オテンキのり

自分の胸だけに留めてなるものか! 吐き出さずしてなるものか! 死んでも忘れてなるものか…

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自分の胸だけに留めてなるものか! 吐き出さずしてなるものか! 死んでも忘れてなるものか!な話を綴っていきます ※毎週月曜日更新

最近の記事

「デブを極めし者」の話

松下電器(現Panasonic)の創業者、経営の神様・松下幸之助さんの言葉 「出る杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」はご存知だろうか? 中途半端だったり、批判を恐れていては良い結果は得られないという、ビジネス界をはじめ、多くの場所で使われている名言だ。 ラジオのイベントの企画のためダイエットをすることになり、昨今テレビCMで話題の薬局で買える内臓脂肪減少薬「アライ」を購入するため薬剤師さんがいるドラックストアに行った。 すると薬剤師さんがお昼休みのため、買えなかった

    • ラジオ生放送ハプニング編〜人生いろいろ、ラジオもいろいろ〜オテンキのり

      文化放送「オテンキのりのレコメン!」を11年(2012. 4月〜2023 .3月)パーソナリティを務めさせていただきました。 3時間の生放送の中、毎日(月~木)ゲストコーナーがあり、アーティスト、アイドル、声優、役者、お笑い芸人など様々な方が登場してくれた。 郷ひろみさん、近藤真彦さん、伊集院光さん、back number 、あいみょん、Official髭男dism、Mrs. GREEN APPLE、Ado、など、書ききれない程の今をときめく方から、昔からときめいてる方々ばか

      • 心霊体験VS縦社会の話

        大学進学のため上京し、体育会合宿所に入寮した。 簡単に言うとスポーツ部の寮で、私が所属している柔道部の他に空手部、相撲部、アイスホッケー部で生活していた。 柔道部は一学年10人、総勢40人になる。 一部屋4人(1年生から4年生の各1人)という部屋割り。 八畳に4人。1人二畳(共有の押入れ有り) 布団を敷いて,カラーボックスを置いたら足の踏み場は無い。 1年生はドアのすぐ前と場所は決まっている。 そこは先輩達が通れるように、なるべく端っこで寝なければならない。先輩達は皆、足拭き

        • (恐怖の大魔王)父親ドジっ子エピソード♪

          6月の第3日曜日。 今年の「父の日」が終わった。 だからと言うわけじゃないが、今回は父親の忘れられない話。 「父親は怖い」は、もう一昔前の言葉になってしまった。 令和の現在には、絶滅の危機に瀕している状態だ。 いや、どちらかというと「危機」ではなく「幸甚」なのだろう。 私の育った昭和は、人の家の子も平気で引っ叩く怖いおじさん「怖おじ」が2019年頃のタピオカ屋ぐらい軒並み連ねていた。 何処もかしこも、怖おじだらけだった。 それだけ近所の人達の距離が近かった。 現代は「輪」

        「デブを極めし者」の話

          教習所の呪いの巻

          大学四年生の時、都内の自動車教習所に通った。 高校時代に車の免許を取っておきたかったが、柔道推薦での大学進学が決まっていた為、高校3年の1月から大学の合宿所に入ってしまう。 私の誕生日は2月27日。 なので地元の友達とウキウキ、ワクワク教習所に通うことが出来なかった。 地元の教習所に通う同級生達が羨ましかった。 違う高校でも待ち時間とかに 「〇〇高?じゃ〇〇知ってる?」とか「〇〇中出身なんだ〜」とか楽しそうだった。 私は女子との出会いしか望んでいない。 男子はどうでもいい。

          教習所の呪いの巻

          「出た〜!」の巻

          ほら、ボクって虫が苦手じゃないですか? (知らねえよ!) じゃ、ボクが虫苦手って知らないじゃないですか? しかも、元々は苦手ってわけじゃなく、割と虫取りとかしてたのに、急に苦手になったタイプじゃないですか? (だから知らないのよ!) ウザ絡み風に、虫が苦手なことを紹介しました。 私は海と山に囲まれる田舎で育った。 1990年代後半の渋谷でガングロギャルに遭遇する確率ぐらい田舎では虫と遭遇する。 元々、虫がダメだったわけではなく、むしろ子どもの頃は得意な方だった。 服にカメムシ

          「出た〜!」の巻

          死にたいぐらいに憧れたエロい都″大東京″の巻

          とにかく東京に出たかった。 隣の千葉県に生まれたが東京は遠い存在だった。 大体千葉県出身と言うと「じゃ、近いね」なんて思われるが、私の生まれた千葉県鴨川市から東京駅までは特急で片道2時30分かかった。 正確に言うと安房鴨川駅から東京まで2時間30分で、実家の最寄り駅から鴨川駅までは2駅ある。田舎の2駅は遠い。 結果、トータル3時間くらいはかかる。東京には滅多に行くことはなく、テレビでしか見たことがなかったため、外国のような存在だった。 ディズニーランドも同じようなもので、千葉

          死にたいぐらいに憧れたエロい都″大東京″の巻

          浮かれた夏の肝試し。廃墟の病院で見てしまったもの‥」の巻

          高校3年の夏。晴れて柔道部を引退した私は暇を持て余していた。 今まで休みと言えば2、3ヶ月に1日くらいしかなかった。寮生活だった私は、土曜の練習終わりに電車で2時間かけて実家に帰り、次の日の夕方には寮にまた帰って来なければならない。今考えれば「1日しかないのにわざわざ」と思うが、それでも実家に帰り、家族や友達と少しでも会えるのが嬉しかった。その当時の1番有意義な休みの使い方だったのだろう。だから休みを終えて寮に帰る時は本当に憂鬱だった。 しかし、そんな私も最後の大会を終えて浮

          浮かれた夏の肝試し。廃墟の病院で見てしまったもの‥」の巻

          東京膝掛け青春物語〜今日から俺オシャレな東京の人になる〜の巻。

          初めて青山のオープンカフェに1人で行った話。 無性に美味しいコーヒーが飲みたくなる時ってあるよね? 私には無い。 いや、無いわけではないが、私は違いがわからない男である。 違いがわかる男、宮本亜門さん(ネスカフェCM)の逆をいくタイプだ。 きっとコーヒーと言われて、墨汁を出されても気がつかない自信がある。 それは流石にわかるわ! 私の育った田舎には喫茶店は無かった。あったかもしれないが、喫茶店に行く暇があればラーメン屋に行っていた。 千葉県民で「コーヒー」と言えば缶コーヒー

          東京膝掛け青春物語〜今日から俺オシャレな東京の人になる〜の巻。

          大学柔道部物語!北海道合宿編。覗き魔と悲鳴の巻。

          柔道部物語!北海道合宿編。覗き魔と悲鳴の巻 大学1年の夏休み。 柔道部の合宿は北海道の温泉街で行われた。 流石、大学の合宿である。 せっかく北海道に来たのに、ず〜っと柔道をしなければいけない。 しかも、北海道警察の術科特別訓練の柔道部の方々、通称「特連」と呼ばれる柔道のエキスパートに胸を借りる。 ウチの大学の柔道部は千葉県に行けば「千葉県警の特連」、神奈川県に行けば「神奈川県警の特連」と決して「るるぶ」に載ってない通な旅をする。 もちろん東京にいても、新木場にある警視庁の

          大学柔道部物語!北海道合宿編。覗き魔と悲鳴の巻。

          「パンティ相撲」世紀の誤審の話

          高校時代、我が柔道部に伝統として伝わる「パンティ相撲」というものが存在した。 (現在はどうか知らないが) 冬休み合宿最終日の夜に、埼玉の姉妹校「O高校」と行われる。 「パンティ相撲」 名前だけ聞くと、ふざけたものと思われるかもしれませんが、部の繁栄、無病息災を願って行われる伝統的な由緒正しき祭事。(ウチの柔道部とO高校の柔道部内では。) そして、柔道の神様に「今年一年、無事に柔道をさせて頂きありがとうございました」という感謝を込めて行われる神事ともいえる。(ウチの柔道部とO高

          「パンティ相撲」世紀の誤審の話

          世界初⁈「車にひかれて、逃げた話」この謎が解けるかな?の巻

          私が大学3年の時の話。 柔道部だった私は、大学の体育寮に住んでいた。 寮での厳しいルールの1つに「練習を終わり次第、すぐ寮に帰り、その後は外出禁止」 これは白金に住んでる社長令嬢もビックリな厳しいルールだ。 大事にされ過ぎな「やんごとなき柔道部」である。 もちろん大事にされているのではなく、外に出ても「ロクなことしないだろう」ということだ。 外出がバレたら、もちろん怒られるし、頭がツルツルにもなって、連帯責任で他の部員にも迷惑がかかる。 「ルールは守ってこそルールである」 し

          世界初⁈「車にひかれて、逃げた話」この謎が解けるかな?の巻

          「ヨシノリ少年と父親の秘密の部屋」(後編)

          初めてエッチなビデオを見た時の話。 小学6年生の時、同級生5人で集まり 「うちの父親の秘密の部屋」から父親の秘宝を持ち出した。 きっとハリーに「スリザリンの継承者でしょ?」と伺われてもしょうがないくらい、私は秘密の部屋を頻繁に開いていた。 「エッチなビデオ」 この世の全ては、その中にあると思っていた。 みんなでお小遣いを出し合ってお菓子やジュースを買い、遠足さながらだった。 そう、僕らの行き先は「大人」だ! 期待と股間をやや膨らませビデオの再生を押した。 縄で縛られ吊

          「ヨシノリ少年と父親の秘密の部屋」(後編)

          「ヨシノリ少年と父親の秘密の部屋」(前編)の巻

          エッチな本との出会いは小学1年生の時だった。 その日は私の家で同級生の幼馴染、T君と「忍者ごっこ」をしていた。 トイレットペーパーを「秘伝の巻物」のようにしたり、「孫の手」を背中に入れて刀のようにしたり、ベッドからとびはねたり押し入れに隠れたりと可愛いらしい遊びだ。 ただ、遊んでいた場所は出入りを禁じられている 「父親の部屋」だった。 大きなタンスの上の手の届かない場所に雑誌が置かれていた。 明らかに不自然な場所だった。 「忍者」になりきっていたこともあってか、それが

          「ヨシノリ少年と父親の秘密の部屋」(前編)の巻

          「鶴ヶ城〜母とボクと時々、知らないおじさん〜」の巻

          両親が離婚という進路を選択し中学生の私の生活にも少しずつ変化が訪れる。 上京していた5つ上の次男「きみくん」が、私を心配して仕事を辞めて実家に帰って来たこと。 そして、やたらと人に心配されることが増えたこと。 心配してもらえることはありがたいが、多感な時期だったこともあり素直に喜べなかった。 近所の人に心配をされても「あっ、はい、へへへ」とヘラヘラとやり過ごしていた。 「何かあれば言えよ」とか 「困ったことがあれば言ってね」と言われるが「何かってなんだ?」「困ったことの

          「鶴ヶ城〜母とボクと時々、知らないおじさん〜」の巻

          「お父さんが家を出ていくの巻」

          ほら、僕って中学1年の誕生日に、両親が離婚したじゃないですか? 今回は誕生日サプライズの最先端をいっていた、ウチの父親が荷物をまとめて出て行った時の話。 授業中、先生から呼び出され 「良徳、お父さんから電話があって、今から帰ってくるようにって。」と言われた。 まだケータイもポケベルすらない1990年初頭である。 呼び出された理由は知っていた 家を出て行く父親の荷物をまとめる手伝いだった。 授業中の途中退場はちょっと緊張したがヘラヘラしながら「じゃあ」と出てきた。

          「お父さんが家を出ていくの巻」