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「今日は寝癖がひどいけど、私の髪はお利口さんだから、きっと明日は元通り」 第2話


#創作大賞2023



「今日は寝癖がひどいけど、私の髪はお利口さんだから、きっと明日は元通り」
 第2話 

(第1話はこちらです)
https://note.com/preview/n15fc26974ac8?prev_access_key=464f04ede99c77df068371a92f5b0e16

 かごめと一緒に駅前パルコの文房具売り場に行った。かごめは、
「これがわたしのお気に入り、銀色インクのボールペンなの」
 と、嬉しそうに話してくれた。好きな事を話す時、かごめの目はへの字になる。そんなかごめにぼくは、ほの字なんだけど。
「ところで43年後のトキオくん。わたしとの思い出の中で嬉しそうにしているところ、悪いんだけど、このところ仕事にも行かず、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。ぼくはかごめとちゃんと話せてるし。何もおかしな事、心配しなくちゃいけない事、なんてないよ」
「人が現実と呼ぶ世界では、どこまで行っても夢は夢で、せっかく見た夢も思い出す事すらなかったりするよね。でも、夢だから気にしない。それと同じ様に、夢の中で現実に思いを馳せる事なんてそうそうないでしょ?」
「そうだけど」
「ちゃんと話せてる、というのは、どちらの世界にいるかという支えにはなり得ないのよ」
「あの、理屈っぽいよ、かごめ」
「もう、あなたに言われたくはないわ。せっかく教えてあげてるのに」

 メモに書きつけて番号を渡すと、その場でスマホを取り出して、すぐに打ち込み始めた。
 あぁ、SNSの現代っ子、サイコー、と、今初めてミドリは思った。
「校内でのスマホ使用、オレは見てないからな」
 と、先生が誰にともなく言った。そうだ、佐々木先生は学年主任だから、ほんとは、より厳しい立場なんだ。と、気づいたミドリは、
「わたしが無理言いましてすみません」
 と、謝った。
 持ってきているトキオのスマホの電話帳で、矢崎、ヤザキ、ヤサキ、と、検索してみたけど、該当はゼロ件。
「もし当時の写真とかあれば、見せてもらえませんか」
 と、尋ねた。
「写真。何年卒でしたっけ、この辺りに残ってればですけど、正しく年代順に保管されているかどうかも、もうわからないんですが」
 と、3冊ほど、長机の上に出してくれた。
 確かに古い。めくっていくと、もうちゃんと留まっていない写真もあちこちある。ミドリにとっての手がかりは、持ってきた卒業アルバムと、さっき壁に掛かっていたトキオの写真だけだ。その印象だけを頼りに、古ぼけた写真の中に、トキオを探さないといけない。もしそこにトキオと一緒に写っている女の子がいたら、それがかごめさんなのかもしれない。

 虹とスニーカーの頃。部活のキャンプで、誰か歌ってた。今でもフレーズを覚えてる。けど、かごめは、人前では歌わなかった。歌ってる記憶がない。
 運動得意、って、タイプでもなかったよね。むしろ球技は苦手だったり。勉強では、なぜか古文に取り組んでる姿しか出てこない。クラスが違ったから、勉強に関する思い出が少なくても仕方ないか。頑張って、もう一つくらい思い出せないかな。思い出したいな。
「がんばれトキオくん」
 フェイスタオルだ。プレイボーイのフェイスタオル。最初、きみが気に入って買って、ぼくも真似してトキハの売り場で買ったのを思い出した。デザインがふたとおりあって、どちらにしようかしばらく悩んだ事も思い出したよ。
「そうだね、トキオ」

 スマホの写真は、くっきりハッキリ撮れるのに、40年くらい前の写真は、どれも輪郭が滲んだように写ってて、どの子も同じように見えてきて、トキオがいるのかいないのか、ミドリには分からなくなってきた。わたし、近眼だし。

「もし、もしもだよ、かごめ」
「うん、聞いてるよ」
「ぼくらがもう半年くらい付き合い続けてたら、高校2年の修学旅行、いっぱい思い出、出来てたよね、きっと。合掌造りの古民家の前とか、遠く日本アルプスを背景にとか、帰りのフェリーのデッキでとか、写真もたくさんあって、そうなると1枚くらい、どこかに残ってたかも」
「59歳の想像力、たいしたものね、トキオ。でも、実際はあなたを振った後だし、わたしの手元に残っている写真は他の人と写っているものなの、トキオ。このまま、想像の世界に入っていっちゃうの?短かったけど、43年間忘れていたけど、誰のものでもないふたりの思い出を、ちゃんと思い出すんじゃなかったの?もしも、のために、私はいまここにいるの?トキオ」

 しばらくして、写真が見つかった。ページの上にマジックで走り書きされている年でわかった。高1の夏。どこかのキャンプ場らしく、そこでの集合写真だ。言われてみれば、そうかもしれない、程度だけど、トキオが写っていた。写真をスマホで撮影させてもらい、ピンチインで拡大すると、クシャクシャの髪のトキオだった。女の子は7人。多分この中に、かごめさんが写っている、はずだ。
 みなさん、ありがとうございます、と、ミドリは丁寧にお礼を伝えると、部室を後にした。校門の守衛さんに、学生達が普段使っている駅への道を尋ねてみた。
 最初の四つ角を左に曲がって下っていく道が、ちょっと細いけど駅まで近いかもしれないと、教えてくれた。守衛さんにお礼を言って、教えられた四つ角を左に曲がった所で、ミドリはミネラルウォータをバッグから取り出し、半分くらいまで一気に飲んだ。
 わたしは何してるんだろう、と、まず頭に浮かんだ。駅まで降りると、車をとりにまた上ってこないといけなくなる。まあ、少しだけ歩いてみよう。

 ぼくらが歩いた駅への道には、よく赤いフェアレディZが停まっていた。グラマラスで、だけどシャープなフロントノーズのラインは、何度見てもカッコいいと思ったけど、それを突然断ち切ったようなリアデザインは、当時のぼくにはその良さがわからないままだった。

 ミドリにとって初めて歩く道は、本当はトキオと一緒に、思い出話とか聞きながら歩くのが正しい歩き方なんだろうに、と、思ってしまう。あるいは、トキオが過去をたどりたいのなら、トキオ自身が歩くべきなんだ。遠く離れたベッドで眠り続けるんじゃなくて。今度はわたしが、こっぴどく振ってやろうか、と、ミドリは少し意地悪く思ったけど、その自分の言葉に可笑しくなった。その可笑しみに背中を押されるように、ミドリは歩をすすめた。少し前を歩く学生が右に折れたので、自分も後をついて右に曲がった。左右を古い住宅に挟まれた、さっきよりもっと細い道だけど、まっすぐ抜けたその先に、地方都市の街並みが見えた。少し歩くと、視界いっぱいに街並みが広がった。ちょっとした展望台、高校生にとっては立派なデートスポットだ。トキオのiPadには、眼下に広がる街並みのくだりは出ていなかったけど、当時のトキオとかごめさんが、ここを通らなかったはずがない。トキオの代わりに書き加えてあげようか、と、ミドリは素直に思った。少年少女の思い出を、正しく記してあげたら、トキオも安心して目覚められるかも、と、思った。

 ぼくの誕生日。放課後。使われていない11組の教室の前の廊下。少し離れた所では、別のカップルが何やら話していたが、やがて左の渡り廊下の方へ消えていった。ぼくらふたりきりになった。その時間がどのくらい続くか、分からないけど。
「トキオ、誕生日だね、おめでとう。わたしの年に追いついたね」
「ありがとう。待っててくれて。ちょっとだけお姉さん」
「もう、ちょっとだけ年上ってことだけは、何年経っても変わらないね、くやしい。ねぇ、誕生プレゼント、何がいい?」
「プレゼントはいいよ、そんな。こうして祝ってくれてるだけで、ホント充分だよ」
「いいよ何でも。言って」
 かごめの言葉にいつも以上に強い意志を感じた。
「じゃあ、」
「ん」
「いつもよりずっと近くで、正面からきみの顔を見ていたい」
 ぼくの言葉の意味を、もう一度ゆっくり考えているかごめ。
 ぼくはゆっくりと、かごめに近づいた。大好きなかごめの顔を、正々堂々と間近に見られる。その距離5センチ。きみの肩越しには校舎のコンクリート製柱が見える。遠くへ消えていく渡り廊下を走る足音。ブラスバンド部の管楽器の音。いつまでもチューニングを続けてる。今この数秒、風景含めて全てを記憶していたい。その時突然気づいた。キス、出来る。愛しいかごめと。そして優しく抱きしめたら、なんて最高な誕生日なんだ。放課後の廊下には誰もいない。
 あの日の事を思い出しているぼくの傍らには、子猫が幸せそうに眠っている。後ろ足の肉球を触っても嫌がる様子もなく、自分の前足を枕代わりにスヤスヤ眠っている。スヤスヤと。

 ミドリは、トキオの実家に戻る途中で、地元のスーパー、マルショクに車を停め、今日の夕食と明日の朝食分の買い物をした。いつもは発泡酒だが、今日はビールを買った。2本。
 実家に着いたが、今度はお隣さんは顔を出さない。車から荷物を下ろし鍵をかけ、家の鍵を開け、入った。水道の水をしばらく出しっぱなしにしながら、食材を冷蔵庫に収め、テーブルを拭き上げ、ビールを1本取り出し、買ってきたサラダを器に盛り付け、テレビをつけ、グラスに注いだビールを飲んだ。半分まで飲んだところでテレビの音量を下げて、子ども達に電話し、母親にもう少しかかるかもしれないと伝えた。
 出来るだけ静かな番組にしたくてテレビのチャンネルを変えると、コロナ禍前の日付が収録日としてスーパーインポーズされたクラシック演奏があった。作曲家名も曲名も知らないが、今のミドリにはその方がいいのかも知れなかった。
 スマホに連絡が入っていない事を確認して、今日部室で撮影させてもらった写真を、再びピンチインで拡大した。ここに写っている女の子の顔を、ひとりひとり、トキオの卒業アルバムで見つけていくつもりだ。見つけられる自信はあまりないが。夜は長いし。ビールの助けを借りてみよう。

 ふたりの距離5センチだった誕生日、ぼくはキスしなかったんだ。
「そうだね」
「どうしてだろう」
「どうしてなの?」
「キスをしなかった事、ものすごく後悔している。ぼくは、きみを大事にしてるんだよ、って、理屈だけで、なんというか、自分をよく見せようとそればかりだったのかも。その見栄が、高校1年の男子が好きな人とキスしたいって気持ちを抑え込んだんだから、相当な見栄、だったんだろう。あの時ぼくは、心底きみにキスしたかった」
「もう、バカ」

 キャンプの写真の女の子、4人までは思いの外すんなりと見つけられた。多分、だけど。
 どの子もかごめという名前ではないし、関係を感じさせる名前でもなかった。冷蔵庫からビールをもう1本取り出し、プルトップを引いて開け、親指で缶を少しへこませ、ミドリはコップに注いだ。ひと口飲んで少し考え、買ってきた刺身のパックからお皿に盛り直し、パックに入ってたたまり醤油をつけて食べた。いつもなら地元でとれた魚の刺身が大好きなんだけど、やっぱりというか、ただ食事しているだけだった。スマホを確認したが、連絡は入っていない。あと3人。たどりつけるんだろうか。

 きみが部活から先にかえるとき、引き戸を開けて、閉めて、ぼくはそれを目で追って、ガラス越しにきみはぼくにむかって、ぼくにだけ軽く手を上げ、でも手は開かずに何かを軽く握るようにして、バイバイをした。ふたりだけのバイバイ、にぎにぎバイバイ。ぼくは幸せだった。かごめもそうだったよね、きっと。
「そうよ」
「こちらを振り向く事もなく慌てて帰った時は、次の日きみに会うのが怖かった、もう、何か変わっちゃったんじゃないかと思って」
「もう少しわたしを、自分を信じて、強くならなくっちゃ。ねえ、もっと楽しかった事とか、何でもない日常の事とか、思い出せないの、トキオ」
「窓越しのにぎにぎバイバイは、素敵な記憶だよ」
「そういう思い出、かき集めてみて」
「モヘアの手袋。モヘアってことば、教えてくれたのはきみだった。ヴァンフォーテンのように」
「ホント、知らない事だらけだったね、きみは。16歳にしては」
「ん。で、モヘアの手袋。プレイボーイのフェイスタオルの時のようにきみが見つけて、これ可愛くって暖かいっ、て、ウキウキしてたね。いろんなカラーがごちゃ混ぜに織り込まれた毛糸の小さな手袋。モヘアってのは、どこぞの産の山羊の毛、だったよね?ぼくも同じ手袋が欲しくて、その売り場に行って、でもプレイボーイのフェイスタオルとは違って、当時の男の子が身につけるには、なかなか抵抗がある色合いの手袋だった。なのに躊躇は一瞬で、きみのと同じものを持っていたくて、ワゴンの中を探したけど同じデザインのものは見つからなくて、しばらく悩んでからひとつ決めて、買った」
「どうしようもないね。自分を見失い始めた16歳」
「そう、どうしようもなくなってたんだ、16歳のぼくは。ぼくが間違ったのは買い物だけじゃなくて、だからぼくに合わなかったモヘアの手袋はすぐに穴があき、糸がほどけて、二度と元には戻らなかった。ぼくらのように」
「わたしたちのように」

 刺身を半分食べたところで、5人目を見つけた、多分。トキオの実家でわたしはひとり。同意を得る人はいない。先に進んでみるしかない。今日買ってきたビールは飲んでしまったので、1年以上前にトキオが買ってた500mlの缶ビールを冷蔵庫から取り出した。缶底の賞味期限はすでに切れているが、気にしない。プルトップを引き上げ、親指で缶を少しへこませ、ふたたびグラスに注いだ。程よくたつ泡を見ながら、わたしはトキオの同級生、あるいは、ものすごく奇跡的にかごめさん、本人に連絡がとれたとして、まずなんて話すつもりなのか、話せばいいのか、実は何も決めていない、考えていない自分と、突然向き合った。家では、こどもの事やら、かかってくる親戚からの電話への応対やら、で、何かと時間が過ぎて、だからこうして一対一で自分に向き合う事がなかった。この際、もう一度整理しよう。それも出来るだけ簡素にして始めよう。
 43年たって突然見た夢
 その後、現れた43年前のままのかごめさん(トキオにしか見えない)
 投げ出すかのように忘れた16歳の思い出を、拾い集めるように思い出そうとしているトキオ
 何かがきっかけで眠り続けているトキオ
 要はこれだけだ。で、わたしとしては、
 トキオをちゃんと目覚めさせる
 以前のトキオに戻す
 ここまで、固定電話の横にあったメモ書きに書きつけてみた。
 そのために思いついたのは、
 かごめさんを見つける。話をする。ヒントをさがす。たとえ電話越しでも、その声を眠り続けているトキオに聞かせてみるのもいいかもしれない。
 これは大変だ。どうなる事やら。

 翌朝、目覚めたミドリは母に電話して、変わりない事を確認すると、朝食のためのお湯を沸かした。スティック包装のインスタントコーヒーをお湯で溶いているときに、玄関のベルが鳴った。田舎の朝は早い。
「トキオの奥さん?坂の上の亀田です。隣のおいちゃんに昨日事情を聞いたんで、朝早いと思ったけど、会社に行く前に寄らせてもらいました」
「わざわざすみません」
「それで、トキオの具合は、どうなんですか?そんなに悪いんですか?」
「急変する事はないだろうと、言われているんですが、それでも日に日に体力が落ちているというか、痩せてきてると、この頃感じるようにはなりました」
「そうですか。なんて声かければいいか。お見舞いに行きたいけど、こういう時だからね」
「お気持ち、ありがとうございます」
「小学校、中学校の同級生なら、ある程度は連絡とれるので、あっ、これわたしの連絡先です」
 ミドリは差し出された名刺を受け取り、そこに記された名前と携帯番号を見つめた。
「あの、夫の高校時代の友達、分かりますか?」
「高校かぁ、高校からみんなあちこちに別れちゃったから、オレはわかんないなあ。トキオと同じ高校だった地元の同級生、いたっけかなあ。SNSの地元同級生グループで、聞いてみてもいいですか?」
「はい、お願いします」
 と、ミドリは答えるしかなかった。何かわかった時のために、自分の携帯番号を伝えた。
 では、と、言って帰る亀田さんを見送り、朝食をゆっくりと食べ終えたミドリは、ひと部屋ひと部屋掃除機をかけながら、時々スマホをチェックしつつ、昨日女子学生に繋いでもらった矢崎さんからの連絡がくる事を、祈るようにして待った。

 ぼくの誕生日の少し前から、きみはある企てに夢中になっていた。かごめの女友達の中でも、とびきり真面目な子に
「トキオが16歳になったら、ふたりで駆け落ちするの」
 というデタラメを、信じ込ませる、というものだ。何しろとびきり真面目な子だ。放課後(高校時代の物語は、決まって放課後始まるものだ)、その子に
「駆け落ちするってほんとなの?」
 と、ぼくは問い詰められて、
「えっ、聞いたんだ。う、ん」
 と、ほとんど言葉にならない空気音でモゴモゴと答えると、彼女はすぐに、信じた。
 そう答えて欲しいと、かごめに言われていた。そうだったよね、かごめ。

 1階に掃除機をかけ終わったミドリは、2階に掃除機を持って上がった。人が住まないと、部屋はすぐにカビ臭くなるってほんとだな、って思いながら、そして気分を落ち込ませないように、スマホからDEVOを流しながら、掃除をはじめた。
 トキオの弟の卒業アルバムがあったあたりに掃除機をかけているところで、DEVOの曲の音量が下がり、電話の着信を知らせた。掃除機を、少し乱暴に下ろして電話を取った。
「もしもし、」
「もしもし矢崎と言います、御手洗トキオさんの奥さんですか?」
「はい、そうです。電話ありがとうございます、ヤサキさん」
「いやー、初めまして、からですね。昨日、いつもは脳天気な後輩達から連絡があって、話を聞いて、びっくりしました」
「連絡いただきまして、本当にありがとうございます。藁にもすがる気持ちだったんですが、高校に行ってよかったです」
「ぼくは、御手洗さんのひとつ下の後輩なんですよ。先輩は、その、そんなに悪いんですか?」
 ミドリは、慎重に言葉を選びつつ、もしも、を少しだけ強調して矢崎さんに伝えた。
「分かりました。わたしはひとつ下なので、高1の時の御手洗さんのお友達は分からないのですが、先輩と同期で副部長だった、矢部さんとは、今でも時々連絡取り合っています。この状況、伝えてもいいですか?」
「はい。そしてこの番号も伝えてもらえないでしょうか?」
「分かりました、すぐに連絡とります。実は、御手洗先輩は、部長としてぼくらを指導してくれたんですが、卒業してからは、ぱったりと連絡が無くなったんです。あれほど部活に熱心だったのに。ぱったりと。そのギャップが、強烈に残っています。元気になったら、訪ねていって、そんな事とか、今でも何か書いていますか?、とか、色々お話したいです」
「あの、昨日部室で昔の写真を見せてもらったんですが、多分高校一年の時の夏のキャンプらしいのですが、その写真を見て、矢崎さんが入部した時もいた先輩かどうか、とか、わかるものでしょうか?」
「あーなるほど、えーと、ある程度は分かると思いますよ。奥さんがまだこちらにいらっしゃるのなら、もう一度部室に一緒にいって、見てみましょうか?」
「それは、とても有難いお申し出ですが、そこまでご迷惑をお掛けするのも心苦しいです」
「いえ、もう私たちの年になると、自分で何かをする、というより、誰かの役に立てれば、という気持ちの方が強くなってくるようで、むしろ、一緒に写真を見直してみたいです」
 ミドリは、繰り返しお礼を言いながら、矢崎さんの申し出を受け、今日の午後に再び高校の部室を訪れる事にした。なんでも、矢崎さんの同級生が、今高校の先生をしているので、話しをつけておいてくれるらしい。こんな優しい後輩に、なんでトキオは連絡をしてこなかったんだろう。さっき話に出た、トキオの同級生矢部さんを、トキオの携帯電話で探してみたが、やはりというか、該当ゼロ、だった。あなたって、そんな面を持っていたっけ?

 ミドリは、今度は駅の駐車場に車を停め、スマホの無機質な道路案内に従い、トキオの高校まで歩いた。上り坂はなかなかこたえて、途中で二度、水筒の水を飲んだ。
 正門では守衛さんが迎えてくれ、今度は学年主任ではなく、矢崎、と自己紹介してくれた男性と、奥田と名乗るこの学校で教師をしている女性が、文芸部の部室まで案内してくれた。
「矢崎くんからお聞きになってるかと思いますが、わたしも当時、文芸部だったんです。私たちの代、男子5人、女の子は6人で、面倒見がとてもいい副部長の矢部さんと、厳しくて部活に熱心な御手洗さん、ふたりが引っ張ってました。御手洗先輩は、なんとなくですが、少しみんなと距離を置いてて、例えば彼女さんとか、噂は聞いた事なかったですね」
 部室に入ると、昨日の女子学生が表紙が日焼けしている、昨日見つけてくれたアルバムを見せてくれた。トキオが一年の夏、キャンプの集合写真。
「夏のキャンプは、代々続いてたはずですが、わたしがこの高校に赴任した5年前には、なくなっていました。とうに、らしいです」
「この集合写真、見覚えあります」
 奥田先生は、写真を指差しながら、次々と名前を挙げてくれた。それでも女子2名、男子3名の名前は分からないそうだ。
「どの代でもどの部活でもそうかと思いますが、一年生は入部したものの、夏休み明けに退部する子が、ある程度の割合でいます。この写真で私たちがわからない方々は、きっと2年生になる前に辞めたのだと思います」
 結果として、2名に絞れた、と、ミドリは思った。
「矢部さんは写っていないんですか?」
 と、ミドリは尋ねた。
「そうなんですよね、何でも必ず参加していた矢部さんが写っていないな、と、思ってたんです。この写真を撮影していたか、まだ入部していなかったか、ですね」
 他の写真を見ていた矢崎が、自分たちとともに写っている矢部さんを見つけて、教えてくれた。面倒見がいい、と、言っていたが、写真ではなかなか精悍な顔つきをしている。後は、トキオの同級生の矢部さんからの連絡を待つしかないな、と、ミドリは思った。

 かごめの駆け落ち計画。その子は見事に引っかかって、騙されたと分かった時、涙ぐんで怒ってたそうだ。きっと、誰にも相談できず、夜も眠れず、日々を過ごしていたんだろう。だけど、どうしてかごめは、友達にウソついたんだろう。日頃のかごめらしくなかった。今思えば。
 ホントに駆け落ちしたかった
 お姉さんといつも比べられて辛かった
 お父さんが厳しかった
 勉強が嫌になってた
 チビ猫がペルシャに憧れたように、自分も憧れの地を探してみたかった
 ぼくがなんて返答するか試してみた
 などなど。あの時、どうしてそんな事を計画したのか、って、ちゃんとぼくは考えてみて、ちゃんとかごめの話を丁寧に聞くべきだったんだ。そういう時こそ、真正面からかごめと目を合わせて、話をしないといけなかったんだ。何か悩んでいたのかもしれない。誰にも話せなかったのかもしれない。話を聞いてくれるきっかけが欲しかったのかもしれない。今のぼくは、例えばそういう事が出来ているだろうか。
「かごめ。ごめんね」
「いいのよ、もう。43年前に終わった事だから。今のわたしは、どこかの道であなたとすれ違っても気づくことすらないんだから。あの時、わたしが企てた理由は、今あなたが考えた全て、全部なの。全部。大概の物事って、何かひとつだけの理由で起こるわけじゃないんじゃないかな。だから、トキオ。今あなたが大切に思っている人の話しは、ちゃんと聞いてね。多少あなたが忙しくても」
「ごめん」

 トキオの実家に戻ったミドリは、今日の話で絞れた女子学生2名から、かごめさんへの手掛かりを見つけるために、卒業アルバムの写真を、もう何度目だろう、見ていった。
 1本目のビールを飲み終わりそうな時に、ひとりを見つけた。名前はかごめ、ではない。
 2本目のビールを飲み終わっても、最後のひとりを見つけられない。どうして?やっぱり転校したのかな。と、考えている時に、スマホの着信音が鳴った。
「もしもし、御手洗さんの携帯ですか?トキオの同級生の矢部です」
「矢部さん、お電話ありがとうございます。妻のミドリです。こちらからかけ直しましょうか?」
「いえ、このままで大丈夫です。いやぁ、矢崎から今日の事も含めて、話は聞きました。ただただ、びっくりです。なんて奥さんに言葉をかけていいものか」
「お気遣いありがとうございます。今後、もしもの事があったら、この携帯にご連絡差し上げてもいいでしょうか?」
「もちろんです。ぼくらは、元気になったトキオの声を、聞けるように祈ってます」
「はい、ありがとうございます。ところで、ひとつお尋ねしたいのですが、部室で見せていただいた高1の時のキャンプの写真、どうしてもお名前がわからない方がいらっしゃるのですが」
「写真ですね。矢崎がメールで送って来てますので、この後メッセージで、分かる名前を送ります。左から順番に記載しておきます。わたしは後輩とは連絡取れていますが、同期で今連絡取れるヤツは、実はいないんです。それなりの年になってますからね。だからこれを機に、トキオが元気になったら連絡とって、いっぱい話したいと思っています」
「はい。ところで夫は、どうも高校一年の頃が、特に思い出深いようでして。特に親しくしていた方とか、いましたでしょうか?」
「あー、高1、ですか。当時ぼくはふたつ部を掛け持ちしててですね、文芸部へ頻繁に行くようになったのは、実は2年生にあがる前くらいからなんですよ。2年からトキオが部長、ぼくが副部長で、お互いの家で原稿書いて徹夜したり、結構ぼくらは仲良かったんですが、1年の時は、トキオ、どうだったかな」
「そうなんですか。あと、同級生で、転校したため、卒業アルバムに写っていない方とか、何か覚えがありますか?」
「卒業アルバムに載っていない同級生ですか、いたっけなあ。転校した人とか、その、事故で亡くなった人とか、そういう人はいなかったと思いますが。それが何か?」
「いえ、あの、夫の高校時代の走り書きに、かごめ、とあるのですが、アルバムにはそういうお名前はなくて。心当たりありますでしょうか?」
「あの、失礼な言い方で申し訳ないのですが、奥さんとわたしはお会いした事がなくて、トキオは高校時代の親友ですが、卒業後音沙汰なくて、それで、突然の電話でのお話で、わたしはそもそもどこまで素直に信じてお伝えしていいのか、今少し考えています」
「ごもっともだと思います。今わたしは、トキオの実家にいます。お互いの実家を行き来していたようですので、もし、トキオさんの実家の電話番号が分かれば、お電話ください。わたしがすぐとります。それと、トキオさんと暮らしている家の固定電話番号と、住所をメッセージでお送りします。家にはわたしの母がいて、子どもふたりとトキオさんの面倒を見てくれています。事情を確認して下さい」
「わたしは、トキオの実家の電話番号、暗記しているんです。40年以上経った今も。何故か。たまに電話していたんです。わたしが結婚した時、部活同窓会する時、とか、トキオのお母さんに伝言頼んでいました。今から電話してもいいですか?」
「はい、お願いします」
 思いの外大きなベルの音に、ミドリはビックリしつつ、すぐに受話器をとった。
「矢部です。確認させてもらって、失礼しました。でも、ある意味、ホッとしました。それで、かごめ、でしたね。いやー、人の名前では心当たりないですね。すみません」
 矢部との電話を終えたミドリは、近くの自販機まで歩いてビールを買いに行く事と、明日お昼前にはこちらを出て、家に戻る事を決めた。トキオの告白文くらい熱烈な恋愛だったら、もう少し同級生とか、何かしらの記憶がありそうだけど、そこにはたどり着けなかった。かごめさんと思われる少女が写っている古びた集合写真1枚に出会っただけだ。少しして矢部さんからのメッセージが届いたが、その少女のところは「新坂」とだけ書かれていた。すぐに卒業アルバムで新坂を探したが、かごめという名前ではなかった。ここには写っていなかったんだ。あるいはわたしがまだ見落としているのか、だ。
 人との距離をとってて、卒業後は連絡をしていなかったトキオ。かごめさんに振られた事が、よっぽどこたえたんだろうな。
 ミドリは、そんな風に思えてきた。

 フラッシュバックのように、きみの姿を思い出したよ、かごめ。多分、これがぼくの中で一番最初にきみを見た記憶だ。
「どれどれ」
 と、かごめはぼくの記憶をのぞき込んだ。もちろん、物理法則はとうに飛び越えて。
「ああ、これね。部室の中。この時わたしからは、男子同士楽しそうに、ホント楽しそうに話しているトキオが見えてたよ。他の子は椅子に座ってたけど、トキオは立ってたね」
「そしてかごめは、いつもの女友達が横にいて、ふたりで何やら話していたけど、その時ぼくは、少し離れていたけど、初めてきみを正面から見る事ができて、なんて魅力的な子なんだろう、って、素直に感じた。まだ、恋というには早すぎたけど」
「わたしにとってのトキオの最初の記憶は、もう少し前なの。先に文芸部に入ってたトキオは、先輩達に混じって部員勧誘のビラを配ってた。わたし、トキオからビラを直接受け取ったんだ。違う、トキオが、わたしに、渡した。しっかりと。わたしの目をしっかりと見ながら、放課後、部室、見学に、来て下さい、ぜひ、って、言った。はっきりと。ビラを受け取った時、ほんの少し、かすかだけど、指先が触れた気がした。だからわたしは、文芸部に入ったの。学校から家まで1時間30分かかる列車と、20分の歩きが必要だけど、部活に入ると帰りが遅くなるんだけど、けど、入ったのよ、トキオ。あなたをもう少し知りたくて」

 あぁ、思い出した。みんなの登校時刻。ぼくは前の日に先輩達と刷った入部勧誘ビラを持って、1年生校舎を背にして立っていた。登校する同級生にビラを渡しているその先に、歩いてくるその少女がいた。ぼくは田舎育ちで、だからという訳でもないんだろうけど視力は良くて、割と遠くからその少女が、はっきりと見えた。すでに女の子でもなく、だからといって女性でもなく、少女そのもの、だった。段々とその子は近づいてきて、ぼくは出来るだけ自然にその子にビラを渡したくて、より多くの人に渡しつつ、そして少女の隣にいた子に渡して、それから少女に、しっかりと、目を見ながら、ビラを渡した。受け取ってくれたその少女は、軽く会釈してくれたように見えた。
 ぼくは、名前も知らないその少女が見学に来てくれる奇跡を、祈るしかなかった。その少女は、見学だけでなく、入部した。奇跡は、起こるものだ。でも、人生の中で何回起こるのか、いつ起こるのか、もう二度と起こらないのか、それはわからない。だって、奇跡、なのだから。いずれにしても、これがぼくらの正しい出会いの記憶だ。思い出した。

 トキオが突然、思い出した、と、声を出して、そして目を開け、しばらくわたしを見つめて、そして身体をゆっくりと起こした。トキオは、目覚めた。3週間ぶりに。
 ミドリの表情が、驚きから安堵にゆっくりと変化する様を視線を外さずに見つめながら、ぼくはゆっくりと身体をベッドから起こした。
「大丈夫?」
 と、ミドリ。
「うん。めちゃくちゃ寝てたような気がする。寝過ぎで頭が痛い感じかな」
「もう、3週間ずっと、寝てたのよ」
「えっ、さすがにそれはないやろ?」
「みんなに心配させた挙句、のんきなものね」
 その後、腰が痛い、足が震える、お腹空いた、と、以前のとぼけた口調で喋りながらトキオがリビングに行くと、こどもたちはお父さんに飛びついて、そのままひっくり返りそうになって、腰が痛いよぉ、と、みんなを笑わせて、そしていつもの御手洗家に戻った。

 家族4人での食卓。今日は栗ごはんだ。ぼくの大好物。向かいに座るミドリに感謝しつつ視線を向けると、
「ちょっと塩が足らなかったかもしれない。自分の好みでかけてね」
 と、ミドリが微笑む。その時インターホンが鳴った。
「あっ、お母さん、amazonで西岸良平が、届いたんじゃない?」
 と、次男が言い、ミドリは箸を置いて席を立った。
 空いた席には、かごめがすわっている。
「トキオ」
「かごめ」
「トキオは、今のわたしに会いたいの?」
「いや、そうじゃないと思うよ」
「でも、偶然にわたしと出会う事、想像したでしょ?例えば今のインターホンとか」
「そうだけど」
「じゃあいいわ、もし、偶然にわたしと出会ったら、どうしたい?」
「んー、元気ですか?って聞いて、」
「ありきたりね、平凡くん。それから?」
「それから」
「ん、それから?」
「もしよければ教えて欲しい」
「何を?」
 どうしても思い出せないんだ。
 きみの誕生日。
 そしてふたりだけの呼び名ではなく、
 本当の名前を。
                   完


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