オテンキのり

自分の胸だけに留めてなるものか! 吐き出さずしてなるものか! 死んでも忘れてなるものか…

オテンキのり

自分の胸だけに留めてなるものか! 吐き出さずしてなるものか! 死んでも忘れてなるものか!な話を綴っていきます ※毎週月曜日更新

最近の記事

「恐怖の後輩天野くん」の巻

私の後輩にお笑いコンビ「甘味処」の「ちゃーはん天野」という男がいる。大好きな後輩の1人だ。大学までラグビーに励み、その恵まれた体格を生かし「お笑いプロレス」でも頑張っている。 「ちゃーはん天野」という芸名は「チャーハン」が大好物で、「カレーの次にチャーハンが好き」だかららしい。 「カレーの次かい!」 とツッコミを入れてしまうが、本人はポカーン顔。ツッコんだら負けである。 これは、ちゃーはん天野の得意技「ボケじゃなくてマジ」である。 彼は「本気」なのである。 以前、私の誕生日

    • 「サトウの切り餅がキングスライムになった日」の巻

      私は「お餅」が好きだ。 子どもの頃からお正月が好きだ。 お年玉よりもお雑煮が好きだった。 
実家には「CDラジカセ」(音楽やラジオ聴く機器)も、「ファミコン」(ゲーム機)も、「ビデオ」(テレビを録画出来たりもするが、主にエロい映像を見る機器)もない。 吉幾三さんの「こんな村イヤだ」ならぬ「こんな家イヤだ」だったが、「自動餅つき機」はあった。 
年の瀬が近づく頃、祖母が家のどこからか出してくると、「ガタン、ゴトン」と凄い音をたてながら餅を作り始める。
(注)「ガタン、ゴトン」言

      • 「夜中のキャバクラ嬢からの電話」の巻

        まだLINE電話もない、ガラケー全盛の時代、いや、ポケベルだったかな〜?もしかしたら伝書鳩を使っていた時代だったかも?ってくらい、むか~し、むかしのお話です。 当然、私が奥さんと結婚する前、いや、お付き合いをする、ずっとずっと前のお話しです。きっと‥ 夜中の3時にキャバクラの女性から電話がかかってきた。 夜中にいきなりさ〜♪「瑛人」の「香水」状態。 こんな夜中に一体!? いや、なぜキャバクラ嬢のお姉さんが私の連絡先を? ん〜行ったような気もするし、スゴく楽しかったような気も

        • 「なんだかなぁ〜」の巻

          大谷翔平は好きだがグッズを買うほどではなく、ラーメンは好きだが二郎に行ったこともなく、寝るのは好きだが寝具にこだわったことも無い。 占いも気にはなるけど、お店に行って占ってもらうほどではない。 そんな何事も「にわか」な私。にわか街道を安全運転で走っている。 そんなある日の朝。情報番組をつけながら朝食をとっていたら、占いコーナーが始まった。別に毎朝楽しみにしているほどではないが、公園でチューしているカップルぐらい、ついつい見てしまう。 私の「うお座」は、その日最下位だった。

        「恐怖の後輩天野くん」の巻

          『襲われた日』の巻

          今から20年ほど前、私が25歳頃の話。穏やかな川が流れ「これでもか!」ってくらい立派な「土手」のある街に引っ越した。 とは言うものの、立派な土手があるから引っ越したわけではなく、引っ越した後に「あれ?ずいぶん立派な土手あるじゃん!」って感じだった。 走りたくなる坂道「全力坂」はテレビでお馴染みだが、その土手は走りたくなる「土手」だった。 いや、正確に言うと、走りたくなるではなく、金八先生のオープニングみたいな、ちょっと軽くウォーキングしたくなる土手だ。 金髪の美女のランニング

          『襲われた日』の巻

          「悲しい釣りバカ日誌」の巻

          千葉県鴨川市の生まれで海がすぐ目の前ということもあり、「釣り」は身近な存在だった。 身近な存在だがら「好き」かと言われると、そうでもない。 幼馴染みだから「好き」になるとは限らない「男女の関係」みたいなものだ。 その理由は、父の存在が大きかった。 父は海釣りが大好きで、スキがあれば頻繁に、そして強制的に一緒に行った。 家にあった釣り道具専用小屋には、十数本の竿の他に、おそらく自分で釣ったのであろう魚拓も飾ってあった。 基本、父は家に居ない。 「仕事」「酒」「釣り」「祖母と

          「悲しい釣りバカ日誌」の巻

          友(強敵)との再会。15年後の貴乃花」の巻

          赤坂でラーメンを食べていた27歳の時、私は何か落ち着かずにいた。 慣れない「赤坂」という街がそう感じさせるのか? カウンターしかない店内は、体重100キロを超える私には狭く感じるからか? そのどちらでもない「何か」ということはわかっていた。 私の中の細胞が、店にいることを拒否してくる。 怯えている?私の細胞が何かに怯えている。何に?何かが来るというのか?とんでもない強者が? いや、落ち着け! 別に元横綱、貴乃花親方が突然ドアを開けて入ってくるわけでもないだろう。 ドアが開いた

          友(強敵)との再会。15年後の貴乃花」の巻

          貴花田光司はなぜオテンキのりを投げとばしたのか

          1991年の春。時は若貴ブーム真っ只中だった。 小学6年生の私の前には、貴花田光司(後の65代横綱貴乃花光司)と対峙していた。 待ったなしの大一番。 小学6年生の時、地域の小学生を集めた「ちびっ子相撲大会」が開催された。 ゲストは、藤島部屋の方々。その中に、若貴兄弟もいた。 各小学校の代表3名による団体戦で私の小学校は優勝した。 もちろん私オテンキのり(後に空手と柔道で千葉県を制す男)も出場し、私は他を寄せ付けない全勝でチームの勝利に貢献した。 私の目には貴花田しか映って

          貴花田光司はなぜオテンキのりを投げとばしたのか

          「鵜の真似をする烏」と「パブロフの犬」の巻

          「鵜の真似をする烏」とは 自分の腕前を わきまえずに、人の真似をすると失敗するということ。 「パブロフの犬」とは イヌに条件刺激(音)を与えてから、無条件刺激(エサ)を与えることを繰り返すと、音を聞いただけでよだれを垂らすようになる。 忘れもしない2024.3.30 「櫻坂46 SAKURAZAKA46 Live,AEON CARD with YOU!Vol.3」幕張メッセでの出来事。 イベントの名MCを司らせて頂いた。はんにゃの金田くんも一緒だった。 イベントは無事に大成

          「鵜の真似をする烏」と「パブロフの犬」の巻

          霊の声が聴ける電話番号」の話

          小学3年生の時、友達が「霊の声が聞ける」という電話番号を手に入れた。(雑誌の付録) ケータイの無い時代、友達4人で、各々家の電話でかけて次の日にみんなで内容を確認する「度胸試し」をすることになった。 それぞれ番号をメモし家に帰った。 私は家に帰るなり、恐る恐るその番号に電話をかけた。 プルルル、プルルル、ガチャ。 繋がった。 すると、男性の声で 「ゔーゔ、うう、ゔー」という唸り声が聞こえた! 私は気味悪さにすぐ電話を切ってしまった。 心臓がバクバクした。 「呪われてしまうか

          霊の声が聴ける電話番号」の話

          汗とウンチとおじさんが出た話し

          我ながら酷いタイトルである。 10年程前、柔道のお仕事に向けてジョギングをしていた。 深夜のラジオ生放送が終わってから、深夜2時から走り始める。 タフな男だ! 家の近くの土手を走るのだが夜の土手は非常に暗い。 お父さんに怒られた後のお兄ちゃんくらい暗い。 昼間は少年野球や少年サッカーの子ども達、ジョギングをする人や犬の散歩をする人で賑わっているがウソのように閑静としている。 ベロベロに酔っぱらって帰った次の日、財布の中の空っぽさを思い出させる。 自分の足音しかしない土手。草

          汗とウンチとおじさんが出た話し

          「デブを極めし者」の話

          松下電器(現Panasonic)の創業者、経営の神様・松下幸之助さんの言葉 「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」はご存知だろうか? 中途半端だったり、批判を恐れていては良い結果は得られないという、ビジネス界をはじめ、多くの場所で使われている名言だ。 ラジオのイベントの企画のためダイエットをすることになり、昨今テレビCMで話題の薬局で買える内臓脂肪減少薬「アライ」を購入するため薬剤師さんがいるドラックストアに行った。 すると薬剤師さんがお昼休みのため、買えなかった

          「デブを極めし者」の話

          ラジオ生放送ハプニング編〜人生いろいろ、ラジオもいろいろ〜オテンキのり

          文化放送「オテンキのりのレコメン!」を11年(2012. 4月〜2023 .3月)パーソナリティを務めさせていただきました。 3時間の生放送の中、毎日(月~木)ゲストコーナーがあり、アーティスト、アイドル、声優、役者、お笑い芸人など様々な方が登場してくれた。 郷ひろみさん、近藤真彦さん、伊集院光さん、back number 、あいみょん、Official髭男dism、Mrs. GREEN APPLE、Ado、など、書ききれない程の今をときめく方から、昔からときめいてる方々ばか

          ラジオ生放送ハプニング編〜人生いろいろ、ラジオもいろいろ〜オテンキのり

          心霊体験VS縦社会の話

          大学進学のため上京し、体育会合宿所に入寮した。 簡単に言うとスポーツ部の寮で、私が所属している柔道部の他に空手部、相撲部、アイスホッケー部で生活していた。 柔道部は一学年10人、総勢40人になる。 一部屋4人(1年生から4年生の各1人)という部屋割り。 八畳に4人。1人二畳(共有の押入れ有り) 布団を敷いて,カラーボックスを置いたら足の踏み場は無い。 1年生はドアのすぐ前と場所は決まっている。 そこは先輩達が通れるように、なるべく端っこで寝なければならない。先輩達は皆、足拭き

          心霊体験VS縦社会の話

          (恐怖の大魔王)父親ドジっ子エピソード♪

          6月の第3日曜日。 今年の「父の日」が終わった。 だからと言うわけじゃないが、今回は父親の忘れられない話。   「父親は怖い」は、もう一昔前の言葉になってしまった。 令和の現在には、絶滅の危機に瀕している状態だ。 いや、どちらかというと「危機」ではなく「幸甚」なのだろう。 私の育った昭和は、人の家の子も平気で引っ叩く怖いおじさん「怖おじ」が2019年頃のタピオカ屋ぐらい軒並み連ねていた。 何処もかしこも、怖おじだらけだった。 それだけ近所の人達の距離が近かった。 現代は「輪」

          (恐怖の大魔王)父親ドジっ子エピソード♪

          教習所の呪いの巻

          大学四年生の時、都内の自動車教習所に通った。 高校時代に車の免許を取っておきたかったが、柔道推薦での大学進学が決まっていた為、高校3年の1月から大学の合宿所に入ってしまう。 私の誕生日は2月27日。 なので地元の友達とウキウキ、ワクワク教習所に通うことが出来なかった。 地元の教習所に通う同級生達が羨ましかった。 違う高校でも待ち時間とかに 「〇〇高?じゃ〇〇知ってる?」とか「〇〇中出身なんだ〜」とか楽しそうだった。 私は女子との出会いしか望んでいない。 男子はどうでもいい。

          教習所の呪いの巻