異界という領域展開 「異界彷徨-怪異・祈り・生と死」展◇大阪歴史博物館
こんにちは、はくれぽ!です。
毎日暑いですね。そんな時は異界がオススメですよ。
先日、あべのハルカス美術館の絵金展に行ったあと、めずらしく時間と余力があったので、大阪歴史博物館へと足をのばし、「異界彷徨-怪異・祈り・生と死-」をみてきました。
開催期間:2023年4月28日(金)- 6月26日(月)
その前に少し余談を。
特別企画展のチケットで常設展示も見ることができたのですが、これが想像以上にというか想像もしてなかったけれど、すごくてビックリしました。
展示会場は7階から10階まで、4階分のフロアを使った広々贅沢仕様。大阪を中心とした古代から近代現代までの歴史を体感することができ、10階の古代のフロアから始まり下に降りるに連れて近現代に近づくといった構成。古代は奈良時代の難波宮大極殿の再現からスタートし、振り向けば現代の街並みが10階のガラス越しに見える。まさに「難波宮ふりさけ見れば」といったような、時空を超えるような演出です。
しかし。そもそも特別展示を軽く見るかな〜くらいの気持ちと時間で行ったので、のんびりできるはずもなく涙をのんで早歩きで通り過ぎたのでした。
異界へようこそ
涙を拭いたあとはいよいよ6階の異界へ。こちらは撮影はほぼ可。
ここからは「好きなものだけ見て撮る」といった構成無視の独断偏見画像でお届けいたします。
河童・かっぱ・カッパ
さてここからは河童特集です。
なぜなら今現在、わたしが河童が気になっているからです。なんで?と言われてもアレなんですが、なんとなく。そういうのありませんか。なんか突然気になる、みたいな。
百鬼夜行
さて、ここからは百鬼夜行が始まります。
近年の百鬼夜行といえば2017年12月24日の新宿・京都で同時に起こったアレ*、、、ではありません。*劇場版 呪術廻戦0 参照
与謝蕪村の妖怪たち
妖怪とはいいますが、こちら癒しコーナーなのでは?というくらい、脱力系の妖怪たち。どれもTシャツにして欲しいゆるかわさ。
妖怪といえば。今も昔もメジャーな鬼
鬼といえば近年では滅する系のアレが有名ですね(以下詳細略)。いつの時代も鬼はクリエイター達の感性を刺激するなにかがあるのでしょうか。ある意味、おそろしくも魅力的な存在なのかもしれませんね。
ゆるめな呪物
呪術というと、今なら呪術廻戦が思い浮かぶ方もいるかも知れません。実際、鑑賞している人の中には《九相詩絵巻》(大念仏寺蔵)の前で呪術廻戦トークをしている方々も。
呪術廻戦の原作は読んでませんが、アニメの中でも「九相図」を元ネタとした話があったなぁと、後日見直して思い出しました(忘れていた)。
「九相図」というと2015年に三菱第一号美術館で開催された「画鬼・暁斎―KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」展[⭐︎]で見たような気がします。当時、仏教的な意味合いがあまりよく分かっていなかったので、こんなの描く?!という衝撃の方が大きくてあんまり覚えていません(いつものことですが)。
そういえば呪術廻戦の中で、物語の核となる「両面宿儺(りょうめんすくな)」の指は、そもそもその場を守るために設置されていた呪物、という設定だったような。強いものをより強いもので封じるみたいな理由で。
生まれてから死ぬまでとその後
住んでいる地域や、家の環境にもよると思いますが、暮らし方や家族の形が多様になってきた現代人にとって年中行事や折々の儀式的なものは、意味がわからなかったり、ちょっと面倒だなぁ、、、と思うところもあるのではないでしょうか。
たとえば、上巳(桃)の節句である雛祭り、端午の節句であるこどもの日。また、ここ数年で定着してきた感のある「恵方巻き*」を食べるといった行為は、2月の節分の厄をよせつけない・魔を払うといった行為がカジュアル化したものといえるでしょう。*関西の節分の時に恵方を向いて太巻きを食べる風習。
科学の時代が来る以前、人間の存在は不確かで不安定で子供はその最たるものでした。そのため成長を願う様々な儀礼が行われました。それは節々に子どもが無事成長しているかを確かめるものでもあったのです。
まとめ
解説の中で「「異界」という用語は1970〜80年代に広まった用語」「異界とは私たちのいる領外の外の世界をいう」と紹介されていました。
そもそも「異界」とはなんなのでしょう。
手持ちの辞書、岩波国語辞典第7版・ベネッセ表現読解国語辞典第13版・新明解国語辞典第7版をひいたところ、岩波にのみ「異界」が掲載されていました。
発行時期は岩波が1番古く2011年でした。それ以降に発行されている他の2冊には掲載されていない。これはどういうことなのでしょう。
異界関係の論文などを探してみると「異界の定義」に論点がおかれているものがいくつかありました。つまり、「異界」という言葉の定義が難しいということらしいのです。なので辞書に載せるかどうかも悩ましいといったところなのでしょうか。※注:2023年時点のことは未調査です
近年よく耳にする「異世界」や、民俗学者・折口信夫の「他界」という用語もありますが、これらには空間的・時間的といった要素が多分にあるけれど、「異界」はちょっと違う雰囲気があります。
「異世界」「他界」は別の空間性・時間性がありますが、「異界」はなんだか頼りなくてフワフワしたイメージ。日常の外・此方と彼方・誕生以前と死後の世界・昼と夜、そのどちらにも属するもの。また、「異界」といっておけば、いろいろ辻褄が合わせやすそうな汎用性も感じられます。
これらは、たとえば「神」と「妖怪」の存在にも似ているような気がします。その存在は時代によってどうとでも変化する。今や太宰府天満宮の学問の神様として有名な菅原道真公も、一時は怨霊扱いされていた時代もありましたよね。
でも要するに、それってもう人の気持ち次第なのでは?と思わなくもありませんが、この曖昧さから感じられるものが異界の「境界性」なのではないでしょうか。境界って出入りしやすそうなイメージがありませんか?(異世界は転生しそうだし(?)、他界はバッサリ区切られ感があるし、境界線や結界もそんなイメージ)
人が河童や天狗、鬼などをこわいと思いつつも、完全には切り離さずに、むしろ現在に至るまで興味を持ち続けられているのも、彼らが人間と相対的な存在であり、境界である異界の住人であるからかもしれません。またそうあることで、この科学技術の発達した時代にも、芸術や文藝、漫画やアニメといったものの中で生きていくことができる。異界人の生存戦略恐るべし(論拠ナシ)。
この展覧会のタイトルは「異界彷徨 -怪異・祈り・生と死-」でした。
それは「怪異」「祈り」「生と死」といった様々な状態すべてを包括した境界としての「異界」が、現代においても「彷徨」する、人の心の中でさすらい、さまよい、たゆたい、ただよい、ゆらめく存在なのかもしれません。
【参考文献】
[1] 『水虎考略』,江戸時代の河童研究書,水虎とは河童のこと。
[2] 柳田国男『遠野物語』,川童 59「外の地にては川童の顔は青しというようなれど、遠野の川童は面の色赭きなり。」
[3] 「ガブ」について
怪異・妖怪画像データベース,妖怪”アカ”は「かたち」「丸い」検索できます。確かに丸いけども、、、、。どの妖怪もなんだかかわいいです。
「劇場版 呪術廻戦0」,百鬼夜行,2017年12月24日、呪詛師・夏油傑によって京都・新宿で同時に行われた。
映画の冒頭では乙骨憂太の「生きてていいという自信が欲しい」に対し禪院真希が「なら呪いを祓って祓って祓いまくれ」と言うシーンがあります。
言葉は口にすると呪いにもなり得るし、また誰かの呪いの言葉は、本当は聞かないのが1番良くて、それでもかかってしまったのなら解くのは自分しかいないのだな、とシミジミ思いました。あと、呪いが溜まる場所として学校・病院とありますが是非とも会社も付け加えて欲しいところです。結構〜〜〜〜溜まってると思うんですよね、、、(そういえば以前、職場で事故が続いたので近くの神社から神主さんを連れてきてご祈祷する、、、というイベントがあったような、なかったような、、、その後神棚が設置されて上に「雲」って張り紙がしてあったかなー、、、)
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