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ときどき日記(398)他人の「身を切る改革」

社説を斬る。素人なりに(6)

社説という権威の尻馬に乗って吠えてやる。
以下、社説は抜粋。太字は千葉の意見

「身を切る改革」 民主主義のコストを忘れるな(2023/07/04読売新聞社説)
 
 議員定数が過剰であれば削減すべきだが、削減自体が目的となってしまったら、多様な民意を政治に反映させ、行政をチェックするという議会の機能は損なわれよう。
 
国家公務員には官僚という極めて困難な採用試験をパスした職員集団がいるし、地方公務員であっても、いわゆる偏差値の高い大学を卒業している者たちの構成比率はおそらく民間企業よりも高い。
そして、行政の仕事は、ただ単に儲けることとは違い、広大であり複雑かつ困難なものが多い。
そういう者たちが作る広大であり複雑かつ困難な公務の説明資料を単に当選しただけの者たちが十分に読みこなせるとは到底思えない。
議員定数が削減されれば、読みこなす資料は当然多くなる。
ご指摘の通り行政をチェックできなくなり、今度はチェックを諦めて人事権の発動や恫喝に頼りがちになり行政を破綻させることになる。
行政の破綻は国民生活の破綻でもある。

 
 大阪市議会で、議員定数を81から11減らし、70とする条例が成立した。4月の市議選で、初めて議会の過半数を得た地域政党・大阪維新の会が主導し、自民、公明両党も賛同した。
 
いわゆる多数決の暴力だ。
 
 条例は、市内24選挙区のうち、定数3~6の11選挙区の議席を1ずつ減らす内容だ。2027年の市議選から適用され、年2億円程度の歳出カットになるという。
 
歳出全体から見たら大した額にならない。国民の生活破綻を招くような行政運営になることのほうが恐ろしい。
 
 大阪市を含めて全国に20ある政令市議会で、定数を一度に1割以上も減らすのは異例だ。定数削減の結果、大阪市議1人あたりの人口は3万9320人となり、政令市の中では、横浜市(4万3924人)に次いで多くなる。
 
多数決の暴力は、異例であっても平気だ。
 
 また、かつて109あった大阪府議会の定数も、維新が旗を振った結果、現在は79へと減った。
 
だから、多数決の暴力だって・・・
 
 維新には、看板政策の「身を切る改革」の実績を重ねることで、支持を広げる狙いがあろう。
 
自分の身を切らないで、他人の身を切ってどーする
 
 議員の政務活動費などに無駄があれば、削減することは大切だ。だが、議員が少なければ少ない方がいい、と言うなら住民の代表は不要になってしまう。
 
行政の仕事は複雑かつ困難である。だから国民の代表である議員をして法令を作成させ、委員会などで行政の状態をチェックさせる。
住民投票など意味が解らない。何のために議員を選出したのか?

 
 定数削減は、少数派の声を議会に届きにくくさせる。効率化を至上の目的とするようでは、民主主義の根幹が揺らぎかねない。
 
多少の損失が出ても効率化が優先される資本主義経済のやり方は行政にはそぐわない。
民間企業は客が企業を選べるし、企業も差別化で客を選べる。
行政は、国民は役所を選べないし、役所も国民を選べない。
ひとりももらさず国民の面倒を見なければならないのだ。

 
 「身を切る改革」のアピールは、大阪にとどまらない。
 
危険を度外視して得票のみを考えるのはやめてもらいたい。
 
 国政政党の日本維新の会は、国会議員の定数削減や、一院制を提唱している。最近も馬場代表がインターネット番組で「国会議員は半分でも十分だ。衆参を合併する形で一院制にする」と述べた。
 
議会は単なる多数決の場ではない。委員会にも所属して行政がどのようになっているのかも勉強しなければならない。議員が減れば勉強不足になる。
 
 「身を切る改革」が有権者から支持されるのは、政治に対する不信感があるからだ。各議員は自らの役割を自覚し、国民の期待に応えるよう努める必要がある。
 
国民の多くは「身を切る改革」を、歳費を削る改革と勘違いしているから支持されているだけだ。勘違いさせて得票するのはフェアじゃない。

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