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短編小説 「それでも私たちは、」  

 泣けどわめけど夜が来る。俺はこれから彼女にフラれる。
ジャーンジャーンジャカジャンッ
 「溢れ出る『愛してる』 君も同じかな~ 伝えよう今すぐ君のもとへ 靴なんて脱いで走るのさ 君を離さないように ずっと抱きしめる~」
 路上の端っこから痛烈に響いてくる歌声が、頭の中に充満して余計に苛立つ。
「はぁ…。そんなことより、“伝えると離れてく君”を離さない方法を、誰か教えてくれよ…。」
どうすることもできないという自覚から漏れ出すため息と、喧しいまっすぐなラブソングから逃げるように、そそくさと待ち合わせの公園へと歩く。年の瀬のひやりと冷たい風が大胆に耳を殴った。

 「あ、これめっちゃ流行ってるやつだ」「あー全然わかんないわ」
 いつものファミレスに流れるBGM。サビのところで杏が反応を示す。基本、自分の推し以外には無頓着な杏でさえ知っている曲を、私は知らない。知らないというか、頭の中に存在し得ないのだ。なぜなら、この曲はラブソングで私はアロマンティックアセクシャルだから。自分に刺さる部分がどこにもない曲が、脳みそに入ってくるわけがない。
 手を拭きながらメニューを見る未羽ちゃんが「これカラオケでずっと一位ですよ」と言う。そうなんだ。私には1ミリも入ってこない歌を大勢の人が歌っているらしい。
「この曲、今は全然共感しないけど、メロディーが好きだからこの前歌ったわ」と言う杏に
「私はこんな経験ないけど、めっちゃ「私」目線に成りきって浸って歌ってる」と注文するものをトットッとタブレットに打ち込みながら、恥ずかしさが混じる笑みのまつり。
 「あ、私これ食べる。なんかさー、カラオケで上位の曲歌われるとだいたい盛り上がるし、みんなで歌う感じになるじゃん。でもこちらとしては全然共感できない曲なのに盛り上がることを強制されてる感がすごくてテンション下がるんだよね。」
「ふーん、絃加はそう思ってんのかぁー。はい、確定!」まつりがみんなの分の注文を打ち込み、確定ボタンを元気よく押してくれる。「ありがとー」と、合唱。
 「私、普通に自分しか知らない推しの曲歌っちゃうかも。そもそもあんたらとか、オタク仲間としかカラオケ行かないから、そういう場面にすらならないわ。未羽はカラオケ、どんな人と行くの?」未羽ちゃんのカラオケ事情は、「ヒトカラ一択です!」らしい。
「上手いとか下手とか気にしないで歌えるし、変な曲も歌っていいし、ストレスぶちまけられるんですよね。」
「わかるー!行きたいーー!」目をつぶって足をバタバタさせるまつり。
「でも忙しくて行く時間なさそう」「そうなのよ、なかなかねー」
「ほんとすごいわ。いつ寝てるの?って感じの活動量じゃない?」少しの心配を込めて絃加は言う。
 まつりは趣味のダンスをしながら、将来の夢である声優の養成所に通い、姉に出してもらった養成所のお金を返すためにバイトをしている。もちろん学校にも通っている。
 絃加とまつりと杏は高校の部活が一緒で、大学生になっても頻繁に会っている。絃加と杏は幼馴染でもある。
「そうだねー来年は少し減らしたいかも。」
 「うんうん。絶対それがいいですよ。ていうか、来年ってもうすぐじゃん…。大掃除しなきゃ…。」
机に崩れる未羽。を寸前で止める杏も「大掃除…」と、考えないようにしていた、やらなければならないことに絶望の表情を浮かべる。
「私も掃除しなきゃな。あーでも今日、人間関係の断捨離する、かも。」
「え、どゆこと?」目をまんまるにして聞いてくるまつりに
「わ、別れようと思って」
 そう言う絃加は、後ろめたいことを親に白状させられる子どものように見えた。
 「そうなのね。私としてはいつ別れるんだろうと思ってたから驚きもないわ」とまったく動じていない杏。
「一緒にいるのが辛くなっちゃった?」と絃加の立場を知っている未羽の問いかけに安心しながら、
「ん-辛いっていうか、やっぱり付き合うっていうのは向いてないなーって」とケロッと言う絃加。
「えー何かあったの?」と聞きつつ、運ばれてきたハンバーグに目を輝かせるまつり。
「この前、えっとー、クリスマスか。創大と一緒に過ごしてたの。その時に、やっぱり自分のことを好きになってほしくなった。って話されて」
「あー、最初の約束を破っちゃったのね。」
「そういうこと。」
 絃加と創大について、大体を把握している杏たちとは違い、まつりは首を傾げる。
「約束って?」
「んっとね。大学生になって、創大と駅で再会して、やっぱり気が合ってさ。何回か話してたら、付き合いたいって言われて。でも私は恋愛感情の「好き」は持ち合わせてないから、創大が私に持ってるような「好き」を創大にあげることはもうできないよって言ったのね。そもそも私は付き合う気はなかったし。でも、私から「好き」をもらえなくてもいいから一緒にいたいって言ってくるから、もう埒が明かなくて、わかったって言って始まったのよ。」
「あーなるほどね、いやぁでも、ソーディーの気持ち、わかるなぁ。絃加の気持ちを尊重して、自分の気持ちも尊重した結果のしょうがない苦しさだよねぇ。」
「ふっ、あっはは、ソーディーってなんですか」高校時代に絃加たちが勝手につけた創大のあだ名を未羽が聞いたのは初めてだった。。
「ふふっ。もうさ、申し訳ないしさ、私は絶対に恋人ごっこみたいなことは出来ないし、したくないし。」おかしさを再認識し、絃加も思わず吹き出す。
 「もし今日、「クリスマスのことはなかったことにしてください。このままでいいから一緒にいて」って言われてもはっきり、別れるって言おうかなって。付き合い続けてもきっと今回みたいなのを繰り返すと思うから。一緒にいるのは楽しかったけどね。面倒くささと申し訳なさが勝ってしまうのですよ。お、ありがとー」杏がいつの間にか、上手に指を使って運んできた四人分の水を机に置く。まつり以外は氷なしなので、氷が入っているのをまつりの目の前に置く。
「そうなのかぁー。どーも!」まつりはすんなり話を理解してくれたらしい。
「ギャハハ、意味わかんねぇ!」元気な男子高校生の声が聞こえてくる。
 水を一口飲んで、「絃加はそれでいーの?別れたらもう会ったりはしないの?」と杏が言う。
「え、わかんない。別に会っても会わなくてもいいけど、会うとしたら頻度は減るのかなって思う」
「そっかぁ」伏せ目のまつり。
「でも、いい人ですね。ちゃんと絃加さんの気持ちとか人間性を尊重してくれてて」
「うん、そうなんだよね。未羽ちゃんには、変な人ばっか寄ってくるのなんなんだろうね…。未羽ちゃんが関わる男の人が全員いい人でありますように…。」絃加は言う。
「いやもう男に対してなんの期待も希望も持ってないので、まったくもって関わらないで欲しいって感じです!そりゃぁ、いい人もいるんでしょうけど、その人を探すために頑張る気力もないし、頑張りたくもないですよ。」
 未羽は男運の無さからなのか、大人しそうで、美少女と言われるような容姿からなのか、男性からの性的被害を受けやすく、軽い男性恐怖症に陥っている。そんな未羽は、バイト先で出会った、男の人への関心が薄い絃加の、居心地の良さに救われていた。
「わかるー。世の中のさ、恋愛至上主義の人たちって、なんであんなに恋愛の為に行動できるんだろうね。」
「それな。私ならその時間、絶対ヲタ活に回すもん。」絃加と杏がいつものように意気投合する。
 「出会いを求めて遊びまくったりサークル入ったりする人、いるじゃん。そういう人たち見てると、恋愛以外にしたいこと、ないの?って思うー」と、まつりは言う。
 「そういえばこの前、バ先の女の子が合コンでできた彼氏のこと話してたんですよ。そしたら私に急に話しかけてきて、宇野さんは彼氏とかいないのー?って。「いないよ。いないし、今はいらないかなぁ」って言ったら、「えーーもったいない!かわいいのにぃ!」って言われたんですよ。私は男の人と関わらない生活が幸せなのに、もったいないってなんなんですかね。恋愛が無理になっちゃった人間は損してる人生を送ってるってことなんですかね。かわいかったら恋愛がうまくいくから、恋愛しなきゃいけないんですかね!」言い切って、さきほど運ばれてきたピザにがぶっと噛みつく未羽。
「あーやだねそれ。恋愛は絶対的幸せの象徴だと思ってる人の思考。勝手にこっちの幸せを決めつけんなよってね」まじでないわーという顔でバジルソースのスパゲッティをくるくるする杏。
「ほんとそうなんですよ。こっちは男嫌いだし、皆さんのおかげで今がすごく楽しいのに。しかも、「えー、なんで彼氏いらないの?」って聞かれたので、今まで付き合った人たちのこと、そんなに好きになれなかったし、色々あって男の人苦手なんだよね。って言ったら 「えーこれからだよ!これからきっと本当の恋ができるから!頑張れ!」って言うんですよ。もう会話する気力が失くなっちゃって適当に返事して逃げましたよ。」「ありえーーん!!まじで!恋愛経験豊富な人は立場が上。みたいな偏見、ほんとに無理…。」首をフルフル振る絃加。
「かわいいとそういうこと言われるのかぁ。かわいいのも大変なんだねぇ…。」まあ、私には無縁の世界だけど、と肩をすくめるまつり。
「え、その人って「彼氏できて幸せ~」って話してたの?」と、絃加が聞く。
「そうですよ。なんか「いっつもおごってくれるし、よく車で送ってくれるし、話も合うんだよね~!毎日幸せだわ~」みたいなこと言ってました。」
「へぇ、私はおごられるの苦手だけどな。車は助かる、創大もよく送ってくれる。でも話が合うとかそういうので好きだなって思ったことないわ。うん、私ってやっぱ恋愛感情ないんだなぁ」
 うんうん。と実感している絃加に「絃加っていつから恋愛感情消えたの?」と聞く杏。
「ん-徐々にかなー。高校の時は彼氏欲しいとか、それこそ創大のこと「好き」だったし。でもフラれて、一人で恋愛ってなんだろうとか考えたり、日常を過ごしていくうちに、気が付いたら、「あれ、私、なんで恋愛なんかしてたんだ?」ってなったかなー。そう思ったら、メディアが届けてる色んな広告とか雑誌とか映画とかが、恋愛至上主義者向けすぎるとか、恋愛至上な社会の風潮を作ってることに気がついて。あれ、なんかおかしくない?って。私はこうやって、みんなで集まったり、自分の好きなことに時間を使ったりすることが一番の幸せなのにーって感じ始めた時に、授業でアロマアセクのこと知ったんだよね。あ、これ自分にめっちゃ当てはまるってその時にびっくりしたかな。私の知らないところで、同じようなことを思ってた人がいるんだって。」

 ジューーーパチパチパチッ
冬なのに今日も相変わらず暑いな。いつも思うことだけれど、トンカツを揚げていると、ぼーっとしてしまう。
 よし、これをこの皿に、ん?何個だっけ。あぁ、カツを二個か。
六等分に切ってから、「お願いします」と皿をカウンターに置くと、「湊川くん、数違うー。カツ一個とカキフライ三個でお願い。」と店長に言われた。
「え、あー、すみません!」
 新しいものを用意し直す。
「今日ちょっと疲れてる?さっきからぼーっとしてない?今お客さん少ないし、まかない食べてきなよ。湊川君、まだあと三時間くらいあるでしょ?」
「すみません、ありがとうございます。これ揚げ終わったら行かせていただきます」

「はぁー」
やる気は出るわけないし、ミスはするし、思わず机に突っ伏したところで、
ガチャ
「おーおつかれぃ。なに突っ伏してんの」
 今からシフトに入るらしい同い年の哲太が休憩室に入ってきたらしい。
「おつかれ。いや別に、突っ伏してちゃ悪い?」
「いや別に悪くないけど」おそらく無自覚だろうが、軽い八つ当たりをしてきた創大を一瞥する。
「なに。ミスったの?」ロッカーに荷物を入れながら言う。
「うーん。まあでも重大なミスではない。皿に盛るものと個数間違えただけ。」
「ふーん。じゃあなんで落ち込んでんの」
「…今日たぶんこの後…俺、フラれるから。」
「ふーん」
「相変わらず興味ないな。」
「だって彼女欲しいと思わないからね俺は。感情振り回されるのめんどくさいし、今は恋愛のこと考えるのもめんどくさい。ゲームして、勉強して、バイトして毎日忙しいんで。」
ガチャ
「だからぁ、おまえはそうでも俺は俺なの。」多少の苛立ちが混ざった創大の声と同時に、扉が開いた。
「お、なんだなんだ喧嘩?」同じく今からシフトに入る新汰が来た。
「おつかれぃ」哲太は軽く手を挙げる。
「あー、おつかれ」聞かれたのが知り合いの人でよかったと、ほっとする創大。
「違うわ。こいつが彼女にフラれるぴえん~っていうから、別に彼女にそんなにこだわらなくてもいいだろって」「だから哲太はそれでいいかもだけど、俺は違うの」
「え、フラれんの創大」「そうだよ。たぶんな。」
二人が来たということは、今はおそらく十九時だ。あと三時間ちょっとで会える。会えてしまう。
「まじか。まあでもあれでしょ?彼女はおまえのこと好きじゃないんだっけ。」
「恋愛的にはね!?人としては全然好きって言われてるし」
 まかないのミニかつ丼を手に取り、バクッと食べる。
「先行ってるからなー」という哲太に「はいはーい」と返事。
「前から言ってるけどさ、恋愛的に「好き」じゃない人とは上手くいくわけがないでしょ。俺はちゃんと、自分と価値観が一緒で、話がおもしろくて、ちゃんと二人で会う時間が作れて、よく笑う彼女に癒されたい」と新汰は着替えながら言う。
「相変わらず、いい子の条件をすべて兼ね備えてる理想の彼女ですね。んで、その子はいつ見つかるんだい」大学で出会い、地元が一緒だからと仲良くなってから今日まで、つくづく思うが、新汰は真面目過ぎる。きちんと思考をしてから、行動をするタイプだ。理想が高くもある。
「だからいっぱい合コンに行って努力してるんじゃん」
「合コンに来る子で真剣に恋愛をしようとしてる子がいるとは思えないけど。マッチングアプリでもやれよ。」
「最初のやり取りが画面上なのが気に食わない。俺のプロフィールがただで野ざらしにされるのも気に食わない。」
「わがままだな」
やはり自分が「好き」になれる人にはなかなか出会えないのだ。貴重な存在なのだ。今夜、絃加と会うのがより嫌になってきた。あぁー、先延ばししたい。
「じゃ、先行ってるよ」
「おー」
 新汰を見送り、残り半分くらいのかつ丼を食べる。SNSを開く。
 うっわ、凛希さんまた怖そうなとこで遊んでるじゃん。え、大丈夫?合法の遊び場?
高校で同じ部活だった先輩は大学に入ってからだいぶ遊んでいるらしい。
 ストーリーが更新されるたびに知らない別の女の子がいる。厳しかった野球の練習と受験勉強から解放されて、遊びたくなる気持ちはわかるが、知らない女の子たちと気安く仲良くなんてできない。 
 先輩には高校で長く付き合っていた彼女がいた。上手くいっているように見えていたけれど。
 俺もこうすれば気が紛れるのかな。いや、絃加以外と恋愛ができる気がしない。そもそもこういう遊びは自分にも相手にも良くないんだ。将来、後悔することなんて目に見えている。
 ソースが沁みたお米だけが残ったどんぶり。カツを先に食べたとしても、ソースがかかっていれば美味しい。最後の一口を食べる。
「そろそろ戻るか」

「じゃあ私ここで」
「うんまたねー」と手を振るまつりと、
「頑張ってください!」とグータッチしてくる未羽と、
「うぃーっす」ともう歩き出しながら手を振る杏に別れを告げ、約束の公園へと絃加は足を進めた。

残った三人は駅へと向かう。
「あれ、そもそもなんで絃加は付き合ってるんだっけ」先を歩く杏に追いつきながらまつりが言う。
「向こうが付き合ってってうるさかったからですよ」未羽も小走りで追いつく。
「そうそう。ってか、それさっき話してたけどね絃加が。付き合ってもいいかなーっていうのじゃなくて、そうしないと付き合ってほしい攻撃が止まなかったからって感じだと思う」杏は細い人差し指を立てながら説明する。
「えぇそうだったのか。私は付き合ってほしいって言われたら嬉しいけどねー。絃加にとっては攻撃みたいなものなのかぁ。じゃあ、付き合ってたのって思ったよりキツかったのかな。」ポケットに手を入れるまつり。
「ん-どうだろうね。」同じくポケットに手を入れる杏。
「でもそんなにバイトの時に、付き合ってるの辛いーみたいな話してきませんでしたよ?あー温かい」横を歩くまつりのダウンのフードの下に手を入れ、未羽は暖をとった。
「まあ、ソーディーは絃加のことちゃんと理解しようとして、めちゃくちゃ調べてたもんね。アロマンティックアセクシャルのことも、SNSとかブログでそういう人たちのエピソードを見て勉強してたらしいし。」 
「へぇ、すごいねー。」駅から出てくる手をつないだ二人組の男の人を見て、まつりは少し前の出来事を思い出す。「あ、この前さー、リビングでだらだらしてて、その時お父さんもリビングに居てさ。テレビでLGBTの話が出てたからか、お父さんに「まつりの周りにそういう人はいないのか」って聞かれてさー。
「ん-、LGBTはいないけど、友達がいれば幸せって人ならいるー。友達が家族みたいな存在だから、恋人はいらないって人」って言ったのよー。
そしたら、
  「それは、その友達が恋人みたいなものってことじゃなくて?」 
  「違うよー。」
  「その二人は同居してるとか?」
  「してないよ。そもそも二人じゃないし。」
  「へぇー、そういう関係もあるのか」
  「なに?そういう関係って。家族みたいな距離感の友達がいるのは普通でしょ」
  「ん?え、だってそれって、恋愛関係を通過して、もはや家族ってやつでしょ?」
  「ちーがーう!!」
  「普通に友情だから。家族みたいな存在の友情。その子は恋愛感情ない人だから。」
  「いや恋愛感情を持たない人って、そんな人いる?」
って。だから、「いるんだよ、アロマンティックっていうの」って教えたけど、全然聞いたことないみたいだし、すごい驚いてたから、親世代はすんなり理解できる人は珍しいのかもなーって思った。」
「いや、さすがまつりのパパさん。ちゃんと理解しようとしてて良いパパだよ。」
「いいなぁ。私のお父さんなんて痴漢あったって泣きながら言った時、第一声が「勘違いじゃなくて?」でしたよ?ふざけんな!あんなしっかり触られたのに勘違いなわけないじゃん!あー思い出しただけで、気持ち悪くなってくる…。これだから男は嫌なんですよ…!」怒りながら、まつりのフードの下で手をさする未羽。
「え、あんま人の親のこと悪く言いたくないけどそれはないわ。ほんと、辛い時はいつでも呼びなね。一人でいちゃだめだよ」未羽の顔を覗き込む杏。 
「うぅー、ありがとうございます。大好きぃ…。やっぱり同性しか勝たん…。杏さんは親と仲いいんですか?」 
「ん-仲よくはないかな。悪くもない。好きでも嫌いでもないけど、二人が喧嘩ばっかりしてるから迷惑って感じかな。うるさいし。なんで結婚したの?って思う。全然幸せそうに見えない。だからかな、「結婚」=「不幸」みたいな固定観念がどっか自分の中にある気がするんだよね。」
「「結婚」=「不幸」って、絃加も、言ってたー!」と、駅の階段を弾みながら登るまつり。 
「そうなんだ。絃加、興味ないだけじゃなくて、反対なんだ。絃加はね、親の事あんまり好きじゃないって言ってたな。でも今も家族でよく出かけて仲良さそうではあるけどね。全然価値観が合わないって言ってたな。」と杏が言う。
「たまに家族の話を聞くけど、不思議な関係だよね。家族を家族として見てないっていうか、いい意味で他人だと思ってるもんね。独り立ちしてるなーって思うー。」 
 ピッ、ピッピッ
と交通カードをかざすまつり。続く二人。
「絃加のおかげで、家族ってこういうもんーとか、恋人ってこういうもんーとか、そういうものに自分って結構囚われてるなって気づいたんだよねー」
と話しながら端っこの壁に寄りかかるまつり。駅の中でそれぞれの電車が来るのを待つ。
「アロマアセクの人が彼女やってるのもほんとは変な話だよね。「彼女」とか、「アロマンティックアセクシャル」とかの括りに当てはまらないで、絃加は「鷹木絃加」として生きてるから、見てて楽しいんだよなー」と同じく壁に寄りかかる杏。
ちょっとー、その壁綺麗なんですか?とため息を吐きながら「絃加さんはほんと、かっこいいですよ。」と遠くを見てつぶやく未羽。 
「未羽もかっこいいよー。最初、未羽の話聞いてびっくりしたんだよね。自分はただ生きてただけなのに、突然勝手に傷つけられて。なのに、心をえぐってきた張本人はのうのうと生きてるんだから。私ならどうにかなっちゃうよ。でも未羽はちゃんと傷ついて、受け入れて、ちゃんと世の中に敵意を持って、また外で生きてる。」
「うん。私も、未羽の話聞くたびに、これからもずっと生きづらい思いをするんだろうなって思ってた。」
 まつりと杏がゆっくり未羽を見る。未羽は二人の目を見つめた。エアー演説台が現れた。未羽は息を吸った。そして、吐く。
「……生きづらいです。たぶん、みんな生きづらい世の中です。そんな世界を変えるためには発信して、伝えていくしかないんです。私は、その発信が出来なかった。「痴漢なんて割とよくあることだ。」「警戒心が足りてないから悪いんだ。」とか。そういう、どこからともなく聞こえてくる、なんの思考も詰まっていない、ぽんって誰かの口から適当に出た声が、私の喉を絞めるんです。性被害にあって、男の人がいるとパニックを起こしてしまう人もいます。私は幸いパニックは起こしてはいないですけど、自分の近くにいる男の人にビクビクして、無意識に警戒して、女性専用車両を探す生活が普通になりました。向こうから歩いてくるサラリーマン、仲良くなってみたい男の同級生、先輩、後輩。誰も信じられなくなりました。そんな時、絃加さんが話しかけてくれて、お二人にも出会えて、こうやって自分の気持ちを何の不安もなく話せて。私の世界を変えるための大きな一歩を踏み出せているんです。今は、大好きな人たちと笑い合う時間を通して、次の一歩を踏み出すための英気を養ってるんです。こんな世界で生きていく意味ってあるのかな……って思う時もたくさんあります。それでも私は、前に進みながら生きていたいです。最悪な時でも、大切な人と過ごす時間は楽しいって知ったから。だから……、ふふっ、早く、集まりたいです!!!次、いつ空いてます?」
 改札口の隅っこ。今はまだ二人しかいない聴衆に、宇野未羽は笑顔でそう問いかけた。

 「さっむ…。」
待ち合わせ場所はいつもの公園のいつものベンチ。ファミレスからは歩いて8分。
公園入口の奥にあるベンチに座る創大が見えた。
「あげる」
近くまで行くと、温かいコンポタをくれた。私が来るまでそこまで時間は経っていないようだ。
「ありがと。バイトおつかれさま。」
「うん。寒いね」コンポタのぬくもりを失った手をこすって、創大は気を紛らわせた。 
「寒いねぇ」
今日は晴れなので、斜め上を見ると、三日月ときれいにご対面できる。
「今日さ、この時間が来ちゃうのが嫌すぎて、バイトでミスっちゃった」
「あはは。創大って感情が行動にはっきり出ちゃうよね」
「ふっ。わかりやすいでしょ」
「うん。かわいいよ。そういうとこ」
「あっはは、ありがとう?ん-、でも今日は褒められると、最後の情けって感じがして悲しい。」
「別にいつも通り思ったこと言っただけなんだけどな。ん-、これもいつも言ってて、またかってなると思うけど。人としては愛しいなって思う時はあるけどさ、それ以上でもそれ以下でもないんだよ」
「うん」
「恋愛の「好き」の感情ではないし、それを求められても困るよって」
「うん…。うん、わかってるよ。でもさぁ…俺には、じゃあ「わかった。」って言って失くせる関係でも時間でもないんだよ。人付き合いが下手で、嫌で、自分が安心していられる居場所がほとんどない俺には、この時間が、場所が最高に楽しいし愛しいんだよ。」
「うん。私も、楽しかった。」
「なんで過去形なの」
「終わらせた方がお互いにとって良いと思うから」
「今の聞いてた?おれには失くしたくない時間だし、切っちゃいけない関係なの」
「でも、だからこそ、定期的に、この前みたいに好きになって欲しいとか、自分と同じ感情を求めちゃうでしょ?でも私はそれをあげられないから。その度に創大は寂しいとか苦しい気持ちになるんだよ?」
「そうだけど、そうだけどさ。一緒にいるってもう、そういうものじゃんか。」
「私はお互い一緒にいて苦しいなら別れたほうがいいと思ってる。申し訳ないから。私の考えは変わらないよ。一生恋愛しようなんて思わないし、好きにもならない。一番大切って言ってくれるけど、私にとって恋愛は一番じゃない。なんで恋人のために自分の時間を使わなきゃいけないの?って思うんだよ。自分、趣味、友だちとの時間が、恋人との時間よりも大切だと思ってる恋人といて幸せ?」
「………。」
「もし、このまま付き合ってたとして、将来、何かあったとき、例えば、杏たちと創大が同時に大けがとか病気になったとしても、たぶん私、創大のところには駆け付けないよ?杏たちは家族みたいなものだからそっちに行っちゃうと思う。でもまあ、そもそも、付き合っても結婚してもいない人のために、仕事を抜けることなんて認められないんだろうけど。創大ならきっと真っ先に駆けつけてきてくれるでしょ?私と付き合っても絶対幸せになれないよ。」
「そ、そんなのわかんないじゃん。絃加が俺を好きになるかもしれないし、俺だってアロマアセクになるかもしれないじゃん。」
「そんな、可能性の低い話で誤魔化さないで。それと、もし創大が恋愛感情の「好き」を感じなくなったときは、きっと私と居たいって思わないよ。創大はアロマアセクになったことなんてないんだからわかんないでしょ。」
「絃加だって俺になったことないからわかんないでしょ。」
「まぁ、それはそうだけど…。えっと、何の話だっけ?あぁ、思い出した。私に恋愛感情が芽生えるか、創大がアロマアセクになるかもって話ね。だから、あるかどうかわからない未来の話じゃなくて、今の私たちは離れたほうがお互い幸せだよって思うの!」
「絃加はさ…。寂しくないの?」
 いつの間にか冷えていたコンポタの蓋を開けて一口飲む。
「寂しいよ。寂しいけど、それで良いと思ってる。しょうがないじゃん。私は自分の気持ちに嘘つくのが嫌で、自分のせいで人が悲しむのを近くで見るのも嫌。1人は、自分を嫌になることが無くて楽しいけど、寂しくもあるのは充分知ってる。でも、それが私には心地いいの。たぶん私は寂しくいたいんだと思う。」
 液体の中にあるつぶつぶを嚙む。これ、コーンの身がちゃんとしてるやつだ。美味しい。
 「俺と一緒にいて辛かった?」
「辛くはなかったよ。申し訳ないなって思うときは何回もあった。」
「俺は苦しくても好きな人と一緒に居たくて、絃加は寂しくても一人でいたいんだね。」
「私には、苦しくなくいられる好きな人たちがいるけど?」
「ああ、杏たちね。」
「うん。」
「苦しくない好きなんて、ないでしょ。」
「あるよ。この前どっかで聞いたんだけど、恋愛で苦しい気持ちになるのはダメなんだって。ドキドキする人より、安心する人といるのがいいんだってさ。」
「ドキドキじゃなくて安心してたけどなー、上手くいかなかったよ?」
「人それぞれってことよ。」
「アロマアセクなのに付き合う人とかね?」
「それは、ほんとしつこかったから。」
「ごめんごめん。でもこの先そうやってしつこく迫る人が現れたら、またとりあえずの対処として付き合うの?」
「いやそれはない。ほんとに人として好きだなって思えてないと付き合えない。気を許してない人から恋愛感情向けられたら、頭の中でね、ウ-ウ―!って警告音なるもん。」
「へぇー」
「そっちは?次に好きになった人もまたアロマアセクとかでも、付き合おうとするの?」
「ん-、今のところ絃加以外を好きになれる気がしないけどね。もし好きな人が出来て、その人が自分と同じ恋愛の価値観を持ってなかったとしても、また自分たちだけの関係を築いて一緒にいられるように頑張るよ。もちろん好きになって欲しいとも思っちゃうよ。それが恋愛の「好き」だから。」
「やっぱり恋愛はおこがましいね。」
「そうだね。」
 カランカランカラン
 落ちていた空き缶が転がる。全身を通り抜ける冷たい風が公園に吹いた。
「わーもう、さっむい!」完全に冷えたコンポタを飲み干す。
「だって冬真っ只中だもん。もう年越しちゃうよ。」
「外で話せるような季節じゃないって…。ふふっ、ねぇこれって断捨離なのかな」
缶の中にまだいると思われるコーンを探すため、片目を瞑って缶をのぞき込む絃加。
「ひどいこと言うなぁ。絃加はそうかもだけど、俺は何も捨ててないし、全然いいことないからね。」
「でもそっちが今以上の関係を求めちゃったからこうなったんだよ。黙ってたらまだ続いたかもしれなかったのに。」暗くてよく見えないので、コーン探しは諦めてゴミ箱の方へと歩く。
「まあね。でも人間、正直に生きるのが一番だから。」
「そうだね。じゃあ正直に言い合った結果別れるなら、やっぱり1番いい形なんじゃない?」
ポイッとゴミ箱へ空き缶を投げいれる。
「ん-、そうかもね。じゃ、寒いし帰るか。」
「帰るかぁ。」
 
駅前では、さっきとまた別の人が路上ライブをしていた。
「この曲めっちゃ流行ってるよね」
「えそうなの?」と寒さで耳を赤くした絃加がこちらを向く。
「知らない?」
「聞いたことはあるけど、全然刺さらなくて聞いてない」
「昔は流行ってる曲いっぱい歌ってたのに」
「高校の時?」
「そう。」
「あー、確かに。昔は私が創大にフラれたもんね」
「そうだよ。はぁー。この人はまったく変わってしまったよ」
「人は変わるものさ。てか、君もだから。」
駅前で立ち止まる。年末だからか、終電が近い時間でも人が多い。
「じゃあ、元気でね」
「うん、創大も。じゃ。」
電車で帰る彼女が改札を通り、ホームへ降りるのを見送る。
「ん?」
急に振り返った彼女が言う。「忘れてた!良いお年を!」
「あー、うん。良いお年を!」
最後は笑顔で手を振って行った彼女。断捨離かぁ。まったく、清々しい顔をしていたよ。絃加がいない日々から始まる来年なんて、いい年になる気がまったくしないのに。 
 家に帰るか。喧騒を横目に、歩き出す。
 大の大人たちからすると、若造のくせにって思われそうだけど、今猛烈にビールが飲みたい。こういう時にも、ビールって飲みたくなるんだ。
 大学生の絃加との恋は、最初から最後まで苦かったけれど、自分一人じゃ味わうことがなかったであろう、たくさんの刺激を得た。しゅわしゅわパチパチ、楽しかったよ。
 彼女から見る俺は、一方通行の悲しい人間だったのかもしれないけど、「好き」な人と居られたのだから、ちゃんと幸せだった。それを伝えたら、絃加は困ってしまうのだろう。
 これでよかったっていうのはわかってるけど、それでも俺は、まだ一緒にいたかったよ。

 ちょっと冷たすぎたかな。一方的に押し通しちゃった気がする。
 ドアの車窓から外を眺めながら考える。恋愛は互いの理想の押し付け合いなのに、なんでフッたほうが悪いみたいになるんだろう。自分が幸せになるための選択は悪いことじゃなくない?
 共感できないのは悪なのだろうか。映画やドラマには自分みたいな人は出てこない。私が共感できる人はどこにいるのだろう。恋愛ができない人はみんな特殊な過去をもって描かれる。私はただの平凡な人なのに。恋愛ができないことは特別なの?特殊なの?1人でいられる子ってすごいの?そういう人もいるって自然と受け入れるのが多様性の社会なんじゃないの?社会全体で紹介されて、こういう人もいますって説明されないと、その人のことは認めないの?
創大は私をまるごと好きになってくれた。きっと創大と人生のパートナーになったら、多少はうまくいくのだろう。別れたことを、どこかの誰かさんには、え~もったいない!と言われるのだろう。それでも私は私らしく、自分の思う幸せな人生を生きていくのだ。

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