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ひとりのレーンで

小さな頃から、物事に優劣があることが
苦手だった。

走るのが速かったから
リレーの選手に選ばれたり
誰ともケンカをしないから
学級代表に選ばれたり
その度に、それをしたくて
一生懸命努力してきた人の横顔を見ていた。

わたしはどうしていつも
間が悪いのだろう…そんな風に思っていた。

リレーの選手を決める時
わたしに負けて泣いた女の子の
くしゃくしゃになった顔を
今でも覚えている。
これからはこうやって生きていくんだ。
人を泣かせたり泣かされたりしないと
大人にはなれないんだ。
幼稚園とは違うんだ。
心から、わたしには出来そうもないと思った。

バレエの発表会で大役に選ばれた。
でもそのときは楽しかった。
その演目は「七つの子」で
童謡にあわせて子どもたちが舞い踊るのだ。
わたしは「みんなのお母さん」の役だった。
みんなを見守るように、親切にする。
先生は「あなたならそれが出来る」と
言ってくれた。
選ばれても、楽しいことがあるんだ。
はじめてだった。
子ども役の皆もそれぞれに
違った色の帯を結び
個性的に踊って、皆が素晴らしいチームだった。

みんな違ってみんないい。
言葉にしてしまえば、その一言なのかもしれない。
でも、その一言は現実の中では
顧みられず邪険にされているから。

わたしは競争は出来ない。
でも、表現なら出来る。
そのことに、わたしは気付かされていった。

演劇の仕事を選び
そこは弱肉強食の世界で
平気でしたか?と尋ねられる度
勿論平気ではない
長く続けられなかったのは
そういう殺伐とした空気の中で
晩年まで生きていたくはなかったからだと
答える。

それでも、10年も続いたのは
自分の芝居がどんなに評価されても
誰かがそれによって
チャンスを失ったとしても
そのわたしの芝居は
本当は優れているわけではないことを
わたしが確信し続けていたからだ。

表現には、優劣はない。
あってはならない。
努力だけがあって、然るべきだ。

努力することは、楽しかった。
10年間、演技を学ぶことが
辛いと思ったことも、飽きたことも
一度もなかった。

表現することは、いつも美しかった。
現役を離れた今でさえ
その美しさによって
わたしは生きているのだ。

隣のレーンには誰もいない。
静まり返っている。
もしかしたら、神かあるいは
精霊のようなものが走っているのかもしれない。
そんな、人間では
わたし一人が走ることを許されたレーンで
全力で走る。

わたしにとって、それが演劇だった。
どんな顔つきをしていたか
どんなフォームで走っていたか
何も覚えていない。
ただ至福と恐怖だけに満たされて。

恐怖とはたまに人生を楽しくする。
そんなことを言って笑ったら
子どもの私は目を丸くするだろうか。

タイムも勝敗もない
そのレーンで
重要なのは
美しい精神のみであった。

わたしはそこで走れたことを
誇りに思う。

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