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【定期】平成に戻りたい症候群


おはようございます、こんにちは、こんばんは。

ポジティブ不安障害のDaiです。

今日は私の心にたびたび訪れる

平成に戻りたい症候群について

ちょっと書いていきたいと思います。


ちょっと話は変わりますが、みなさんが幼い頃、テレビの決定権はご自分が握っていましたか?

私の家庭では両親に決定権がありました。
まあ、当たり前なのかもしれませんが。

幼い時、テレビが唯一の娯楽のように感じていた私にとって、自分も楽しめる番組を両親が選択してくれるか否かはとても重要な問題でした。

そんな中で、たびたび放送される「昭和の名曲」的な番組や、「懐かしの〜」のような番組。

両親は、この類の番組を必ず観ていましたし、懐かしいだのなんだのと思い出に耽っているのでありました。

両親が幸せに浸ってくれるのは、いまの私の目から見れば大変に結構なことなのですが、幼き日の私には、昭和の名曲も昭和を彩ったなんたらも退屈極まりないものでした。

前置きが長くなりました。

そんな私も幼少期を過ぎ、所謂アラサーに突入。突入というか疑いの余地なくアラサーになりました。

そんな中で、時代は平成から令和に移り変わり、我らが「平成」も懐かしむ対象物として語ることができるものになりました。


みなさんにとっての平成はどんな時代でしたか?


私は平成が大好きでした。
令和も最高にする気持ちはありますが、それでもやはり平成は大好きでした。

ORANGE RANGE、ファンモン、GReeeeN、コブクロ、Aqua Timez…

曲を聴くと、その時に見ていた景色、感情、思い出どれもが鮮やかな色と共に蘇ってくるのです。

しかし、私が過ごしたその時代は、全てが順風満帆ではありませんでした。

社会不安障害にもなりましたし、初めてのカノジョとは1ヶ月も関係を続けることができませんでした。

野球の推薦で高校に進んで、将来はプロ野球選手になると意気込み、中学時代、地元の強豪クラブチームに入部しました。
そこでは、レギュラーにもなれず、自信も折れ、憧れた高校野球をすることすらありませんでした。

そんな失敗と挫折の方が多かった、良い思い出ばかりとは到底言えない時代でも、思い出される情景や感情は、そんな鬱屈とした気持ちを微塵も感じさせないほど鮮やかなものになるのです。

ゲームボーイもゲームキューブもプレステもガラケーも最高でした。


平成は、程よく自由で程よく満たされていなくて、そんな絶妙なバランスをとっていてくれていた時代でした。

時代は進んでいきます。刻一刻と便利な世の中、不満の少ない世の中へと基本的には向かっているようです。

でもそんな中で、ひとつ、またひとつと大切だったあれもこれも手放してきたように感じてならないのです。

もう2度と戻ることのない時代。もう2度と経験することのない不自由さをちょっとだけ羨ましく想う

そんな瞬間が私にはあるのです。

よかったらみなさんの意見も聞かせてほしいです。

ここまで読んでくださいましてありがとうございます。

まだまだ投稿していきますので何卒よろしくお願い致します。

では、また

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