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乾いたこころ

母を亡くしたどん底から
今は、少しはまともな顔に戻った。 
仕事も色々のことが
ようやく軌道に乗りはじめた。

はずだ。
はずだから、もっと元気になるはずなのに。
やっぱりエンジンが
元通りになるには時間がかかるのだろうか…

情けなくなる。
情けなくなっちゃいけない。
わかっているのだけれど。
もっと気持ちよくエンジンをふかしたい。
いつものように。
それが完全に今は空ふかしだ。

いかに、母という観客に
自分が依存していたか、わかる。
暮らすことも、遊ぶことも
作ることも、描くことも
歌うことすら
母がいなくなってから
一通り全てネタ切れになった。
あんなにあったアイディアが
消えてなくなったのは
ショックのせいばかりでは
説明できないことだ。

母という観客が
席についていないのならば
何もやらない
やる気がないという
困り果てた態度。
それが、今のわたしである。

それならばいっそ全て、辞めてしまえばいい。
そんな風に、自分を追い込んでみる。
母が不在である(目に見える形では)
という理由だけで辞めてしまえるものならば
とっとと辞めてしまえばいいのだ。
誰もやってくれ、と頼んでなどいないのだから。

それだけが。
それだけが、君の全てなんじゃなかったのか。
大事な人がいなくなったら
歌うことさえ見つけられないのか。

だったら、今まで
反戦や反原発というポリシー
あるいは創造上の様々の苦しみを
自分を投げ出してまで
苦しんできた、その人生には
一体何の意味があるのか。

ここで、方向転換するならば
ほんとに死んだほうがいい。
わたしは心から、自分に言いたい。

悲しいからと、エネルギーがないからと
今ここで守りに入る位なら
今までの全ては無駄だったのだ。

エネルギーは、ひとつしかない。
もしもわたしがまだプロで
明日突然舞台に立たなくてはならないとしたら
燃やせる燃料は
今のわたしにはひとつしかない。

母のことだ。

それをまだ昇華しきれていない。
分析が足りない。
自分の本心を掴みきれていない。

だから、今のわたしは悪いけど
死ぬほど面白くない。
自分が面白くないことが
わたしはだんだん我慢ならなくなってきた。

欠点ではあるけれど
この気の短さが発揮されてくれば
たぶんほんとうに復活出来る日が
近いということなのだ。

日の出まで、あと少し。
かっこ悪く、泥臭く、短気に
何かをメラメラ燃やして

面白く、自分をもう一度
創り出してみたい。

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