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その夜、二度目の奇跡

 滋賀行きの夜行バスの出発時間は23時30分。東京駅に戻るタイムリミットは23時15分。ならば、逆算して22時40分には退店する必要がある。しかし、時間は残酷に過ぎて行く。そして、グラスの中の麦酒も胃の中へ吸収されて行く。スリッパーズ吉田さんはお連れ様を鑑定中であり、なかなかタイミングはおとずれない。当然、僕は焦り始めていた。『やばい!』バス代を捨てて、帰りを24時間後にスライドすべきか、占ってもらうのを諦めるべきか。二択を迫られていた。

 自分自身に問いかけることにした。心の声を聞いてみることにした。『どう思う?』『どうしたいんだ?』って。心の声は正直だ。悩むほどのものでもない。一日の宿泊費を稼ぐことと、スリッパーズ吉田さんにもう一度会うこと。どっちが難しいのってことだ。当然、後者であり、今夜占ってもらわないでどうするのってことだ。もともと決断したことを実行に移すのは早い方だ。バス会社にキャンセルの連絡を入れるため、ポケットからスマホを取り出した。あと数分で時刻は22時になろうとしていた。その時、今夜二度目の奇跡が訪れる。男性が3階から2階へ降りてきた。そうだ、2階で待つ僕のもとへ、スリッパーズ吉田さんが来てくれたのだ。約束を果たすために。僕を占うために。これまでのデータが収められた分厚いファイルと一冊の大学ノートを抱えて。

(つづく)

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