【掌編小説】ゼロ、イチ、ゼロ #青ブラ文学部 #腐れ縁だから
「コンピュータは数字のゼロとイチの組み合わせで動いてるんだ」と零くんは言っていたけど、わたしにはよく分からない。
窓の外からはミーン、ミンミンミンミー、といつまでも続く蝉の声に混じってきゃはは、と歓声が聞こえた。このマンションに住む子どもたちが鬼ごっこをしているのだ。
わたしは外で遊ぶのが苦手だ。走るのがおそいし、すぐに疲れてしまうし。
だから学校が終わると毎日こうして零くんが何やらパソコンをいじっているのを眺めている。零くんにくっついているうちにわたしはみんなにイチ、と呼ばれるようになっていた。零くんのおまけのイチ。
「何やってるの?」
「プログラミング」
短い返事が返ってきた。
零くんはわたしと違って運動会ではリレーの選手をしているし、テストだっていつも100点だ。でも「ガキの遊びにつきあってらんねえ」とか言って最近は放課後になると毎日ぱちぱちとパソコンのキーボードを叩いている。
わたしは飽きもせずにその姿を眺めていた。なんてかっこいいんだろう。鼻筋がまっすぐで、ほっぺはつやつやとしている。
「ねえねえ」
真剣な顔でキーボードを叩いている零くんのほっぺをそっと人差し指で押すと、弾力があってぎゅっと跳ね返してくる。
「なんだよ」
嫌そうに顔を背けた。
「ずっといっしょだよお」
私が人差し指でそっとパソコンのキーボードの「0」と「1」を押して笑いかけると、零くんは不思議そうな顔をした。じっと切れ長の目でこちらを見つめ返してから、口の端だけでふふ、と笑っていた。
やっぱり、優しいところがある。
ねーえ、ふたりともアイスたべるう? と台所から零くんのお母さんが呼ぶ声がしている。ベランダに吊るしてあるガラスの風鈴が風に揺れてちりん、と鳴った。
零くんが死んでしまったのは、私たちが高校生になった4月のある日のことだった。横断歩道を渡ろうとして、信号無視のトラックに轢かれてしまったのだ。
私の前を歩いていた細い体が弧を描いて空を飛び、地面に叩きつけられてお人形みたいにバウンドするのをただ黙って見ていた。教科書が詰まった黒いリュックが道路に落ちて、後から走ってきた車に轢かれて潰れた。
初めてお葬式に出た。
「来てくれてありがとうね」と言った零くんのお母さんの瞳が沼の底のように真っ暗だった。どうしてこの子が生き残って可愛いわが子が死んでしまったのだろう、と思っているのだった。
黒い額縁の中で澄ました顔の零くんを見つめていると急に、もう二度と会えないのだということがわかった。わんわん泣きたいのを我慢しても涙はあとから、あとから頬に伝って、鼻の奥が塩辛くなって苦しい。
ふいに、隣に座った零くんに声をかけられる。
「泣くんじゃねえよ」
私は安心して涙をハンカチで拭うと「ずっといっしょだよ」と周りの人に聞こえないように小声で囁く。
はんにゃーはーらーみーたー、と耳慣れないお経がいつまでも続いて、お坊さんの叩く木魚がぽくぽくぽく、とあたりに鳴り響いている。
私たちのつながりはそれからも続いた。
それは腐れ縁、というよりももっと透明でか細い何かであるように私は感じていた。
零くんは私が学校から帰るとなぜか部屋にいて、くるくるとシャーペンを回しながら勉強を教えてくれたりする。
そのうち零くんが好きな数学や物理が得意になったので、推薦で理系の大学に進学することにした。
私は男の子だらけの大学で色々な人に声をかけられた。お昼休みに学食をおごってくれる子やレポートを手伝ってくれる子までいた。
たまに呼び出されて付き合いたい、と言われることもあったけど、私には零くんがいるのでいつも断っている。
家に帰るといつものように一通り零くんに今日の出来事を報告した後、思いついて聞いた。
「ねえ、いっしょに寝てもいい?」
「いいよ」
零くんは表情も変えずに頷く。
電気を消して反対を向いている背中を見つめると、心なしか大学で会う男の子たちより随分華奢に感じられた。零くんはいつまでも15歳のままだ。
背中にぎゅっとしがみつこうと腕を回すと、ただすかすかした空気に触れた。
とたんに胸の中が重くなる。
私たちはいつまでいっしょにいられるんだろう、と考えていると零くんはそれを見透かしたかのようにぼそっと「ずっといっしょにいられるようにするから」と呟いた。
部屋の中にはうすぼんやりとした闇がどこまでも広がっている。
それから零くんにアドバイスされて、最近デートに誘われた3人と会ってみることにした。
中国語の授業で隣の席だった春田くん、バイト先のファミレスで連絡先を渡された夏川さん、ゼミにオブザーバーとして参加している大学院生の秋山さん。
零くんにも付いてきてもらって3人と1回ずつ会ったけど、どうしても誰がいいか決められない。
零くんに相談すると、短く返事が返ってきた。
「夏川はだめだな」
「えー、なんで? 優しいし、かっこいいし、お金も持ってそうだよ?」
「あいつレストランで店員がフォーク落とした時すげえ嫌な顔してた」
「え、そんなの気付かなかった! じゃああと2人かあ……難しいな」
私がそう言うと零くんは私のルーズリーフを引っ張り出して定規でささっと線を引くと「優しさ」「頭の良さ」「お金」「スタイル」「顔」「度胸」と項目を書き並べていった。
「何これえ」
私が吹き出しそうになりながら言うと零くんは真面目な顔のまま頷いた。
「これで決めよう」
「うーん、春田くんは動物園でクマに驚いてたから度胸は1かなあ」
私たちは夜中まで笑いながら表を完成させ、その結果私はまじめで成績優秀な大学院生秋山さんと付き合うことにした。
がらん、がらん、とチャペルの鐘の音が鳴り響いている。おめでとう、とあちこちから声がかかって、友人たちが投げるフラワーシャワーの花びらが髪にふりかかった。
慣れないドレスで一歩ずつチャペルの階段を降りていると急に周りの人たちの動きがゆっくりに見えて、私はこの瞬間がいつまでも続くかのような錯覚を覚える。
秋山さんとの結婚式は私が23歳になってすぐにとり行われた。
メーカー研究職の秋山さんに「九州にある研究所に転勤が決まったから、結婚して着いてきてくれないか?」と聞かれた時はほっとした。
私は就職した会社でクレーム対応の部署に配属されてしまったので、これで辞める口実ができたと思った。
結婚式が終わり引っ越してからすぐに妊娠が分かり、何ヶ月か経って体調もましになった今は毎日家で家事をしたり、暇な時間は散歩をしたり本を読んだりしている。
この前病院で聞いたところ、どうやら子どもは女の子らしい。
「子どもの名前、とわちゃん、にしたいんだけどどうかな」
「とわちゃん?」
「うん。数字の十、に平和の和でとわちゃん」
「へえ、可愛い名前だね。さすが一葉はセンスがいいな」
私はへへ、と笑ってソファーに座った秋山さんの体にしがみつくと、その向こう側にいる人にそっと笑いかける。
いつものようにふふっと口の端だけの笑いが返ってくる。
私たちは、いつまでもいっしょにいる。
青ブラ文学部さんの企画に初めて参加させていただきました!
ありがとうございました。
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