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こんにちは、赤ちゃん♪ 

昨日から始めたnoteです。
2日目にして、2つめの投稿です。
≪私≫を縛るつもりはありませんが、
毎日投稿を続けてさせてあげたいのです。
今回は、抽象的な表現になることを前提に、
どういうことなのか綴ってみようと思います。

自分を幸せにする

私は自分を不幸だと思ったことはなく、
どちらかと言えば、幸せな人生だと思っています。
そのうち自己紹介などするとして、
昨日56歳になった私。
5年前に再婚した夫からのプレゼント、そして、
孫達から誕生日祝いの動画メッセージをもらいました。
娘達からプレゼントも届くのでしょう。

34年の病院看護師勤務を2年前に退職し、
穏やかな日々を
ゴールデンレトリバーの姫達とのんびり過ごしています。

幸せな”はず”です。

しかし、なんとも”ココロ”が重くて
どうにもこうにも動けなくなってしまっていました。

とはいっても、日常生活はなんら変わりません。
≪私≫を休ませることなど、絶対にできなかったのです。

≪ワタシ≫と向き合う⇒内観を続けることで、
ようやく・・・
\
自分で自分を幸せにする!
/
本気でそう決めることができました。

そのひとつの分かりやすい行動として、
ブログを始めることにしたのです。
ある意味、『解放』です。
自由になりたくて仕方がなかったのです。

遠い記憶

今日は、加入している生活協同組合の配達日でした。
月に1回「生活と自治」という小冊子が届きます。
田口ランディさんの連載コーナーがあり、楽しませてもらっています。
2月号は、ーこんにちは、赤ちゃんーというタイトルで
出産に関連した内容とともに、
『湯河原町に助産院を!プロジェクト』の紹介がされていました。

命が誕生するまでの、”受精”から”出産”というフェーズを
もっと大切に考えていきたいな・・と望んでいるので、
”出産”について取り組む活動に興味深く記事を読みました。

ーーーーーー
幸せなはずなのに、
とてつもない”重石”になっている”ココロ”の正体。
これは≪ワタシ≫が、
\
〇〇に気づいて!
/
というメッセージを送っているのだろうという事は分かっていました。
知っている人は知っている、知らない人は知らない、
いわゆる『潜在意識』というものです。

たくさん気づいては向き合い『昇華』してきました。

なのに、まだあったのですね。

それが

**胎内記憶**
というものです。

私は何かしらの宗教を信仰しているわけでもありませんし、
スピ系というジャンル?に属しているわけでもありません。
ただ、
長年、多くの命のそばにいて、
たくさんの看取りにかかわらせていただいて、
”霊性” ”精神性” そういったものや、”魂”といった存在は
確実にあると実感しています。

2022年12月のはじめに自己転倒し骨折をしました。
右膝蓋骨骨折。 右足か・・
右の先天性股関節脱臼で生まれた私は、事あるごとに、
この右足に何かを気付かされてきました。

そして、ある日・・胎内にいる私のイメージが浮かんだのです。

・身体の中になんとも感じたことのない感覚
・とてつもない哀しみ
・耐えられないような怒り

涙が溢れだしました。。
同時に、母を感じました。若い母です。
私の記憶にないくらいの若い頃の母です。

私は、
生まれて良かったのか、
生きていて良かったのか、
・・苦しくて、正気でいるのがしんどくなるほどでした。

\
よく、ここまで生きてきたね。
凄いよ。
ありがとう、ありがとうね。
/

55歳の大人が、ひとり、いや・・・
ゴールデンレトリバーの姫達を抱きしめながら、
≪私≫をも抱きしめ、やっと、やっと
≪ワタシ≫を見つけ出せたような気がしました。

まさしく、こんにちは、赤ちゃん! です(⌒∇⌒)

人生死ぬまで勉強の本当の意味

戦前生まれの人々の多くは、
私達が想像もつかないような体験をしてきたと思います。
母は不思議な人でした。
母が、福沢諭吉先生の教えを知っていたかどうかはわかりませんが、
私は幼い頃から、
「人生死ぬまで勉強。女だからってそんなことは関係ない。」
そんなことを聞かされていました。

まぁ、母からの”すりこみ”のほんのカケラのひとつです((笑))

しかし、ふと思い出したのです。
母は、人生死ぬまで勉強と言いながら、
学校の勉強をしなさい、と言ったことはなかったな・・・と。

”無知の知” ソクラテスが言ったといわれる言葉です。

「人間は分かったと思ったところから、傲慢になる。
 学べるということはとてもありがたいこと。
 ありがとうという気持ちを忘れずに、死ぬまで勉強するのよ」

成長するにつれ、面倒な母親だな・・
   と心のどこかで叫んでいました((笑))

ということで

生まれるというのは、当たり前ではなく、
本当に、”すごい!”ことです。
私は、望まれてこの世に誕生したのではないかもしれない。
それでも、
私は、母を幸せにしてあげたいと意気揚々と誕生したのでしょう。

正しさなどはなく、
すべては経験と解釈に基づいた感情が”幸せの要素”になるのだと
今の私は受け入れることにしました。

私は、私を幸せにする! そう決めたのです、という話でした。



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