私にとっての「社会と繋がりを持つ」ということ
社会に出る前に発症
私は、双極性障害という精神疾患を持っている。
発症は、17歳のとき。高校2年生だ。
つまり、社会に出る前に発症していることになる。
ついでに、不登校経験者でもある。
私は、社会のサイクルには入っていない人間という自覚がある。
でもそれは、社会的に見てよくないだとか、お金がないと生活できないからという理由で必死に仕事にありつこうとしてきた。
実際、そうやって仕事をしてきた。
しかし、今はまた、社会とはほとんど繋がっていない生活をしている。
強引なことをしても出来ないものは出来ない
「引きこもりにならないために」と、親や高校の先生は無理やり大学進学を決めさせた。
私は当時、1年間休憩したいと申し出たが、親と学校の先生によって却下された。
その時は、相手が大人で、自分が子どもであり、自分の意思は尊重されることがない、太刀打ちできないのだと、泣いて悔しい思いをしたことを今でも時折思い出す。
しかし、結果は、半年も経たないうちに、大学を辞めた。
おまけに、専門学校に行っても、症状が悪化してしまい、休学し、退学することになった。
無理やりだったとは言え、できなかったことに、私自身、絶望した。
しかし、親はこういった。
「なかったことにすればええねん」
私は追い打ちかけて絶望したと同時に、親の言うことを真に受けて聞いてはダメだと悟った。
親の言う通りにしたら、とんでもないことになるし、その責任は全部自分が負うのだと。
滑稽なことに、親の望んだような子にはならず、10年後も社会と繋がらない人間が出来上がった。
仕事をしている自分
仕事をしている自分は通常ではない。
異常な状態という感覚がある。
なんでもいいから働かないといけない、その一心で、仕事を探すし、仕事しようとしている。
果たして仕事はできるのか。
実際、仕事をしていた時期はあるのだから、出来なくはないのだろう。
ただ、その時は症状が落ち着いていた。
今は落ち着いていない。
ただの躁状態で求人応募している感が否めない。
本当に働けるのだろうか?
甚だ疑問は残る。
社会と繋がっていないことへの安心感
そもそも、私は社会と繋がりを持たないことに、安心感を抱いている。
社会と繋がることに、大きな恐怖感を持っているのだ。
その理由は、高校時代に受けたいじめがトラウマになっているからだ。
とはいえ、友達はいる。
皆、安全だと思える人たちだ。
その人たちと関わることができれば、それでいい。
それ以上を求めはしない。
これが本音だ。
安心安全な友達以外とは、もう関わりを持ちたくない。
私にとって社会とは、
社会に出る=恐怖心と戦う
だ。
これって、PTSD(トラウマ)だよなぁ。
カウンセリングの領域なのかなぁ。
お金がない!
でも、今の私にはお金がないので、カウンセリングはできない。
診察代だけで精一杯で、そのうち診察代も出せなくなりそうだから。
お金がないから、症状が落ち着いてないのに無理に働こうとして、案の定、症状は悪化して……
負のサイクルだ。
自分でホント、何やってるのかわからない。
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