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第2話 カウンセリング 「小説:オタク病」

 薬を処方してもらった翌々日。月曜日。夏真っ盛り。

 猛暑にうだる俺はふらふらと教室に入る。教室にはクーラーがきいており、涼しい。

 朝8時17分。ホームルームは25分からなので少し時間がある。

 俺は一番左後ろの席に着き、鞄から教科書を取り出し授業の準備を済ませ本を取り、読もうとする。

 ――しかし、それはある女に遮られた。

「おはよ、猪尾くん」
「……おざす」

 俺は本から目を逸らさず挨拶を返す。黒縁眼鏡をくいと上げる。

「今日も漫画読んでるんだね」
「……漫画じゃない。ライトノベル、小説」
「小説なんだ。てっきり漫画だと思ってた。ほら、表紙がさ」

 俺はちらと表紙を見る。
 表紙には『ボクの前ではみんな好き好き大好きっ子』のメインヒロインの服がはだけ、恥ずかしがっている姿が描かれている。

「どう見てもラノベだろ」
「う、うん。そうなんだね。猪尾くんにとってそれは当たり前なんだね」

 気まずそうに俺から目を逸らすのはこの木曜高校2年A組の学級委員長――
一ノ瀬凛子いちのせりんこだ。

一ノ瀬は俺にことあるごとに話しかけてくる。

 その理由は――

「一ノ瀬、カウンセリングはやめてくれ。俺は病気じゃない」
「うん、そうだよね」

 一ノ瀬は俺に微笑みかける。この微笑みは同情の微笑みだろう。

 一ノ瀬は俺が社会性欠乏障害しゃかいせいけつぼうしょうがいだと知っている。

 以前、偶然落とした障害者手帳を一ノ瀬に拾われ、ばれたのだ。
 それ以降、一ノ瀬はこうして社会性欠乏障害を持つ俺を更生させようと積極的に話しかけてくるのだ。そこら辺のモブ男子からしたら嬉しい展開だろう。

 たしかに一ノ瀬はリアルの女の中では、可愛い人間なのかもしれない。

 茶色の髪は後ろでまとめられ、大きくブラウンで丸い瞳はそれだけで引き込まれそうなほどだ。
 150センチ少しほどの小柄な体でせわしなく動く姿は犬のようだ。感情豊かで、誰にも優しく接する人望のある委員長。困っている人を見過ごせないタイプの人間というやつだ。

 しかし、その優しさは俺にとっては不快でしかなかった。

 たしかに俺は人より多少・・、コミュ障かもしれない。
 それに加えて社会性欠乏障害を持っている。そんな俺に手を差し伸べるのは一ノ瀬にとっては無意識レベルで当たり前のことなのかもしれない。

 ただ、手を差し伸べられるというのは、俺が手を差し伸べられる立場だと実感させられるのだ。

 何度も言うが、俺は病気じゃない。
 それに俺の信条は『リアルには何も求めない』だ。

 俺はリアルの人間に興味や関心がない。異性と仲良くなりたいという関心もないし、付き合いたいとか、エッチなことがしたいとか、結婚したいとかっていう感情が一切ない。

 ただ二次元を愛している。二次元の女の子に関心を抱き、できることなら仲良くなりたいし、付き合いたいし、エッチがしたいし、というか、俺の嫁だし。

 ただ、そういう俺の気持ちは、今の世の中では異端らしい。

「一ノ瀬、何度こうやってカウンセリングされようが俺は揺るがない。なぜなら俺の信条は『リアルには何も求めない』だからな」
「またそれー? どうしてそう現実に関心がないかなー」
「もし俺に関心を抱いてほしいのなら、二次元の女の子になってから出直してこい」
「わたしが二次元の女の子だったら関心を持ってくれるの?」

 一ノ瀬は首を傾げる。

「ああ、関心どころじゃない。俺はお前に全力の愛を注ぎ、俺のすべてをお前にやる。そして彼女としてイチャイチャしてエッチして結婚して子どもを産んでもらう」
「……うーん、今のはちょっとひいちゃうなー」
「お前が聞いてきたんだろ」

 一ノ瀬は俺から数歩下がる。

 ふんっ、リアルの女にひかれようが俺にとってはどうでもいい。
 顔が引きつっているだろうがそれは決してショックなわけじゃない。
 俺の愛を再確認して、その愛の大きさに俺自身も驚いているだけだ。

 まあ、つまり、やはりリアルの女とはこの程度のものだということだ。
 えー、つまり、あれだな。

 俺の愛を受け入れられないとか、それで引くとかそういうところが嫌いなんだよ!
 引いてんじゃねえよ! 傷つくんだよ! バーカ! バーカ!

「思うんだけど、表紙がちょっとエッチな感じでも猪尾くんは平気でそのまま読んでるよね。ブックカバーだってあるのに」
「ブックカバー? それは自分の愛を恥ずかしがり蓋をすることだぞ。俺はそんなこと断じてしない。それにこうやって堂々と見せつけることによって、他のやつに牽制をしているんだよ。こいつは俺の嫁だってな」
「誰もその牽制に恐れてないよ。むしろ、堂々と見せつけられることに恐れをなしてるよ」
「ふっ、これも愛の力か」
「どれが愛の力だったの? 今の会話に愛の力関係あった?」

 一ノ瀬が俺にジト目を向ける。いや、ジト目というのは二次元にだけ許される表現だったな申し訳ない。

 一ノ瀬は目を細め、俺を見る。

 うん、こんな感じか。俺は誰に釈明しているんだ。

 一ノ瀬に時間を奪われている間、ふと後ろ扉を見やる。

「っ」

 目を見開いた。

「? どうしたの猪尾くん?」
「あ、いや」

 艶のある長い黒髪と、光のない黒く大きな瞳に少し前髪がかかっている女。
 そして白いヘッドフォンをしている。

「……クドオ?」

 一昨日、薬局にいた女だ。

「え、クドオさんのこと知ってるの? お、もしかして現実の女の子に興味を持った? あの子はクドオタマキさん。美人さんだよねー」
「いや、俺はリアルの女に興味がない。なぜなら――」
「クドオさんってなんかミステリアスな雰囲気だよね。絶対、猪尾くんじゃお近づきになれないタイプっていうか」
「あのさ、カウンセリングはいらないんだけどさ、仮にカウンセリングのつもりなら俺を傷つけること言わないでくれない? お前、同情してるようで俺のこと馬鹿にしてるだけだろ。質悪いからな?」
「ごめん、ごめん。猪尾くんが女の子を認識してたことに驚いちゃって」
「たしかに俺はリアルの女を認識していない。現に今も俺の周りに女の子はいない」
「ねえ、その本燃やしていい?」
「ごめんなさい。嘘です。一ノ瀬さんは裏表のない素敵な人です」

 俺は本を抱き寄せ、必死に謝罪する。

「普通にそういうこと言われるのショックなんだからねー。はあ、まあこれでも成長したほうだよ。前は完全にわたしのこと無視してたもんね」

 俺は4月、はじめて一ノ瀬にカウンセリングまがいのことをされたことを思い出す。

「たしか俺、お前にラノベを燃やすとか言って脅されたんだよ? 何? お前俺のこと嫌いなの? いや逆か……? お前もしかして俺のこと好きなのか? ごめんなさい。俺には嫁がいるので付き合えませんごめんなさい」
「なんでわたしが振られてる感じになってるの? 燃やすよ? 存在ごと」
「悪化してる!? ラノベだけじゃなくて俺ごと燃やすの!? ああでも、愛する存在と一緒に燃え尽きるならそれはそれで……。よし、来い」
「その発想はもはやサイコパスだよ。嫌だよ燃やさないよ。なんでわたしが猪尾くんごときにそこまでしないとならないの」
「ごときって言った? なあお前やっぱ俺のこと嫌いだろ?」
「いや、好きだよ」
「えっ」
「蚊と同じぐらいには好きだよ」

 一ノ瀬は笑顔で言う。

「うん、やっぱそれ嫌いじゃん。俺、人間だから。蚊と一緒にしないで?」
「あっ、なんか体がかゆい」
「ちょっと!? その反応はもはやイジメだからな!? わかった。ごめんって。無視してたのはマジでごめんって!」

 こいつ俺に悪意持ちすぎでしょ。なんで俺に近づくの? やっぱりイジメなの?

 一ノ瀬は再び笑みを浮かべる。

「冗談だよ。体がかゆいのは猪尾くんと話してることに拒否反応を示してるだけだから心配しないで」
「待って! さっきより酷いこと言ってるからな!? 自分が存在していいのかと心配しちゃうから!」
「さて、クドオさんの話に戻ろうか」
「お前マイペースすぎるだろ。マジでカウンセラー向いてないよ?」
「クドオ、タマキさん。久しく、遠いで久遠。名前は循環の環でタマキ」
「悪い。リアルの人間の情報は入ってこないわ。もうちょっと二次元っぽく説明して」

 久遠環くどおたまきか。

「二次元っぽく説明するってなに? 頭おかしいの?」
「ストレートに俺を否定するのやめて? いや、間接的でも嫌だけどさ。はいはい、久遠環な」

 久遠は一昨日、同じ薬局にいたやつと同一人物だ。

 そしてあいつは、俺と同じ社会性欠乏障害だ。

 つまり、あいつは俺と同じ人種、ということか。

「お、物分かりがいいね。もしかして惚れちゃった?」
「ふんっ、愚問だな。もし俺が惚れてたならすでにもう今キスしてる」
「気持ち悪すぎるアプローチだね。アニメならそのぐらいの勢いで進展するの?」
「お、二次元に興味があるか」
「まさか。そんなわけないじゃん。猪尾くんじゃあるまいし」

 一ノ瀬は呆れた表情で肩を落とす。
 ふんんっ! 俺、傷ついてないもんね!

 二次元の良さをわかろうともしない愚かさに同情するわ! バーカ! バーカ!

 一ノ瀬の茶番に付き合っていると隣の席の机に学生鞄を置いた男子生徒がいた。

「お、やってんな」

 男子生徒、俺の悪友の織田空馬おだくうまが笑いながら言う。

 空馬は身長が高く180センチほどのある。赤みがかった髪を真ん中わけをし、鋭く細い眉毛のもとには同じく鋭い目つきをしている。まあ、いわゆるイケメンだ。

 ちなみに空馬の身長は俺より20センチほど高い。
 ふんんんっ! 傷ついてなどいなぁい!

 リアルの身長なんて関係ない! そんなこと二次元の女の子は気にしないからな!

「はあ、猪尾くんは相変わらずだよ。織田くんからも何か言ってあげて」

 一ノ瀬が肩を落としながら言う。

「しょうがねえな。……なあ! 宅也! 昨日の『あい♡ぷり』観たか!? いやー、今回の『すたあちゃん』のライブ輝いてたな!」
「もちろん観たぞ。すたあちゃんのライブはいつも輝いている。しかも、『アイドリッシュタイム』のアピールういんくはたまらなかった。あのとき星出たの気づいたか?」

 俺は笑顔になる。

「はあ、織田くんも同類だった……」

 一ノ瀬はがっくしと頭を下げる。

 空馬は俺と同じ社会節欠乏障害というわけではない。ただ俺の趣味に合わせてくれているだけだ。

 空馬とは小学生の頃の付き合いで、偶然となりの席になり、空馬が『HARUTO』という漫画を読んでたことで、話が合い、そこから今でも関係が続いている。

 そして俺がアニメや漫画、ラノベを布教し続け、今では日曜朝の女児向けのアイドルアニメまで観るようになっている。ふぅ、仕事してるぜえ。

「さあどうする一ノ瀬、俺と空馬が合わさった今、お前などには屈しない」
「くっ、引くしかないみたいだね」

 一ノ瀬は歯噛みし、俺たちの前から去ってゆく。

「一ノ瀬のやつ、ほんとお前のこと好きだよなー」

 空馬は席に座り、両手を頭の後ろにやる。

「逆だ。あいつは面白がって俺にちょっかいをかけてるだけだ」
「あれだろ? カウンセリング」
「まったくだ。まるで俺を病人扱いしやがって。というか、あいつカウンセリングと銘打って、ただ俺を馬鹿にしてるだけだからな」
「でも、それがお前にとってはちょうどいい。小学、中学、お前は一切女子と話さなかった。それが今では女子とほぼ毎日話すようになってる。なんかオレも嬉しいわ。これが娘を嫁に出す気持ちってやつか」
「なんで嫁なんだよ。息子だろ。いや俺がイケメンなお前の息子なことにも腹が立つが。それに、脅されてるから話してるだけだ……」

 俺は好き好んでリアルの女と話すことは絶対にしない。話しかけられたくもない。
 だから俺特有の話しかけないでオーラを放っているつもりだ。
 それにも関わらず一ノ瀬は関係なく入ってくる。ATフィー〇ドぶっ壊すとかどこの使徒だよ。

 本当に鬱陶しい。積極的なアプローチをしてくる女の子は二次元のキャラだから許されるんですよ?

 話しかけないでオーラ、というなら久遠環も同じようなものを放っている気がする。

 久遠を見る。久遠は教室の中央ら辺に座り、ヘッドフォンを被り、白いブックカバーをつけて本を読んでいる。

 何を読んでいるのだろうか。ライトノベルだろうか。
 って、何興味持ってるかのような感じになってんだ俺。

 久遠がどんなやつだろうが関係ない。
 俺はただ、二次元の女の子を愛でるだけの人生でいい。

 俺は視線を本に移す。

 このときは思いもよらなかった。

 俺と久遠環がまさか付き合うことになるなんて。



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