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映画祭開催間近!/『ジョージア映画全史』試し読み vol.1

こんばんは、教育評論社編集部です。
今回の記事は、8月の新刊、はらだたけひで著『ジョージア映画全史』の紹介になります。

ジョージアは映画の王国といわれており、かのフェリーニ監督も「私を不覚にも泣かせる全てがある」と称賛したといいます。
ソ連時代の抑圧下にアイロニーとユーモアを交えながら映画を制作、ときに検閲を免れるため試行錯誤を繰り広げたことは知られています。
独立後のいまもロシアに国土の2割を占領されており、そうした苦難の歴史が、ジョージア映画に影響を与えてきました。

長年岩波ホールでジョージア映画はじめ、さまざまな映画を紹介してきた、はらだたけひでさんの集大成ともいえる書籍となります。

それでは早速、試し読みをどうぞ!


歴史の中のジョージア文化

 紀元前10世紀頃のアッシリアの年代記や旧約聖書にジョージアの祖先を示す民族が記されていたことにより、ジョージアには三千年以上の歴史があるといわれてきたが、近年、それ以上の歴史があるという説もある。また南ジョージアのドマニシで、2000年頃に、およそ180万年前の原人の化石が発見され、人類はアフリカから始まり、この地域からアジア、ヨーロッパへ拡がっていったと考えられている。
 西ジョージアでは、紀元前6世紀にコルキス王国が栄え、この国はギリシア神話で知られるアルゴー船の遠征による、王女メデアや金羊毛の物語の舞台になった。アマゾネスはテレク川岸に住み、プロメテウス(ジョージアではアミラン)はコーカサスの山に繋がれたといわれている。東ジョージアでは、紀元前4世紀にイベリア(カルトリ)王国が形成され、この二つの国がジョージア統一国家への基礎となる。以降、ペルシア、ビザンティン、アラブ等との争いが続き、興亡が繰り返された。

 11、12世紀、「建設王」と呼ばれるダヴィト4世が、国を改革し平定させ、学芸の興隆にも努めた後、彼の曾姪にあたるタマル女王が君臨した12、13世紀に、ジョージアは黄金時代を迎える。南コーカサス一帯を統治し、経済も学術も発展させて栄華を極め「東方のルネサンス」を開花させた。タマル女王に仕えた宮廷詩人ショタ・ルスタヴェリによる長編叙事詩『ひょうがわの騎士』は、今日でもジョージア人の魂の礎であり、人々の考えと行いの規範でもある。2004年に制定された現在のジョージア国旗がこの時代の国旗の復元であるように、ジョージア人は今日でもこの時代を誇りにし、郷愁を抱いているように思える。
 その後、ジョージアはモンゴル、オスマン帝国、ティムール、ペルシア等の侵略を受けて、厳しい戦乱の歳月が続き、分裂と統合を繰り返す。18世紀、ジョージアはエレクレ2世によって安定を取り戻すかに見えたが、1783年、ペルシア、オスマン帝国等の脅威のなか、東ジョージアはロシア帝国エカチェリーナ2世と条約を締結し、ロシア帝政下に置かれてゆく。
 1801年にロシア帝国は東ジョージアを併合、カフカス(コーカサス)総督府がトビリシに置かれ、トビリシはティフリスと改名された。1811年にはロシア正教会がジョージア正教会を併合し、着々とロシア化が進められてゆく。この時期にロシアとジョージアを結ぶ軍用道路が建設されている。そして19世紀半ばに西ジョージアもロシア帝政下に置かれることになる。そのような状況下、ジョージアの文学者が中心になり、国民文学や民謡などの民族文化の復興、識字運動などに努め、ジョージア語による演劇やオペラも盛んになってゆく。これらの文化的活動は人々の民族意識を一つに束ねて高揚させ、後の「第七の芸術」、映画の誕生と発展の大きな要因になったと考えてよいだろう。
 その後、ロシア革命によって1917年にロシア帝国は崩壊し、翌1918年にジョージアは独立、メンシェヴィキ政権によるジョージア民主共和国が誕生する。しかし1921年2月、ジョージア出身のスターリン率いる赤軍に侵攻され、以降70年間をソヴィエト政権下に置かれた。
 本書の目的でもあるが、ジョージア映画の発展と展開を、ジョージアの民族文化とこの国の激動する政治社会を切り離して語ることは難しい。映画と時代の変遷を要約すると以下のようになる。
 19世紀末に映画が誕生して以降、ジョージアでは、1910年代、多くの才能ある芸術家が映画という新しい表現に魅せられ、製作の現場に入っていった。1920年代に入り、ソヴィエト政権下に置かれたが、ロシア・アヴァンギャルドの影響を受けて、芸術的意欲に富んだ作品が盛んに製作された。1930年代、政府によってアヴァンギャルドが否定され、社会主義リアリズムが提唱される。そしてスターリンによる粛清が行われ、多くの国民が処刑され、流刑された。1940年代、ソ連邦も第二次世界大戦に突入、戦中戦後にかけて人々が窮乏するなかで、民衆の心を高揚させるために映画が製作される。1950年代、スターリンの死後、彼への批判が行われ、「雪どけ」の時代が訪れる。映画にも新しい風が吹き込まれてゆく。1960、70年代、厳しい検閲にもかかわらず、若い才能が多様に開花し、数多くの傑作が誕生する。1980年代、社会経済が低迷し、体制を問う作品が現れてゆく。その後、ペレストロイカ(建て直し)を経て、ソ連邦は解体へと向かう。1990年代、ジョージアは念願の独立を果たすが、その後に起きた内戦と紛争で社会は荒廃し、映画製作も打撃を受ける。そして21世紀の今日に至るわけである。特にソ連邦時代の政治的な抑圧下、その長く困難な歳月をジョージアの映画人はジョージア人であることを誇りに、作品に自らの民族文化を積極的に取り入れ、体制への批判、自由への願いを込めて作品を製作し、果敢に独自の道を切り開いてきた。


(本書25頁につづく)


目次

第1章 ジョージア映画の誕生――ロシア帝政末期 
第2章 ジョージア映画の草創期――独立からソヴィエト政権下へ 
第3章 抑圧と粛清――スターリン時代の暗黒 
第4章 世界大戦と戦後の窮乏のなかで 
第5章 ジョージア映画の再生と新しい波 
第6章 百花繚乱のジョージア映画 
第7章 ジョージア映画の成熟と発展 
第8章 改革、そしてソ連邦の崩壊へ 
第9章 独立後の混迷、激動する世界で 
終章 ジョージアという魔法 
〈年表、本書におけるジョージア映画の監督と作品、参考文献〉

著者略歴

はらだ たけひで(はらだ たけひで)
画家・絵本作家/ジョージア映画祭主宰。

1954年、東京都に生まれる。1975年から2019年まで、東京・岩波ホールで世界の名作映画の上映に携わる。1978年に映画「ピロスマニ」の公開を担当して以降、ジョージア文化、特に同国の映画の紹介に努め、2018年、2022年、2024年にジョージア映画祭を開催する。

絵本に『パシュラル先生』のシリーズ、『フランチェスコ』(ユニセフ=エズラ・ジャック・キーツ国際絵本画家最優秀賞)、『子どもの十字軍』(訳・絵)など多数。挿画も『ダギーへの手紙』(E・キューブラー・ロス)、『十歳のきみへ』(日野原重明)、『森のお店やさん』(林原玉枝)など多数。

ジョージア関係の著作に『グルジア映画への旅』、『放浪の画家ニコ・ピロスマニ』、『放浪の聖画家ピロスマニ』などがある。

2022年にジョージアの各都市で「聖ピロスマニ」と題した個展(在ジョージア日本大使館主催)が開催される。日本における画家ピロスマニとジョージア映画の紹介に対して、2019年にジョージアのピロスマニ祭で感謝状、2022年にジョージア外務省から文化功労賞「ジョージアの友人」、2024年に在日ジョージア大使館からジョージア日本友好賞が授与される。

▶本の詳細・購入はこちらから

8月31日から、渋谷のユーロスペースにてジョージア映画祭が開かれます。今後の開催は不明のため、最後になるかも、という声も聞こえてきます。
本書を手に、ぜひ映画祭にも足を運んでください。

*ジョージア映画祭2024の公式サイトはこちら


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