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消えた恥の概念

僕はテレビと言えば
強めの地震が起きた時にNHKをつけるくらいで
(そのためにきちんと受信料を支払っている
夫のお金で)、
YouTubeもバラエティー系の
チャンネルはほとんど観ていない。


応援しているゴルフ関係のコンテンツだとか
予防接種が嫌で逃げ惑う犬さんだとか
そういうチャンネルをみるくらいである。


そんな僕が唯一
ずっと観ているチャンネルがある。

Kevins English Room

である。


YouTubeのショート動画で
「Super ハイレベル Japanese lesson」
と題したネタをやっているのをみて、
この人たちおもしろいな~~~と
見始めたのがきっかけだった。


アメリカの通販番組で売られていた商品は
果たして本当に宣伝通りのものなのか

一週間異国の食文化のみで生活してみた

教科書で教わる英語、
実はアメリカでは全然使われてないよ

だとか
実践的だったり
くだらなかったりするネタを

またあの三人が
それぞれのキャラクターを生かしながら
おもしろおかしく紹介してくれるものだから
観ていてとても心地よいのである。



さてKERを勧める記事は
また別に書くとして、
というか僕ごときが書かずとも
たくさんのファンがいるから
何も問題ないのだからして。


先日KERの動画で、
アメリカでは子どもを叱るときなどに
「Shame!」
という文言を使うことを知った。


それを見て僕はかねてから考えていた
「日本が凋落した大きな原因は
恥という文化がないがしろにされたことである」
という持論を改めて補強することになった。

生活に困っているわけではなく
ただ人より贅沢をしたいというだけで
誰かに体を開いて金銭を得ること


人から「いただき」と称して
金銭をだまし取ること


孤独と不安を抱えている年配の方を
騙してなだめすかして
お金を搾取し、
それで得たお金なのに裕福を気取ること


ソーシャルメディアに
所有しているものを
わざとらしく載せること


自身の望み通りの暮らしをするためだけに
家を建てること


自身の欲望や希望を
他者の抱いているものだとすり替え
欺瞞を押しつけること


自身の行いを振り返りもしないこと


それらはみんな、
重い刑事罰に問われるものでもないし
ものによっては法的にも
政治的にも全く問題がない。


だけど
自分自身を貶めている。


生まれ持って、
そして磨き続けることでより輝く
自分の人間性を穢している。

好きな人
ご両親
祖父母
恩人
親しい友人

それらのみんなに対しても
恥ずかしい行為だと僕は思う。


だけどいつからか日本は
羞恥心を平均化して
とるに足りないものだと
扱うようになってしまった。


恥ずかしいからってなに?


確かにそうだ。

恥ずかしい思いをしようが
自分や誰か大切な人にとって
どれだけ恥ずかしいことをしようが


お金は減らない
地位も名誉も減らない

むしろお金を得られて
好きなものを買えて
地位も名誉もある程度手に入るかもしれない
(仮にそれが自身の脳内だけの権威でも)。

シャンパンタワーをしてあげれば
膣で生み出せる快感を提供してあげれば
親しくしてくれる人は増えるかもしれない。


人が人としての一線を超えないように
誰もがなんとなく心の中に置いていて、
人間性や品性をその人たらしめていたのは
表層~潜在意識に至るまで染みついていた
恥の概念だったんじゃないだろうかと
僕は思ってる。

だからよくないことをする小さな子を叱るとき
「そんなことをしたら恥ずかしいよ」
と言ったのだろうと思う。

アメリカの家庭では
「Shame」と言い聞かせていたのと同じように。


もしかしたらこれは
信仰の話でもあるのかもしれない。

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