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医は仁術なり

仁と言うのは天地自然が万物を育ててゆく
創造・造化の徳をいう。
だから人間の生命、健康を増進するのが
仁である。
医は仁術なりと言うことは、
人を健康にしてやる術、
これが仁術という意味で、
謝礼を取る取らぬとかいうことは
本来問題ではない。
                  安岡正篤


思うのだ。
わたしのような介護職の末端、あるいは福祉の隅っこに暮らしているような者でさえ
当たり前に「薬害」を疑う。
「コロナワクチン」を疑うし
「マスク」を疑う。

疑う権利すら、もうだいぶ前からこの国にはなくなった。
治安維持法がそろそろ必要であろうか。
私は赤いやつとして、特高に引っ張られるのだろうか。

特高も知らない人は、最低でも知ってから
好きなだけコロナを信じれば良い。
人工呼吸器をつける寸前まで
大好きなマスクをつけていれば良い。

医療は、厳しい道だ。
人を生かすも殺すも
己の手一本である。
医療マフィアとはよく言ったものである。

西洋医学に少しでも異を唱えると
医者信仰が、この国の精神を
いかに支えているかと気づく。

わたしは子供のころから
病院も医者も嫌いだった。
誰よりも人格者であり
どこよりも空気が澄んでいるはずの
その場所が全くそうではなかったからだ。

淀んでいる。
笑顔が濁っている。
言葉が心臓に届いてこない。

芝居と同じだ。
理屈ではない。
偽物は偽物。
本物は本物である。

わたしにはふたり、人の体を考えることは
誰かの体を治そうとすることは
こんなにも美しいことなのかと
教えられた友人がいる。

そのことを、心から誇りに思っている。

薬を使いたくない。
人が人に出来ること。
食べ物や暮らしで
一生懸命変えていくこと。
メスを入れる前に
血を変えるため、体を動かすこと。

端っこであっても
医療に関わる者に
無知は許されない。
知らなかった、ではすまされない。

コロナについても
母のがんについても
わたしは頭痛がするほどの知識を
脳みそに叩き込んだ。
それしかない。
それでもいつだって足りないのだ。

仁の道を歩く人は少ない。
もしもあなたが人生で
そういう人に出会えたなら
謙虚に教えを乞うべきだ。

わたしはそうした。

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