっとる。でもな東京で揉まれんと分からんこともある。」

「とーきょーでは皆んなまっくろい服着て、おじさんみたいなかっこいい長靴をはくの?」

それを聞くとオヤジは笑いながら

「ボクはまだ子供だから分からんか、長靴じゃなくてのお、東京では身だしなみは足元からじゃ。ボクも大人になったらしゃきっとせえよ」

と言って、また庭の手入れに夢中になった。

僕は当時何も意味が分からなかったのに、ただ訳知り顔でうなづいたことを覚えている。


オヤジが引っ越してから三年が経って僕が小学生の高学年になった五月のこと。それまでほぼ毎日庭の手入れをしていた彼が、あまり外に出て来なくなった。

僕が心配になって彼の家を訪ねると、いつもより少し元気のなさそうな顔でオヤジが玄関に出てきた。

「おじさん、今日も庭いじらないの。草生えてるよ、手伝おうか」

するとオヤジは

「五月は雨ばっかりで駄目じゃ。せっかくの服も濡れてから、庭どころじゃない」

と言って少し脚を引きずりながら部屋の奥に帰っていってしまった。

オヤジは結局それからほとんど庭の手入れをすることなく、その一ヶ月後にはすぐに引っ越していなくなってしまった。

後に親から聞いた話によると、オヤジはその後息子夫婦の下で暮らすようになったらしい。

大人達は散々オヤジのことを迷惑がって疎んでいたのに、オヤジがいなくなるとみんなどこか寂しそうにしていた。いたらいたで悪目立ちするけど、いなくなると物足りない、僕たちの町にとって彼はそんなタイプの名物親父であったのだろう。


僕は東京の大学に進学し、都会にも慣れてきた今になって、なぜだかオヤジの言っていたことが少し分かる気がしている。

なので遊ぶ金がなくてもなんとかバイト代で靴だけは、綺麗なものを履くようにしているのだ。

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