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【たゆたえども沈まず】原田マハ・


「ゴッホの絵は生きているうちに一枚も売れなかった」というのは有名な話だ。

自分の耳を切り落として娼婦に送りつけるような奇行を起こすなど、精神を病んでいたこと。そして拳銃自殺したことも知っている人は知っていると思う。


明治の初めに「林忠正」という日本美術の画商がいた。
頭が切れ、挑戦的な戦略家でもある。
日本美術に関して圧倒的な知識と審美眼があり、フランス政府からも正式に文化人として認められた人物だ。
(実在する人物wikipedia)


日本の大ブーム(ジャポニズム)がフランスで起こる中、飛ぶように売れていく日本美術。
それを仕入れて売り捌きつつ、日本美術を普及するのがの仕事だ。



・重吉(林の部下←フィクション)
・フィンセント・ファン・ゴッホ

・テオ(ゴッホの弟)
が絡む形で物語は進む。

弟テオとゴッホは一身一体のような関係だった。
有名画商で働く凄腕の仕事人テオは、ゴッホ一家、特に兄を精神面でも金銭面でも支える大黒柱的な存在であった。

一方、兄ゴッホはというと、精神的に不安定で(精神病を患っていたことは明白)貧乏で、安酒を煽り、売れてはないが、見る人が見れば光るものを持つ絵を描き続けていた。


不思議だよね……人一倍絵画を観る目があるテオはなぜ兄の絵を一枚も売らなかったのだろう?
売る気になれば一枚ぐらいは簡単に売れたはずなのに。

ブルジョワからの信頼も厚く、テオが勧める絵は飛ぶように新興の成金たちに売れて行った。


やはり身内の作品故にニュートラルでいられず、自信がなかったのだろうか?それとも本当は認めていなかったのかも?

結局、ゴッホの絵は時代には新すぎたのかもしれない。
日本美術に大きな憧れと驚嘆を持って取り入れていくゴッホの絵。

日本の浮世絵「花魁」を真似た絵


見えるものを見えたように描かない独特の色遣いや荒々しいタッチは、その時代において斬新すぎたし、稚拙にみえたのかもしれない。
が、目の前に迫るような生々しさが何か新しいものを欲する人たちには新鮮に感じたはずだ。

「糸杉のある道」
筆致が独特で月星が大きく眩い

また日本美術はゴッホに確かに光明を投げかけたが「一枚も売れない」=「認められない」というのは想像以上に心えぐられる事実だったと思う。

この本でも弟テオが悔いる場面が出てくるが、どんなに献身的支援をするより一枚でも誰かにゴッホの絵を売ってみせることはできなかったのだろうかと私も疑問に思う
誰かが絵を買ってくれることがゴッホの心に大きな活力を与えただろう。


結婚して一般的な幸せを掴んだテオに対して、これ以上負担をかけることへの申し訳なさ、売れない絵を描き続ける虚しさにより、ゴッホは脇腹にリボルバーをぶち込んで自殺する。
その後、半年後にテオも精神病で息を引き取る。

最後に原田マハについて
この小説は事実を元にしたフィクションで、原田マハの想像力がフルに生かされることにより、物語が信憑性を帯びて美術の素人でもわかりやすく読めるようになっている。
文字が絵画のように浮き上がって、さすがという感じ。
ただやっぱり気になるのはフィクション感。想像力乙って感じで、事実を事実として追いたい自分には少々鼻白む作家でもある。



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