宗教化する資本主義経済
地球のため、全人類、夜は戒厳令(183)
「宗教化する資本主義経済」
「宗教かそうではないかの違い」
このことに関しては確信がある。
「ある考えについて属する者の誰もが信じ、その異論を許さないもの」と個人的に定義づけている。
宗教の歴史は栄枯盛衰あれども、各宗教が異論を許さず自分らの考えが絶対だと思っているから、人類の歴史上、宗教がひとつに統一されたことは一度たりとも無い。
そのせいで紛争も絶えない。
厄介なことに、その宗教が国政に影響を及ぼしている国も少なくない。
アメリカでは誰の何の宣誓だか忘れたが、聖書に手を置いて宣誓しているし、選挙や政策でカトリックとプロテスタントの対立が影響する。
中東の国々では、イスラム教を国教にしている国もあるし、宗教の名称を国名の一部にしている国もある。
一方で更に厄介なことに経済で似たような思考・思想構造がはびこっている。
拡大、成長、分かりやすく言うと、より多く、より大きくが教義になっていて、人類のほとんどの人が、この教義について何の疑問も持っていないし、これを人いちばい実践して大金を稼いだ人、事業を大きくした人、実践が成功するよう導いてくれる人、成功への仲間にしてくれそうな人が偉い人とされている。
しかし、その偉い人のとおりにやっていけば、量的限界、機能的限界がある地球では必ず破綻する。
そんな大事な事をそっちのけで人類の多くは資本主義経済教に盲目的に従っている。
資本主義経済〝教〟は厄介なもうひとつの宗教だ。
ちなみにウクライナ紛争は経済紛争が戦争という形で顕在化したものだ。
民主主義も衆愚政治に傾きやすいことや集団的自殺行為的側面があることを考えると盲信すべきものではない。
地球をダメにする三大宗教的なものは、「宗教」「資本主義経済」「民主主義」の3つだ。
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