見出し画像

ときどき日記(245)「れいわローテーション」のどこが悪い!?

読売新聞「編集手帳」(2023/1/30)にもの申す。

ちっとも帰国しないで登院しない国会議員と並列で、要は〝ダメ〟だと指摘されている。
「辞職議員の残り任期を党員から5人で1年ずつ務めると言い出した政党もある」
具体的政党名は書いていないが、〝れいわ新選組〟のことだ。

「参院任期が6年と長く解散もないのは、腰を据え熟議するためだ。」というが、そのことを大前提に置いて立候補した人はどれだけ居ただろうか。目先のことを争点や公約にしていなかったか。国政選挙なのに選挙区の些末な事柄を争点や公約にしていなかったか。我田引水を公約にしていなかったか。
「編集手帳」が指摘する事柄は既に瓦解していた。

ましてや日本の国会は政党政治であることを鑑みても、また、議員個人が議員個人の努力で、あらゆる政策について勉強し国会で意見を述べるには限界があり、政党という政策集団の力は不可欠だ。政党がバックについていても能力を発揮できなかったり、欠席する議員がいるほどだ。

そして、「政党の『実験』に使うほど議席は軽いものではない」と大上段から何様の体で一方的に嘲罵しているが、「実験」ではない。国民の代表が構成する国権の最高機関である国会が制定した制度に則って行うものだ。辞書(三省堂新明解国語辞典第7版)を引いてみたが、実験とは「理論や仮説で考えられたことが、実際の場合に当てはまるかどうかを、いろいろの条件下でためしてみること。」であることからも「実験」ではないことがわかる。

「議席が軽いもの」だと思わないから政党の能力を最大限に発揮すべく考えたものだと推察する。

「編集手帳」こそ比例代表制の意味が解っていないのではないか?

非拘束名簿式比例代表の場合、投票の際、政党名ではなく投票したい政党の名簿にある立候補者名を書くこともでき、名簿内の順位が決まることから個人を選挙する投票という側面もあるが、一義的には政党を選んでいる。政策集団という能力を買って投票しているのだ。

比例代表枠で当選した議席については、むしろ党員でさえあれば誰でも良いぐらいだ。

全ての政策について通暁している事の方が難しいことを考えれば、政策や議題ごとに得手な党員を着席させたい。それこそ、欠席者を出さないで済む。
そういったことに繋がるのであれば、「実験」と呼ばれても構わないが、文脈は〝もてあそんだ〟に読める。

「入れ物は立派だが、中身が伴うのはいつなのか。議会制民主主義の永遠の問いだろう。」
登院しない議員の党と並列で批判するとは遺憾千万、失敬にも程がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?