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15年間の思い出と2日間の自己嫌悪


昨日、約15年間過ごしてきた犬が亡くなった。
12時頃僕が仕事を辞め、実家で過ごしていたところ動物病院から帰ってきた母親が泣いていた。
僕「どうしたの?」
母「もう今日までだって」
普段は空気を読むことが苦手なのだがその時だけは一言で全てを察した。
正直な所、素直に悲しいとは思ったのだが泣くまでではなかった。
だからこそ、母親が泣いていたのは少し不思議に感じてしまった。

今日といってもあと12時間しかない。僕はできるだけの愛情を与えようと思った。
もう自らで歩くこともままならず、注射器の形のシリンジで水をあげようと思ったのだが、僕の焦りやすい性格から注射器を壊してしまった。
あ、いつまでも僕ってそうなんだ。きっとこういうことの積み重ねで僕の信頼って消えていくんだ。
そんな自己嫌悪を持ちながら注射器を買いに走り、なんとか水をやることが出来た。飲む時に元気がないのがとても痛々しかった。
午後3時、泣き疲れたのか母は眠ってしまい、起きているのは1匹と1人だけ。僕は撫でても尻尾も振らなくなった犬を撫でながら色々なことを回想した。

僕の大事にしてた人形をボロボロにされ、泣きながら犬を無視した時
複雑な人間社会に馴染めず、学校にも行けなくなったことで親にも人格否定され泣いているところを涙を舐めてくれた時 

そんな思い出を巡っていると母親も起き、2人で時間を大切に過ごしていた。
午後4時、急に便を漏らした。犬は亡くなる前、肛門の筋肉が弱くなるのだ。母が「心臓が動いてない」と叫び、もうその時が来たのだと確信した。

その後は母はありがとうねと泣きながら話しかけていた。僕はその光景をみながら「ペット  亡くなった時」と検索していた。僕は普通が分からなくなった。「この時は泣くべきなのか?いや、きれいな状態で火葬しないとだから今のうちに調べないと、でも1回泣いた方がいい気がする」などと考えてしまった。
こんな時にまで自分の心配をするのが自分である。しょうがない。これがもう癖になっている。

その後は姉が帰宅し、冷たくなった犬を見て泣いていた。姉が泣く場面など見た事が無かった。姉でもこの場面は泣くのかと思ってしまった。やはりこの人は「普通」の人間なんだ。

父親も帰宅した。すぐ亡くなったことを確認し、火葬の手配をしていた。良かった。父親はこちら側なんだ。

だが、父親にどのように亡くなったかを説明している途中、僕の声が震えていた。僕も悲しむことが出来ている。やはり父親はあちら側だ。冷徹な人間め。

晩御飯、母と姉は食べる気がしないのか食べず。父親は2つも弁当を食べていた。こんな時に食べるのは不謹慎ではないのか。やはり冷徹な人間は違うな。そう思いながら弁当を食べていた。
このように僕は昔から普通について考えていると頭痛がしてしまう。僕は早めに寝ることにした。

翌日、火葬をした。犬の下には食パンのクッションが敷かれている。このクッションは私がゲームセンターで取ってきたものでいつの間にか犬の所有物になっていた。そのままクッションと一緒に火葬すると聞いた。
元々僕の所有物なのに、僕の許可は取らないでいいのか?そんなことを飲み込みこむと火葬が始まり、母と姉は泣いていた。私はやはり泣くことは出来ず、勝手に自己嫌悪する悪い癖に一人で苦しんでいた。

犬に命の大切さを教えてもらったことは間違いない。そんな尊い気持ちを教えてくれたのは間違いない。僕も家族に負けずたくさんの愛情を与えたつもりだ。なのになぜ泣く人間と泣かない人間に別れてしまうのだ。
いや、泣くことだけが感情表現だと思う僕も幼稚なのだが。
そんな0か100かの思考を辞めた方がいいな。そう考えながらも犬が与えてくれた思い出を大切にしていく。

好きだった肉球






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