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最近読んだ本:化学の授業をはじめます。

(少しネタバレになるような部分があります。)

エリザベス・ゾットが現実にいてくれたらなあ…!

読み終えたときの感想はそれでした。遠い異国の地であってもこの世にいてくれたら、きっと毎日エリザベスの言動に勇気と刺激と力をもらえる。

「化学者の日常」というテーマだけで本が何冊も書けそうなのに、この1冊にはそれ以外にもたくさんの要素が重なり合っています。

女性史、恋愛、親子関係、家事と育児と仕事、テレビ業界、ギフテッド、犬、1960年代、教育、性加害、男女差別、ルッキズム、宗教、実験、孤児院、アカデミア、慈善団体、ボート競技、親しい人の死、グラフ誌と科学誌と女性誌、生命起源論、シスターフッド、夫婦別姓、そして料理。

こんなに詰めこまれたら読んでいて混乱しそうなものなのに、それぞれの要素がていねいに描かれ自然につながり合っていて、登場人物たちのセリフがいきいきとして地の文も歯切れがよいおかげで、何の苦もなく一気に読み終えました。

「エンパワー小説」とうたわれている本書。表紙絵の堂々とした立ち姿や理路整然とした話し方から、エリザベスは一見強そうにも見えますが、周りを「エンパワメント」しようとはあまり思っていません。むしろ、そういう役割を避けながら生きてきた人であり、時代背景や人間関係によって傷つきもがいてきた人でもあります。でも、事実のみをとらえようとする姿勢、娘や同志への言葉の選び方は誠実そのもので、相手を強く力づけます。思い込みから解き放つ。その意味で、たしかにこの本はエンパワー小説なのだと思います。訳者あとがきによると、作者のガルマスさんのもとには「この本を読んで、自分の目標に向かって再スタートを切った」という読者からのメッセージが複数届いているそうです。冒頭で「エリザベスが現実世界にいてくれたら」と書いたけれど、エリザベスは本のなかから読者を実際に動かしています。その彼女がほがらかな愛されキャラとして描かれていないところも、本作のよいところでした。

エリザベスのまえにさまざまな男性や枠組みが立ちはだかる場面では、『読書する女たち フェミニズムの名著は私の人生をどう変えたか』や『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』、『与謝野晶子評論集』を読んだときと同じような高揚感と共感とかすかな絶望を感じました。女性がこんな思いをしているのは日本だけじゃないのか。60年、100年たっても同じようなしがらみがまだある。自分が抱えていた思いは気のせいではなかったんだ、等々。読みながら気持ちが高ぶる瞬間もありました。これまでふたをしていた不満に燃料が加えられ、私生活のなかでもょっとツンケンしてしまうときも。

寝た子を起こすような本は読まないほうがいいんだろうか。違う。私は、やっぱりこういう本が読みたい。自分でもっと高いところに行こうと思わせてくれるような本を。

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