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暗いとか明るいとか

母が死んでから本当に思ったことは
「暗いとか明るいとかもうよくわからないなあ」
ということだった。

今の時代特に、簡単に内気な人を暗いとか
よく話す人を明るいとかジャッジする風潮がある。
芝居していた時などそれは顕著で
今の芝居は暗いとか、もっと明るくとか
よく駄目出しをもらったものだ。

例えば「死にたい」というのは
暗い言葉なのだろうか。

中島美嘉さんの
「僕が死のうと思ったのは」という歌を聴いていて、そう思ったのだ。

母が死んでから、歌を歌いたくても何を歌えばいいのかわからなかった。
歌いたい歌が見つけられなかった。
そして、もっと素直になろうと思ったのだ。

ぃまのわたし。
ほんとうのわたしが、歌いたいのは
どんな歌なのか。
それは、死にたい理由を並べる歌で
でもそれは絶望なんかじゃない。
生きていくための理由を
見つけようとしている歌だから。

今わたしはそれを歌いたい。
それはどうしようもなく明るい
希望としか言いようのない
復活の兆しなのだ。

矛盾している人間だけれど
「死にたい」という歌が
「生きていく」理由になる。
他のもっと明るい歌は
聴くことが出来ない
そんな深い暗闇が人生にはある。

明るさは見た目じゃない。
その人が死にたいのか
生きたいのかなんて
誰にもわかりはしないのだ。
ほんとうのところ。


…僕が死のうと思ったのは 靴紐が解けたから

結びなおすのは苦手なんだよ 人との繋がりもまた然り

僕が死のうと思ったのは 少年が僕を見つめていたから

ベッドの上で土下座してるよ あの日の僕にごめんなさいと


パソコンの薄明かり 上階の部屋の生活音

インターフォンのチャイムの音 耳を塞ぐ鳥かごの少年

見えない敵と戦ってる 六畳一間のドンキホーテ

ゴールはどうせ醜いものさ


僕が死のうと思ったのは 冷たい人と言われたから

愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから…


この歌が希望の歌だと気づく人は
暗闇から這い上がったことがある人かもしれない。

わたしは母が死んでから
路上でずっと続けていた歌うことを
休んでしまっていた。

母の鎮魂でも、メッセージソングでもなくて
この歌を一生懸命歌ってみたいと思う。

わたしにとって
明るいとか暗いとか関係なく
生きるとか死ぬとかは
同じように等しく
光だ。

死にたいのも生きたいのも
どっちもかっこいい。
どっちも偉い。 

母が逝ってしまってから、そんな風に思うようになった。

わたしも靴紐を結びなおすのは
何故か苦手だ。
たまにしか行かないドン・キホーテは
何だか胸が切なくなる場所だ。

手遅れでも、時代遅れでも
ただただ正直に
自分の気持ち位を歌うことが出来る
大人に
今なってみたいと思う。

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