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アート系漫画1巻だけ読んでみた①☆ 『さよならソルシエ』 第1巻

こんにちは。はくれぽ!です。

少し前から考えていて、いつものごとく放置していた新コーナー
「アート系漫画1巻だけ読んでみた」
はじめます。

初回はこちら。

『さよならソルシエ』

こちらの色使いも素敵な表紙の彼はテオドルス・ファン・ゴッホ(テオ)。

そう、あのフィンセント・ファン・ゴッホの弟テオが主人公の漫画です。

西洋美術では必ず登場するフィンセント・ファン・ゴッホですが、基本情報の中に「弟のテオ」もだいたい出てきて、手紙のやり取りしていて資金的な援助してくれていた、みたいなイメージです。でも、あまりその人となりなどは考えたことがありませんでした。(苦労してそう、、、とは思ってる)

そもそもですが自分が油彩画が苦手ということもあり、あれだけ有名なのにゴッホ(兄)自体にそこまで特別な興味は持っていませんでした。なのでゴッホ(兄)の絵も多分見たことはありません。ただ、《星月夜》という作品だけは、好きとか嫌いとか、そういうのを超えて心に残っています。

といった程度のゴッホ兄弟の知識で、本編へまいります。
当然ですが、すべて個人の感想なので、不可解な解釈、ネタバレなどご容赦ください。


「Sorcier (ソルシエ)」

タイトルにもある「ソルシエ」とはフランス語で「魔法使い」のこと。

テオはグーピル商会という超一流の画廊に勤めている、画商として登場します。
そこで彼を指して「ソルシエ」としているニュアンスがあるので、初めはテオのことを言っているのかなと思いました。でも、魔法使い度でいえばフィンセントもそうだよなぁ・・・とも思えるので、この「魔法使い」が誰のことを指しているのかはわかりません。


アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

ロートレックも登場してます。なんていうか、雰囲気が大正時代の書生に見えてしまう。
この時代、19世紀後半頃はまだ自分の描いた絵で、自由に個展ができるわけではなかったので、テオが色々と画策して用意した展示会について言った、ロートレックのセリフが印象的でした。

「これでやっと俺たちの絵を街の人々に見てもらえる」

誰もが自分の表現したものを気軽に発信できる現在から考えると、とても重い言葉です。


テオとフィンセントとの対比

テオは、それはスマートでクール。なのに情熱的な雰囲気を出してきます。
表紙の雰囲気からもクールさは読み取れると思いますが、こういうタイプって実は心の底が燃えてる人多いですよね。

それに対してフィンセントはやけにほんわかキャラ。
兄弟での違いを際立たせるということもあるのか、キレキレの弟と癒し系の兄、みたいな違う意味での萌え構図です。


ジェローム卿がヤバい

そして悪役(?)登場。ジャン=レオン・ジェロームはフランスの画家・彫刻家。
ゴリゴリの体制側の人として描かれていますが、このまま悪役として出演するんでしょうか。
調べてみると、なんとこの方、ルドンとかメアリー=カサットとか山本芳翠(ほうすい)とかのお師匠ではありませんか。テオに言ってあげたい、この人あのルドンのお師匠ですよって。


テオの希望と本音

 テオは超一流の画廊の画商なので体制側の人間なのですが、保守的なアカデミー側の人間が描いた絵だけが賞賛される社会に疑問を持ちます。

けれど体制側の人間は言います。
芸術は上流階級のためにある。それ以外の絵に意味はないと。

それでも、新しい芸術は生まれるし、その筆を止めることはできない。

「(そういう人間は)絵を描く以外に他に出来ることがないからだろ?」


「違うね、絵を描くしか生きている意味がないからだ」


この言葉は、巻末のフィンセントに対するテオの本音を痛々しく炙り出しているように思われました。


まとめ

最後のセリフは、個人的にダメージがありました、、、。

この記事を書いている途中で、初めに「油彩画が苦手」と言ったことについて、なぜなんだろうという疑問が浮かんできました。これまであまり考えたことがなくて、油絵具特有の濃密さや脂感や重さ、のようなものが感覚的に苦手だと思っていました。

ふいに「熱量」というワードが浮かんできました。そして自分が特に苦手と思う時代は、印象派前後です。この時代は絵画の歴史の中でも大きな変化点であり、そこには大きなエネルギーが満ち溢れていたことでしょう。だから絵画にもとても強い熱量がある。

「●ボクらが美術館に行く理由」の記事内でも、飽き性であることを書きましたが、これってアッサリ目の軽いものが好きだとも言えると思うんです(だからといって淡い色彩のものがアッサリとは限りませんが)。

そして子どもの頃に目にしてしまった重めな《星月夜》が忘れられないのは、ある意味トラウマなのかも知れません。

ということは、強火そうなゴッホ(兄)の絵なんか見れるわけないじゃない・・・
となるわけです。もう少し掘ると、多分怖いんでしょう、ゴッホ(兄)の絵が。見てしまったら、なにかすごいものを受け取ってしまいそうで。遠目の薄めでも圧がすごいのに。

でも、もういい加減いい大人になったので、そろそろ見れるのではないかと思い始めています(泣きそう)。見たくなる時が見たい時。それを確かめてみたい気もしています。あとゴッホ(兄)の強火時代は実は短く、そこしか見ていないからというのもあるかも知れません。



「アート系漫画1巻だけ読んでみた」をやってみた感想

漫画だからスイスイ読める♪と思っていましたが、深掘ると、これどういう意味だっけ?となって真剣に読むと結構時間がかかりました。

漫画は視覚から一瞬にして意識的に、また無意識的になにかを感じ受け取っているわけですが、きちんと読み取ろうとすると文章並みの情報量があったりするんですよね。でも絵であるが故に見逃している部分もあるわけで、見ているのに見えていないと言う矛盾。

それはつまり、漫画ってすごいってことなんですね(浅)。

この作品の中で、ゴッホ(兄)はとても天然に描かれていますが、手持ちのゴッホ関連の本を読んでみると、ゴッホ(兄)は相当、激しやすい性格として書かれています。そうです、すっかり忘れていました(耳のアレ)。
でも漫画は漫画の表現があり、テオに焦点をあてた設定がおもしろいし、いやむしろ自分的にはこれでちょうど和らいでいいかなって感じです。

この後、その耳のアレ事件まで、テオとフィンセントがどうなっちゃうのか気になるところです。

それにしても実在した人物の物語の感想って難しいですね。
描くほうはなおさらだと思います。

かわいいが過ぎるフィンセント。それでいい。



【参考】高階秀爾 『続名画を見る眼』,岩波新書,2011年第52版


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