ときどき日記(570)時刻表復刻版の旅(1)
時刻表復刻版を買った。1982年11月号だ。特に思い入れのある時期のものだ。
83年1月からは国鉄の協力会社でもあった日本食堂で働き始め、同年3月には大学の卒業を目前にし、この復刻版に掲載されているダイヤどおりに北海道へ8泊のうち4泊車中泊の旅に出た。
早速ページをめくって、あのころへタイムスリップし、もう一度旅をしたいと思う。
〈表紙〉上越新幹線が開業したのだ。
東北新幹線は先行で開業している。
その前年の夏だったと思うが、東北本線と奥羽本線で日本食堂の食堂車に帯同して同社の車内販売のアルバイトをした。特急「ひばり」の日帰りに乗務したとき、仙台のヤードから緑色のゼロ系みたいなやつが見えたのをよく覚えている。
〈巻頭グラビア〉おそらく当時の活版がもうなかったのだろう。スキャンしたものだと思う。ぼやけた印刷になっている。
〈今月のトピックス〉田沢湖線電化完成でもあり、車内販売で乗務した「つばさ」(上野~秋田)も1日1往復になってしまった。秋田に行くなら東北新幹線で行って盛岡で乗り換えろということだ。
〈索引地図〉黒い線が国鉄の路線だが、今と比べると、真っ黒っていう感じ。鉄路が充実した時代だった。
宇高連絡船も青函連絡船も健在だ。宇高連絡船の甲板で食べたうどんが忘れられない。
元日に地震に見舞われた輪島にも鉄道が通っていた。朝市がたつような大きな町なのに、儲からないからといって廃止してしまった愚挙は許しがたい。鉄道をもうけのネタにしてはいけないのだ。相互扶助のひとつと言ってもいいものだ。
青函連絡船に乗るときには、乗船名簿に住所・氏名を書いて提出しなければならなかった。提出の意味を考えると少しだけ背筋が寒くも感じた。その昔、洞爺丸事故もあったし。
北海道の路線図は特に感慨深い。釧網本線(釧路~網走)の途中から、ほんの一部を除き、ほぼ全部オホーツク海沿岸を北上できた。オホーツク海の北から3分の1ぐらいのところに北見枝幸というところがあり、あのネオン街はいったい何だったんだろう。夕方、その町の喫茶店に行ったら、夜の蝶たちがたくさん来ていた。ミニ銀座だった。
〈東京近郊区間図〉京葉線はまだない。
〈特急運転系統図〉まだまだ夜行寝台がたくさんあった。
〈航空路線図〉TDA(東亜国内航空)NKA(日本近距離航空)がまだ就航していた。
旅は、つづく