【小説】『万華鏡ロジック』 五話


 昨日、4月3日午後8時ごろ都内に住む女性が両腕を切断された事件で、彫刻家の辻村伊佐治(32)が傷害容疑で逮捕された。
 同庁によれば、辻村容疑者は自身の自宅で医療用メスのようなものを使用し、女性の両腕を切断した後に自ら119番通報をしたとみられる。女性は都内の病院へ搬送され命に別状はない。辻村容疑者は「過去に衝動を抑えきれず、女性を切りつけた」などと供述しており、他にも余罪があると見られ警察は捜査している。

 ――被害者の女性は過去に身体完全同一性障害であるためカウンセリングを受けており、一連の事件に繋がったのではないか警察は関連性を捜査される見通し。

 それから間もなく――警察庁が辻村伊佐治の自宅を家宅捜査したところ、一室から40代後半とみられる防腐処理の施された腕のない女性の遺体と、遺体の一部とみられる二つの腕が小型の冷蔵庫から見つかった。辻村容疑者は「父親が殺した」と証言しているとのこと。
 警察はこの女性の遺体が行方不明届を出されていたはずの辻村伊佐治の母親のものとして、引き続き事情聴取と鑑定を進めている――



 私はリモコンを手に取って、テレビのスイッチをOFFにした。
 病室内の白い空間には私とユマの二人だけだ。マユは腕白いベッドに横たわっている。ユマの肩から下の腕は二つともなくなっていた。
 自ら腕を切断されることを望んだ女と腕のない女しか愛せない男。と、その両親に起こった悲劇。
 新たな事実が解明されていくにつれて世間からの関心を惹き、このセンセーショナルな件の騒動はメディアを駆け巡り連日のニュースやワイドショーはこの話題で持ちきりであった。

「どう? 体調は」
「すこし貧血だけど、私は大丈夫よ……まだ歩くときバランスがとりづらいけど、いつか慣れるもの」

 腕のないユマには太腿から点滴のチューブが挿されていた。患部から胸元まで固定されてグルグル巻きにされており第三者から見ると痛々しい。包帯からは薬品の苦い香りが届いた。

「同意があったとしても傷害罪って適応されちゃうのねー。ほんと、理不尽。だれか法律かえなさいよ」

「ワイドショーでも特集が組まれていましたね」

 関係ないのだが、皮肉なことに今回の事件により辻村先生の彫刻が次々と売れているようだ。

「看護師の誰かが話してたけどSNSでも凄く騒がれているみたい……」

 彼はもはや時の人であった。
 スマホで『辻村』の名前を検索すると、どんな女優やモデル、有名なタレントよりも『辻村伊佐治』の名前がトップヒットしてしまうくらいには有名なのだから。
 ネット上では辻村への変態、サイコパスなどという罵倒。被害者のユマへの好奇、揶揄、または一定数だが二人へ同情する書き込みも見られた。

「周りがどれだけ私をかわいそうだと言っても、私は後悔していないし、いまの自分に満足しているのよ」

 ユマはそう言った。淀みない匂いで分かる。この話が彼女の強がりではなく本心からそう思っているのだと。 

「それなのに、みんな関係ないくせに……部外者のクセに、勝手なことばっかり……」
「彼を非難する権利は誰にもありません」
「ほんとにそうよ! みんな暇なのね」
「……世の中の大多数の人間は、自分の人生に不満があるんだろうね。だから他人に構いたがるんだよ……他人の問題に構っているあいだは自分の問題と向き合わずに、少しでも現実逃避できるから」

 馨がそう言うとユマは「ハハッ、たしかにその通りだわ!」と笑った。

 そしてユマは少し左上に視線を向けて考えると、言うのだ。

「四葩さん、私、あの人と約束したの」
「なにを?」
「伊佐治さんが出所したら、そのときは私が迎えに行くって約束したのよ……だからそれまで私は待ってるわ」
「それはよかった」
 この情報化社会。出所された辻村とマユが一緒にいれば直ぐ誰かに特定されるだろう。
 きっと、世間が二人の関係を理解する日はこないのだ。
 けれど、この二人にとっての正しさを侵害することは最早、誰にもできないだろう。
 ユマに別れを告げて病室を出たときジーンズの左ポケットに入れていたスマホが振動をたててブゥーン、ブゥーンと鳴いていた。
 画面を確認すると〈零〉と表示されている。彼は従弟である。訳あって一緒に暮らしている。同じ家に住んで居るのだから、伝えたいことがあるなら私が帰宅した時に言えばいいはずだ。どんな用件なのか気になり着信に応答した。

『カオル、お前、今どこでなにしてんだ!』
「なにって……ツーリングだよ」
『嘘つけよ!』
「なに? ずいぶん興奮しているみたいだけど、急にどうしたの?」
『お前……たしか辻村と面識があっただろ。……四日前から報道されまくってる事件、まさかテメーが直接関わってる訳じゃねえだろうな!』
「ご想像にお任せするよ」
『はぁ!?』
「それじゃあ」
『オイッ! ちょっと待て――』

 零がなにか言っていたが詳しい説明は気が向いた時にしよう。
 そして、馨は病院をあとにする。駐車スペースに停めていた自前のバイクに腰を下ろし、ヘルメットを被ると鍵を回してエンジンを発進させた。
 その日は曇りひとつない絵に描いたような晴天だった。人通りの少ない道を走り抜けていく景色のなか、道沿いに蕾の綻んだ桜の樹が花を咲かせようとしているのが見えた。






 馨はアトリエに到着すると、そのままキャンパスや絵の具の用意された自室へ一直線に向かった。いまの彼女は絵を描くという一点のみに頭を支配されていた。
 曲直瀬馨〈雅号〉四葩ヨヒラは、高校生ながら新進気鋭と名を馳せる画家である。
 辻村伊佐治と馨があの日、アートギャラリーで出会ったのは決して偶然などではない。馨は辻村と出会う以前に彼の彫刻をインターネットに上げられていた画像の一つとして目にした事があった。辻村の造る作品は全面的に女体のトルソーばかりであり、馨が目にしたのはその内の一体である。説明するとしたら直感としか言いようがないのだが、馨は辻村の抑制された狂気を確信したのだ。
 この時から既に馨のなかでは辻村が絵のモデルとなる事は決定していた。辻村の生い立ちから所在地、外出する曜日と時刻と日付、彼女は持ちうる限りの技術を尽くして調べ上げ――。
 ――そして、当日……狙いを定めて近づいた。
 辻村と交流を持つようになって彼と過ごし、近くで観察していた馨は辻村の抑制され過ぎた欲望は近いうちに事件を起こすだろうと確信していた。実際、辻村は馨と交流を持ち始めて一ヶ月経過した頃には衝動をコントロール仕切れなくなり人を襲い始めた。ニュースで報道されていた通り魔事件を知った時から犯人の目星はついていた。馨は辻村が自分に邪な欲望を抱きかけている事さえも総て察していた。
 人の狂気や激しい情動を根源に絵を描いる彼女は辻村がどんな事件を起こそうと構わなかったが、しかし、辻村の欲望を呼び起こし尚且つ、その光景を自分の目でみとどけ、肌で感じなければ満足のいく絵を描く事ができないのだ。依然として馨の目的は絵を描くことただ一つ。理想的な立ち位置で辻村を傍観していなければならない。
 辻村の欲望を目覚めさせるために策を練っていた馨は自身のファンでありモデル候補の一人で悩み相談に乗っていたユマを辻村と接触させる相手に選んだ。

 辻村の葛藤と混沌とした抗えない欲望。ユマの執着。喜怒哀楽。肌で体験した感覚と、それらから思い起こされたイメージからアクリルを使用して描くことを決めた馨は絵具を筆に押しつけて床の椅子に座らず床に置かれているだけの白いキャンバスに向かって筆を動かした――

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?