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ポートフォリオ作りながら考えてたこと

まず、今すっごい研究内容考えてて、来年度の研究何やろうかなっていうのがずっと脳の片隅にあるんだけど、本当に悩む。
担当の教員はデザイン研究者として割とすごい人で、なのに2025年は大学からいなくなっちゃうらしい、、(自分の研究やる一年間みたいな?)
だから自分たちの研究室は今年で最後?!
メンバーも決まってきて、結構濃いメンツばかり。
仲良いやつも一緒になったけど、その子は優秀すぎて参考にならない。悔しい。

そいつに「研究内容何にするー?」って聞いたら、何言ってたかあんま覚えてないけど持続可能なデザイン的な。SDGsっぽくてあんま好感持てなかった印象と同時に、内容しっかり考えられててスッゲェ。確かにおもろそうって思った。悔しい。

一旦自分は空間デザインで攻めたい。一旦絞って考える。
なんで空間デザインなのかというと、建築に元々興味があって、建築学生の課題見たり、建築系の大学院卒業の先生から話聞いたり、そんなことしてたらほんまに建築やりたくなっちゃって。
建築の中でも空間デザインは自分が今まで学んできたことも活かせるし、バイトの関係上あらゆる某緑色カフェに行く機会があって。空間の面白さに気づいた。ますますやりたくなっちゃったってわけ。

でも、自分のやりたい空間デザインって、なんだろう。
おもちゃ作った時みたいに親子が自分の作ったおもちゃを見つめているのは、環世界に似ているような気もする。子供と同じ視点で凧を見つめる親はどんな気持ちなのだろう。
懐かしい?(ノスタルジック)
なんか嬉しいのかな。
その素敵な空間(というより空気?)をもっと作りたい!って思った。
環世界の課題は神社を作ったんだけど、人間の信仰するものをあえて破壊するというギリ無礼なプロダクトデザインしたけどそれは神社が信仰対象であるという共通認識を利用して、あえてその関係を取り壊すことで成り立つものだと思う。(解呪成功!的な)
視点の統一化ってあんま良くない気がするけどやりたいのはそーゆーことなんかな。
視点を統一しないデザインしてみたいけどな。

そういえばこの間、知り合いが出てる劇見に行った。
その劇は家の中と公園と野球場と過去の家と宴会場が出てくる劇で、それなのにセットは全く変わらない。変わるのは役者と環境音と少しの照明だけ。
なのに明転した瞬間、セリフ言う前に今何の場面だかわかる。まじ役者ってすごい。
時間帯によって変わる太陽の位置までも考えられているのか、なぜか太陽まで見えるような気もする。ってか、それを観客に感じさせることでさえすごいと思う。
これって観客の視点を統一してるんだよね。今どのように見えているのかが考え抜かれていて、どんな人が見ても同じように見える(同じ場所に見える)ようになってる。
だからこそ、舞台の見え方は人それぞれで、同じ舞台を見に行った人と話すと面白いんだよなって思う。

空間デザインに話を戻す。
空間ってそもそも何なのか。部屋って閉鎖的な空間って言われるから閉鎖されていない空間もあって、それも空間って呼ぶと言うことは、壁とかの物理的な隔たりは関係ない。
カフェで例えると、二人席で話しているカップルって二人席が「二人の空間」になってて、でもそこは「カフェ」っていう一括りの空間で。でも働いている人からしたら「3番テーブル」っていう空間で、何なら「厨房」と「フロア」に分けられてて、何ならそこは街の情景の中の一つのカフェだから「〇〇市」っていう空間の要素になってて、、、
自分がデザインした空間はなんか落ち着くし、でもなんかやる気出るような、なんて言ったらいいのかわかんないけど、総じて「過ごしやすい」場所がいいな。
それは人間だけじゃないし、生物だけでもないし、全部が全部「いい空間」であればあるだけいい。
そこではあらゆる視点で物事が見れて、どんどんアイデアが生まれて、でも頭はリラックスしてる。
何だそれ。何だそんな空間。完璧主義が出てる。
環世界に取り憑かれたくもないけど、環世界をもっと知ってほしい。環世界って言葉が正しいのかわからないけど、いろんなものの視点でものを見つめてほしくって、それができる空間デザインがしたいと思った。

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