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なぜ生きるか

いつも思う。これは何なのだろうと。
芝居は祭りだ。あっという間に消える。
あんなに長い準備も苦しみも
公演が終われば跡形もない。
何のために、そこまでするのだろう。
なぜ自分は俳優でありたいのだろう。

わたしは母が死んでからずっと
本来の自分ではなかった。
それは認めなくてはならない。
もう人生が半分終わったような気がしたし
それも仕方ないことだと思っていたのだ。

たった一度芝居をやっただけだ。
たったそれだけのことだ。
でもそれだけで
わたしの人生は息を吹き返した。

世界が再び色を取り戻し
自分にも何か出来ることがあるような
胸の高鳴りがある。
これは一体何だろう。

希望。
言葉にしてしまえば、それだけのことだ。
でも、それだけのことが
わたしにはどうしても作り出せなかった。

わたしがこの世界において
真実自分の力を発揮できるもの。
それは演劇しかないから。

希望を取り戻すために
どうしてもわたしには
演劇が必要だった。

自分が何者であるのか。
自分はどんなに弱く
そしてまた瞬間的には強いのか。
どんな偽善を抱え
どんなことに涙もろく
そしてまた、本心をいかに
押し殺して暮らしているのか。

すべてがあらわになる。
決して隠せない。
舞台の上では。

苦しくて死んでしまうと思う。いつも。
でも芝居で死んだ人はいない。
死にはしないのだ。
台詞が飛んでも。芝居が下手でも。
わかっている。
わかっているのに。
緊張で体と心が、嵐になる。

ああ。
こんなにも愚かだ。
こんなにも弱い。
こんなにも何も出来はしない。
わたしは。
あの日も、今も、小さな頃からずっと。

変わらない。何も。
生きてゆくだけだ。
ただあがいて、笑って泣いて
もがいてもがいて
生きてゆくだけだ。

失敗も成功もどうでもいい。
失敗しても死なない。
社会的に死んでも
本当の死には似ても似つかない。
そんなものは苦しみでさえないのだ。

母が死んでから
そう思うようになった。

もっと強くなる。
もっと弱くなる。
もっと変わっていく。

わたしはまだ生きているから。
生かしてもらっているのだから。
まだまだ、可能性を開かなければならない。

お母さんを失ったから
辛かった。
でも、お母さんを失ったから
もがいたよと
いつか自慢する日が来る。

それまでずっと。

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