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【掌編小説】白と黒

(あらすじ) 
白い無垢と黒い過去、そんな対比的な二つの話です。
どうしてもつぶらな目をした小鳥を、登場させてしまいます。



足を洗ったら探偵事務所を開業する。そんなことを思うようになった。

闘争で勝ち得て築いた情報網と本質を見抜くことに長けた能力を、「堅気」として活かしたいという思いはどこか暗い淵の中で灯り続け、消すことができなかった。

服従させる腕力、しのぎで多額の資金をつくる能力には自負があった。いずれ幹部候補として名前があがっていた俺のことを、親父も認めていた。

静まり返った部屋の天井を仰ぎながら、煙を吐き出す。そのまま非道を貫くだけでよかったのにと、小さく鼻で笑った。

煙草を消し、腕時計に目をやると九時半を回っている。席を立ってジャケットを羽織り、事務所を出た。

ホームから東口改札を出て、広場を通り抜ける。夜の外気に入り交じる油や甘い香水の匂いがべったりと鼻に付き、目が冴えるようなネオンと喧騒を搔き分ける。この街が縄張りだった頃の記憶が蘇っていった。

指定された古い喫茶店を前に、深く息を吸い込んでから扉を押した。客で埋め尽くされた店内をぐるりと見渡すと、一番奥で手を上げる「依頼人」の姿が見える。

よぉ、と煙草を燻らせる巨漢は黒いスーツに身を包み、左目の上にある痛々しい傷跡をサングラスで覆っている。還暦を越えているはずのその男の迫力は衰えることを知らないようだ。お久しぶりです、そう言って深く頭を下げた。

「直斗、久しぶりだな。」
「おかげさまで。親父も元気そうで何よりです。」
「十年ぶりぐらいか?月日が経つのは早ぇもんだ。突然、連絡して悪かったな。」
「いえ、こちらこそ連絡できなくてすみませんでした。」

親父はコーヒーを一口飲んで、えんじ色の椅子の背に深く凭れた。

「こっちは俺も入れて何人かの連中は幹部に上り詰めた。頭のキレるお前がいたら、今頃その席にいたはずだ。」

そんなことないっすよ、と言いながらも顔が綻ぶ。

その言葉の裏側に寂しさと愛情があることを知っている。覚悟を決め、「堅気」に戻ると言ったときの安堵と喜びの表情は今でもよく浮かぶ。

彼には二度命を救われた。一度目は絶望した大人から逃れ、辿り着いたこの街でごろつきたちに殺されかけたとき。そんな親父を追って、極道の世界へと足を踏み入れた。そして足を洗うと決め、若中から恨みを買った。彼らへの惨い仕打ちをしてきた当然の報いだと歯を食いしばりながら、血と涙が顔面を流れた。

いつの間にか止まった攻撃に朦朧としながら辺りを見ると、色鮮やかな龍の和彫りが映り、男たちは全員倒れていた。

目尻に笑い皺のできる俺の顔を見つめながら、大人になってもガキみてぇだな、と親父も口元を緩ませる。

「本題に入ろう、探偵直斗さん。今日の依頼は個人的な件だ。汚れ仕事じゃねぇから安心しろ。まぁ、それよりもたいへんな仕事かもしれないけどな。」
「どんなことでしょう?」
「白い妖精を見つけてほしい。」

凶暴な面をした男の口から出てきたその言葉に呆気に取られる。

「お前にははじめて話すか、四歳になるガキがいるんだ。・・・拓海は呼吸器系に疾患があって病弱で、今も入院してる。」

おとうさん、みて!

男は描かれた絵を手に取る。またその鳥かよ。ま、でもよく描けてるじゃねえか、そう言ってベッドに座る拓海の栗色の髪を撫でる。彼はくすぐったそうに照れ笑いを浮かべながら言った。

いつか会ってみたいなぁ、妖精さんに。

天井に向かってゆっくりと煙を吐き出してから、親父は一枚の写真を差し出した。ふわふわとした白い羽毛からつぶらな黒目を覗かせ、雪原に差し込む光を受けるように羽と長い尾が金色に輝いている。

「白い妖精。少し前に拓海にやった絵本に出てくる小鳥だ。随分気に入ってな、どうしても会わせてやりたいってわけだ。ただ、雪国の限定的な地域にしか生息しないらしい。相当たいへんだと思うが、直斗、頼めるか?」

サングラス越しに訴える瞳が光を帯びる。俺は力強く頷いた。

「親父のためなら何だってやりますよ。」

*****

北へと車を走らせ、連絡船で函館へと渡る。まずはいくつかのカルデラ湖を一日かけて探していった。

翌日、都市部に入り、大通りや公園を見て回る。気温に波はあるものの春めいてきた関東と、道内とでは体感が全く違った。寒さに震えながらダウンの首元を閉じ、雪で覆われた円山公園の原始林の中を歩いていく。

夕陽が一面を照らし、木々のシルエットが雪原に伸びる。ベンチに座り込んでため息をついた。途方に暮れながら腰を上げ、重い足取りで来た道を戻りはじめる。

歩いてくる一人の中年男性がぴたりと止まり、双眼鏡を覗き込んだ。視線を追うと、見つめる先で細い枝が揺れ、一羽の野鳥が夕陽へと羽ばたいていった。咄嗟に、その男性に駆け寄る。すがる思いだった。

国道を挟む広大な大地は静かな夜に包まれている。なぜだろう。走り抜けていきながら、闇に浮かぶ自然と一体となっていくようだ。ぽつぽつと見えていた民家の灯りはなくなり、しばらくして大通りから細い林道へと入っていく。

凍りついた雪の上を慎重に進みながらヘッドライトが反射する視界の中で、夜空に伸びる青い光が見える。近づくにつれて輝きは強くなり、直前で車を停め、目を細めながら歩き出す。

その光景に息を呑んだ。

雪を纏うカラマツにコバルトブルーに光る池。そこを飛び交う白い小鳥たちから金色の羽根が舞い落ちていく。上空から舞い落ちる光の粒を包み込もうと両手を広げる。すると何かがその中へと飛び込んできた。かじかむ手の平で広がるふわふわとした小鳥の温かさに、涙が出た。

本当はこの温かさが欲しかったはずだった―。

足から力が抜け落ち、しゃがみ込む。やがて嗚咽に変わり、静寂な冷たい森の中でその声が響いた。小鳥は首をかしげ、つぶらな黒目でじっと覗き込でいる。

背負い続けてきた孤独と過ちは春の光が照らす雪解けのように、
溶けていった―。

おしまい。

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