見出し画像

「一緒に笑えるって、いい事」前編

前編

 東別府駅を出発した電車は、次の停車駅、別府に向かっている。海を正面に眺める席に座っていた僕は、高校卒業まであと何度この電車に乗るのかなあ、と、ぼんやりと考えていた。特に感傷に浸ることもなく。寒さが和らいできた3月の週末、乗客はいつもより多い。海が見えない。残念。車内アナウンスが、別府に着く事を告げる。僕はもう少し先の無人駅で降りるので、席に座ったまま。やがて停車した電車の扉が自動で開き、どやどやと乗客が降りる。それでもふたつ先の観光地が目的なんだろう乗客が、まだそれなりに残っている。そして、乗車して来た客に紛れて僕の隣に座ったのは、かごめ、だ。席に座る直前に、かごめは僕に気づいて、一瞬動きが強ばり、躊躇した様に見える。僕が勝手にそう感じただけかもしれないけど。かごめ以上に強ばっているのは、僕の方だ。学校の廊下ですれ違う時も、パニック気味だったし。席に座ったかごめの前に立った青年が、かごめに話しかけている。かごめはそれに答えている。僕が前を向いたまま集中しているのは、その話の内容ではなく、
 このままこの席に座ったままでいるか、
 どうか、だ。
 発車を告げるベルの音。僕は立ち上がり、立ったままの乗客と肩がぶつかりながら、閉まりかけている扉をすり抜けるように、電車を降りた。僕の後ろで、かごめと青年を乗せた電車が、ガタゴトと音を立てて去っていく。僕は、少しでも動いたらふたりの電車を目で追ってしまいそうで、リュックの肩紐をキツく握ったまま、しばらくそこに立ち尽くした。訳もなくホームのひび割れたタイルを見つめて。向かいのホームに電車が到着するアナウンスが流れる中、僕の視界にフレームインして僕をのぞき込んだのは、ツグミだ。ツグミ。かごめのみっつ上のお姉さん。
「奇遇ねえ、御手洗くん」
「こんにちは、ツグミさん。お久しぶりです」
 声がかすれてしまう。
「ホント、お久しぶり。2年くらいぶり?あなたたちが別れて以来だから」
「歯に衣着せぬ、って言い方覚えたのは、ツグミさんのおかげです」
「それって嫌み?つまんないジョーク?相変わらずベルボトム履いてるから、話もつまんないんじゃないの?」
「悔しい気もしますが、言い返せません。2年経ってもツグミさんには勝てません」
「ふーん、少しは素直になったんだ。ところでさ、御手洗くん、どうしてこの駅で降りたの?」
 僕はもちろん、ギクっとした。きっとそういう顔になっている。
 さっきより僕に近づきあらためて顔をのぞき込んだツグミさんは、
「彼氏といるかごめに会って、同じ電車に乗ってるのがいたたまれなくなったから、あと先考えずに降りたんだ。そうでしょ?純情くん」
 もしかしたら僕は自分の顔に「昔フラレた彼女の隣の席が怖くて逃げて来ました」って貼り紙してるのか?居なくなった猫を探すチラシのように物悲しく。
「どうせ暇でしょ?クリームソーダご馳走してあげるから、ちょっと付き合いなさいよ」
 と、言い終えるとツグミさんは僕の右ひじを左手でつかんで、ズイズイと改札口に向けて歩き出した。

 駅高架下のパーラーはそのまま通り過ぎ、海へ向かって駅前通りを下ってふたつ目の信号を右折。昔ながらのアーケード街。今はシャッターが閉じている店が半分だ。やがて、喫茶西海岸、という看板のお店に僕らは入った。というか、ツグミさんに半ば押し込まれる様に入った。窓際の席に向かい合って僕らは座った。お冷を運んで来てくれたウエイトレスさんに
「クリームソーダをふたつ下さい」
 と、ツグミさんがメニューも見ずに注文した。
「ツグミさんは、よくこのお店に来るんですか?」
「んー、たまにね。というか、他は知らないかも」
「あの、」
「なあに?」
「そもそもですが、どうしてここにいるんですか?」
 ツグミさんはキョトンとしている。
「だってツグミさんたちの家は別府じゃなくて大分市の、それも別府とは反対側の東の方じゃないですか」
 キョトンから、ニッ、に変わったツグミさんは
「そっか、そんな事すら知らないんだ。父親の転勤で1月から別府に引越してきている事すら」
 えっ、と、声にならない声を発しながら、僕は立ち上がるように腰を浮かせてしまった。でも、力が入らず、発射に失敗した昔のロケットのようにそのまま席に腰を下ろした。
「御手洗くんは別府の先の日出町だったよね。2カ月以上、大分市へ同じ電車を使って通学してて、偶然会う事もなく、引越しを知る事もなく、過ごしてたんだ。まあ、受験真っ最中だったしね。それにしても、」
 と、イタズラっぽく少し間を置いて、
「あなた達、つくづく縁が切れちゃったんだね」
 ここまでズケズケといわれると、むしろホッとする、というのも、ちょっとウソっぽいけど、ツグミさんにはそう思わせるトコがある。
「今日は、かごめの彼氏がウチに来たの。あなたが初めてウチに来た時のように、母と私もそろってお出迎えして、品定めしたってわけ。思い出した?2年前の事」
「多分、2年と半年前ですけど」
「あらら、細かい事覚えてるのね。で、ウチにしばらく居たあと、ふたりで鉄輪の地獄蒸しデートに行くっていうから、駅までついて来てお見送りしたってわけよ」
「地獄蒸しデート、ですか」
「でも、びっくりしたわよ、かごめと彼氏が電車に乗ったと思ったら、御手洗くんが泣きながら降りてくるんだもの」
「泣いてませんよ」
「胸の奥で泣いてたわよ、私にはあなたの心が手に取るようにわかったもの」
「じゃあ、今の僕の気持ちがわかりますか?」
「あれれ、ムキになっちゃって、まだまだ子どもね。そうね、あなたの今の気持ちは、このまま知らなかったフリして鉄輪に行って、ふたりのデートをのぞくか、それとも、」
 と、言ったところでツグミさんは少し身体を僕の方へ乗り出し気味にして
「声かけてくれた私に感謝して、心の中で泣いている、でしょ」
 僕は、ハッキリと口を開けて、アハハ、と、笑った。こんなに上手にアハハと笑えたのは、いつ以来だろうか。
「ツグミさんにはやっぱり勝てないなあ。その通りかもしれないです」
「その通りって、デートをのぞく?」
「違うでしょ、声かけてくれたツグミさんに感謝してるって事です」
「なんだ、素直にちゃんと話せるようになったじゃない、いなかっぺ大将くん」
「僕はいなかっぺかもしれませんが、大将ではありません」
 と、いうところでクリームソーダがふたつ、僕らのテーブルに運ばれて来た。
 いっただっきまーす、と、ちゃんと手を合わせていうと、嬉しそうな顔してツグミさんが、まずはストローでソーダを飲んでいる。
「わたし、クリームソーダのために生きているのかもしれない」
 と、ますます嬉しそうな顔。僕は、小さな声でいただきます、というと、アイスクリームからとりかかった。
「ねぇ、御手洗くん」
「ちょっと待って下さい、ツグミさん」
「どうしたの?やっぱり鉄輪に行きたい?」
「そうじゃなくて、このクリームソーダ、めちゃめちゃ美味しいです」
「それはよかった。なんか、変なトコで力説するのね、君は」
「それがいなかっぺ、という事ですか?」
「それとは違うわよ。見ようによっては、可愛く見えたりするかもね」
「そこだけはだまされませんよ。僕は自分の容姿、言動が、可愛いとは対極だって事くらい、小5からわかってますから。だまされません」
「人生達観すべきはそんな事じゃないんだけどね」
「また、煙に巻こうとして」
「18歳の男の子って、みんなあなたくらい子どもっぽいのかな」
「知りません。いくら考えたって、分からないものはわからない、って事は、ようやく分かりました。それと、」
「なあに?」
「なぜか、話し相手になってくれる女性って、ほぼ、年上なんですけど、それって、何かあるんですかね?」
 私はおもわず、ダハハ、って、笑ってしまった。口元隠さず、ダハハ、って笑うのはきっと久しぶりだ。なんなんだ、この御手洗って、純情くんは。
「そんなに可笑しいですか?」
「いや、そうじゃなくて。いや、そうだね、可笑しいよ充分。君って、ふけた顔してるのに、よく言えば子どもっぽいし、まあ、成長してないというか」
「それに似た事って、2年半前にも言われました。ツグミさんに」
 私以外に、この子に興味を持つ年上の女性がいるとしたら、会って話をしてみたい。きっと夜通し話せる気がする。
 あれ、ツグミさんの口元、まだ笑っている気がする。
「何まだ笑ってるんですか?」
 キャハハ、って、また笑ってしまった。
「ねえ、御手洗くんって年上は大丈夫?」
 大丈夫って聞き方、大丈夫かな?
「何、急に言ってるんですか。あの、客観的という事で、いいですか?」
 ほら出た、客観的発言。
「客観的だなんて、そんなトコがダメダメなんよ、御手洗ちゃん。いや、そうか。君はまだかもめに未練があるから、好き嫌いのなんという事もない話も、客観的って、断っとかないと、自分が許せないんだ。だって、乗り合わせた電車から必要もないのに飛び降りるくらいだもんね。泣きながら」
「だから、泣いていませんって」
 僕は急に、話してしまおう、という衝動に駆られた。いや、話したいという気持ちに、背中から蹴飛ばされた。でも話したら、もう、かごめとのつながりは、正真正銘、終わってしまう事を、なぜだか悟った。
「好きなんです。今でも。ずっと。人は未練というかもしれませんが、きっと未練なんでしょうけど、変わらず好きなんです、かごめを」
 私の手に負えないかも、と、思った。
「なるほど。抱えてしまってたなら、まず誰かに話してみる事だね。今回その相談相手が、意中の人のお姉さんというのは、なかなかだけど。そもそも君は、そういう自分の事、客観的にみてどう考えてるの?得意でしょ、客観的」
 客観的。
「客観的、ですか」
「例えば当人はあなたじゃなくて、かごめを好きなのはあなたの友達だとして、あなたはその話を聞かされた場合、って事よ」
 ツグミさん、少しイラついて来てる?無理もないけど。僕が原因だし。
「んー、フラれたんだという事を、まずは自覚すべきだと言うと思います」
 なんだって?
「ちょっと待って、ちゃんと分かってるんじゃない。もう」
「正解、ですか?」
「大正解よ」
「何度もなん度もその事は考えて、自分に言い聞かせました」
「だったら、」
「そう、だったら、ですよね。でも、」
 なんて悲しそうな目をしてるの、この子は。
「でも?」
「そう、でも、なんですよ。分かってはいるんですけど、頭から離れないんですよ。かごめの事が」
 この2年間、誰にも話せないでいた事を、よりによって、かごめの姉に打ち明けてるなんて。
「御手洗くん」
「はい、ツグミさん」
「私からあなたに話してあげられる事ってたいしてないし、」
「あっ、遮ってごめんなさい、ツグミさん。僕がこんな事をツグミさんに話してるのは、かごめとの事をなんとかしてもらいたいとか、そんなんじゃないです。僕はただ、誰かに話したかっただけかもしれません。ごめんなさい。誰でもいいような言い方で」
「そうね、そこはあなたの言葉を信じるわ。ただ、私がさっき言いたかったのは、今の私が、あなたよりみっつ年上の私が、話してあげられる事は、きっと全部あなたの頭の中で、それはいっぱい考えて来たんだろう、ってこと。でも、結局、元に戻るのよね。ふと、かごめを思い出しちゃう、って事ね」
 私、何言ってるんだろう。日本語としてすら成立してない気がする。御手洗くんは、ストローを持ったまま手が止まってるし。
「いや、そうなんですよね。もう、どうしようもないんですよね。僕、大学は福岡へ行くんですけど、」
 と、いうところで、チラッとツグミさんを見たけど表情に変化はない。そこには興味ないんだろう。当然だけど。
「それで、大学が決まってから引越しの準備をしてて、かごめとの写真とか手紙とか、全部燃やしたんです」
「なるほど、2年間じっと持ってたというのもなんだけど、まあ、頑張ったじゃない。気持ちの整理ってヤツね。じゃあ、大丈夫なんじゃない、もうちょっと時間がたてば。卒業して、それぞれの場所で、それぞれの時間を過ごし始めれば」
「そうでしょうか」
「そうでしょうよ」
「僕、かごめにフラれてから、自分の気持ちの整理のキッカケをつかみたくて、それはいろいろな本を読みました。文芸部でしたし。古典、と言われているものも、最近のベストセラーも読んだんですが、どれも浮気や横恋慕の当事者が主人公で、フラれた脇役のその後の苦悩や解決策なんて、どこにも書かれてなかったんです」
 青春だねえ、御手洗くん。
「時が解決してくれる、って事かな、君に今言えるとしたら」
「なんか、ツグミさんに絡むようになっちゃいますが、人は解決するために歳を重ねるんですか?それじゃ、歴史という人類の叡智って、今の僕には幻想にすぎないんです。毎朝、毎昼、毎晩、毎夢、逃げ出したいのにどっちに行けばいいのかも分からない。つらいんです。もう18だし、分かった風な口をきくことも多くなってると思いますが、実のところ自分の気持ちすら2年間持て余してて。これがミジメ、という事なのかな、と、思います」
「内に籠ると理屈っぽくなるよ」
 言っちゃった。
「まあ、君の気持ちも分からなくもないけど、もう、いいんじゃない?私はあまりというかほとんど本は読まないけど、人との付き合いって、出会いと組合せ、相性、なんじゃないかな?出会っても、相性が良いかどうかはそれからだし、相性が良くないのに、いつまでも出会った事を引きずってたら、相性のいい人との次の出会いを失うかもしれないし。それでも、忘れられない人がいるんなら、もう、ひとり苦悶の日々を過ごすしかないでしょ。私は出来ないけどね」
 理屈っぽくなってるのは、ワタシ、だ。
「ツグミさんは、こんな風にどうしても忘れられない経験はないんですか?」
「ないよ。そもそも私がフラれるワケないでしょ。フル事はあっても」
「そっか、そうでした。そうですよね」
 ずっと持ったままだったストローと、一緒に添えられたスプーンを使って、しばしクリームソーダに取り組む。一瞬だけ隣同士になったかごめの事を、やはり思い出してしまうけど。小さな花柄のついたワンピースに、赤い靴。ああいう形の靴って、なんて呼べば良いのかな。
「あの、ツグミさん」
「?」
「今日、かごめが履いてた靴って、なんというタイプの靴なんですか?」
「まだそんな事言ってるの?」
「いえ、そうじゃなくて、僕ってホント世間の常識とか、何も知らないな、って、福岡へ行く準備しながらつくづく思うんですよ。だから、ひとつひとつ知っていこうって思って。それだけです」
 絶対違うね、この子。
「まあ、いいわ。確か今日はフラットシューズだったと思うけど。けど、こんな事聞いちゃうと、新天地福岡で出会う女の子の足元を見て、あっ、かごめと最後に会った時に彼女が履いてたフラットシューズだ、とか、余計な事思っちゃうのよ、君のようなタイプは。あれれ、そもそも君って、妙に明るい脳天気タイプじゃなかったっけ?人柄変わっちゃうほど、いっちゃってるの?」
「歯に衣着せぬ物言い、全開ですね、ツグミさん」
「クリームソーダ分は、言わせてもらうわよ」
「10年後、20年後の僕は、きっとフラットシューズより、クリームソーダを思い出しますよ」
「そ。そういう事よ。ちゃんと目の前を見るって事は」
「そうか、そうかもしれませんね。素直に助言を聞いてもいいかもですね」
 振れ幅大き過ぎて、前進してんだか、後退してんだか、いまだにつかめないな。年頃の男の子って、こんな感じだっけ?
「まあ、いいわ。まだ時間ある?」
「悔しいですけど、予定と言えるものは、全くないです。あの、ツグミさん。まあ、いいわ、っていうのは、ツグミさんの口癖ですか?それとも僕がだらしないから、そう言わせてしまってるんですか?ごめんなさい、どうしても気になって」
 今日2回目のキョトン顔のツグミさんだ。
「妙なトコをちゃんと聞いてるのね」
 と、ツグミさんはつぶやくようにいうと、左手を軽く挙げて、すみません、と、さっきのウエイトレスさんを呼ぶ。やって来たウエイトレスさんにメニューを見せながら、
「これふたつと、そしてこれをひとつ。一緒に持って来てください」
 と、注文した。そのオーダーを手元の控えに書きながら、ウエイトレスさんは、僕をチラッと見た、気がした。何を頼んだんですか、と、聞こうとした僕を制するように、
「ねえ、御手洗くん」
「はい」
「さっき、電車でかごめの彼氏、見たわよね」
「まあ、そういう事になりますね」
「で、どうだった?」
「どう?」
「そう、どう感じたかって事よ」
「実は、何か発表出来るほどは、見てはないんです」
「またまたあ。気にならないワケないでしょ、普通。これだけゾッコンな女の子が連れてるお相手なんだから」
「まあ、普通、は、きっとそうなんでしょうけど。あの時、よりによってかごめが座ったのは、僕の隣の席だったんです。あまり席も空いてなくて、多分、彼女は最初僕に気づかなくてその席に座ろうとしたんじゃないかと思います。もしかしたら、その相手の男の人が促したのかもしれません。そこ、空いてるよって。だからその相手の観察より、隣に座ったかごめに身体が触れないよう、左半分に集中して息を止めて、このまま座っとくかどうか、発車のベルに急かされながら考える事で頭がいっぱいだった、と言うのが、正直なところなんです」
「あらら。よりによって、よね」
「よりによって、ですよね」
 と言ったところで、この日初めて、ふたり一緒に笑った。一緒に笑える、って、いい事なんだと、僕は思った。
「まあ、何にしろ、一緒に笑えるって、いい事なんじゃない?君にとってはツライ話しをネタにしてるようで申し訳ないけど。だけど、そんな偶然ってあるんだね」
 一緒に笑えるっていい事、その言葉で僕はなんだか救われたような、道が開けたような、そんな気がして、なんだか不意に泣きそうになった。
「ところで、あなたの話を聞いてくれるって年上の女性、どんな人なの?」
「さっきの話ですね。部活の先輩です。文芸部の。と言っても、もう卒業してひとりは関東の大学、ひとりは就職して、もう随分会っていないんですけど」
「で、当時はどんな話をしてたの?」
「まあ、そう言われれば、なんと言う事もない話だったと思います。例えば、ポパイに載ってた記事の事、スケボーとか、ですね。文芸部だったから、読んだ本の事とか。ビールとウイスキー、どっちが好きかとか」
「未成年のくせして」
「まあ、そうですけど。ウチは、父がお酒飲みで。それも結構。酔っ払った父の事、母は嫌ってますが、僕が父のビールを飲んだり、ウイスキー飲んでみたりするのは、特に咎めないんです。むしろ男ならそれくらい当たり前、みたいなとこがあって。よくないんでしょうけど。そういう事もあってか、お酒の話には抵抗ないんですよね。そういう波長が先輩と、たまたま合ったのかも、ですね」
「恋愛の話とかしないの?」
「しますよ。でも、読んだ本やマンガの主人公たちの恋愛論とかで、そこから自分ん達に置き換えた話になっても、やはり出発点がマンガだったりすると、どうしても現実的にならなかった気がします」
「んー、わかんないな。例えば?」
 と、ツグミさんが言ったところで、注文したものが運ばれて来た。グラスビールふたつと、ピザが一皿。ツグミさんは、ウエイトレスさんの顔をしっかりと見ながら優しい笑顔で
「ありがとう」
 と、言って、ウエイトレスさんを見送った。
「お酒にはちょっと早い時間かもしれないけど、福岡に行くんなら少しはこういう事も勉強しておかないとね」
 ツグミさんはそう言いながらグラスを手に取り、軽く僕のグラスに合わせて
「卒業おめでとう。ちょっと早めだけど」
 と、小さな声でイタズラっぽく少し顔をすぼめる。かごめに似てる。
「それで、どういう題材で恋愛の話をするの?」
「はみだしっ子、って、マンガ知ってますか?」
「読んだ事ないね。ほぼ、知らないかも」
「意外です。ツグミさんならきっと熟読してると、確信してたんですが」
「それは残念」
「その部活の先輩に教えてもらったんです。題名通り、世の中の仕組みからはみだしてる子どもたちが主人公で。でも、彼らはとってもピュアで、物語を読む進めていくと、人として当然な考え方からはみだしてるのは、大人たちの言いなりになっている自分じゃないかと思って、こわくなりました」
「それだけ聞いたら、たまにある物語のようにも思っちゃうけど」
「それは僕の説明力不足が大きいと思います。ごめんなさい」
 ここでもうひちくちビールを飲む。
「で、ですね、例えば彼らの考え方とか自分のものにしたくて、行動や外見から入ってみたんです。と言っても、この顔はどうにもならないから、未成年の主人公のひとりが好きな銘柄のタバコ、JPSを買ってみたり、その程度ですけど」
 なぜか、ツグミさんが、ニッと笑う。
「でも、結局は、当たり前ですけど、タバコはなんとか買えたとしても、学校の中を吸いながら歩けるワケじゃないし、何かが気にくわないからって、家出するワケでもないし。本やマンガから刺激を受けて、よし、これを契機に成長しよう、自分の生き方を見つけてみよう、って思って若干行動したところで、気がつけば今までの生活に自分を戻してるんです」
 なるほどねえ。
「なるほど。分かったわ。どうしてかごめがあなたをフッたのか」
 と、私が言い終わるや否や、なんて早い反応、身を乗り出してる。でも、ビールこぼさないでね、御手洗くん。
「あのね、御手洗くん」
「はい、ツグミさん」
「何かや誰かに憧れて、時にはそれを真似てみるって、よくある事だとは思うの」
「はい」
「でもね。君の場合は、きっと彼女の趣味や言動に合わせ過ぎたんじゃない?」
「彼女が、かごめがそう言ってたんですか?」
「かごめはそんな事、いちいち私に言わないわよ。頭ごなしに何か言われるんじゃないかって、むしろ言わないと思う。でもね、今のあなたの話を聞きながら、ふと、そう思ったのよ。人は、って言うとちょっと大げさだけど、自分の感じたことや好きだな、って思うこと、見つけたこととか、誰かに話して共有したいと思う事はあると思うし、分かってくれたら嬉しいと思うよ、きっと。それがたまたま、例えば同じキーホルダーを持ってたとかだと、共有の意味は純粋だと思う。だけど、彼女が好きって話した物を、翌日彼が手に入れて持ってたとしたら、意味が違って来るんじゃないかな」
「なんか僕、すごく恥ずかしい。ツグミさんに言われて、全てがはっきりして来ました。それがあってるかどうかは分かりませんが」
「御手洗くんって、ほっておいたら明日にはフラットシューズ履いてそうなんだもん」
「そうかもしれません」
「そうなったら、ゴツい足を突っ込まれるフラットシューズも、そしてあなたも可哀想だもんね」
 笑うふたり。
「さあ、ピザ食べようよ」
「実は僕、ピザ食べた事ないんです」
「あれま」
「雑誌では見た事あるんですが」
「だったら、さあどうぞ」
 と、お皿をこちらに少し差し出してくれるツグミさん。
「いただきます」
 幾つかにカットされているひとつを右手で取ると、とろけたチーズがのびる。のびるチーズ。ハイジとオンジの食事みたいだ。パクッと口に入れる。僕は将来、たとえかごめの誕生日を忘れる日が来ても、このピザは、一生忘れないだろう。
「ツグミさん」
「なあに」
「僕はあの時、電車を降りて良かったです」
「そうなの?」
「ダメな自分に向き合っていけそうな気がしますし、ピザは美味しいし、ビールにも合うし、何よりツグミさんとお話が出来ました」
「そんなゴツい顔して私を口説いて、私を使ってかごめにまた近づこうとしてるんじゃない?」
「バレました?」
「そんな軽口たたく大人には、まだなって欲しくないのよ、御手洗くん。あなたにはまだ似合わない」
 いずれそうなってしまうとしても、今はまだいいのよ、背伸びしなくても。御手洗タツヤくん。

後編に続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?