見出し画像

(恐怖の大魔王)父親ドジっ子エピソード♪

6月の第3日曜日。
今年の「父の日」が終わった。
だからと言うわけじゃないが、今回は父親の忘れられない話。
 
「父親は怖い」は、もう一昔前の言葉になってしまった。
令和の現在には、絶滅の危機に瀕している状態だ。
いや、どちらかというと「危機」ではなく「幸甚」なのだろう。
私の育った昭和は、人の家の子も平気で引っ叩く怖いおじさん「怖おじ」が2019年頃のタピオカ屋ぐらい軒並み連ねていた。
何処もかしこも、怖おじだらけだった。
それだけ近所の人達の距離が近かった。
現代は「輪」より「個」を重んじる時代で「怖おじ」のニーズはなくなった。
いや、元々ニーズがあったかも疑問だが、ただ「良い時代だった」という人もいるので、まぁ良し悪しあるのだろう。
しかしサザエさんに登場する厳格な父「波平さん」も現在は丸くなってきたように思える。
時代は変わったのだと感じた。
 
私の父親も時代にもれることなく怖い人だった。
怒ると同時に手が出るタイプだ。
「怒れば誰だって怖いよ」って言う人がいるが父親は規格外だった。
現に、子どもながらに他所の父親と比べて一味違うと思っていた。
夜中に襲ってきた歯の痛みにブチ切れた父親は、「クソがー!」と言い放ちペンチを持って「ウギギギギィー」と自らの歯を引っこ抜いた。
常軌を逸している。
何が凄いって、抜く歯を間違えてたことだ。
ドジっ子でしょ?
一味違うでしょ?
ウチの父親は不思議なことに近所の人にも「息子を怒って欲しい」と頼まれていた。
たしかに説教はうまかった気がするが、それは父親がシラフの時に限りだ。
お酒が入ると破壊力が爆上がりし、家の中がアーロンパークが落ちた時のようにボロボロになる。
小学生の頃、私が夜中まで宿題をやっていた時に泥酔した父親が帰ってきた。
「こんな時間まで偉いな」などと褒めることはなく
「いつまで勉強してやがる!バカが勉強したってしょうがねぇだろ。早く寝やがれ」と大暴れした。
止めに来た兄とも大喧嘩。やっていた宿題もビリビリに破れ、オモチャやゲームも破壊された。
怒ると手がつけれない。
まったくもってひどい話しだが、「慣れ」とは恐ろしいもので、それが「当たり前」とまでは言わないが「またか」というぐらいになっていた。
しかし、その時は父親も反省したのか、朝になると
「宿題のこと(ビリビリに破いたこと)は、先生に連絡しておく」と言った。
ただ学校に連絡が来たのは昼過ぎで、宿題をやっていないことを先生にしこたま怒られた後だった。
本当にドジっ子だ♪
 
ドジっ子エピソードはまだある。
 
祖父が亡くなった年の地元のお祭りの時。
子ども達はお祭りに参加させてあげようと、両親だけが「喪に服す」ことになった。
「ハメを外しちゃだめよ」と母親。
「悪さをするなよ」と父親。
「はーい」と背中で返事をし、遠くに聞こえる祭囃子に向かって走っていった。
その数時間後、泥酔以上の泥酔をした母が山車(だし)の上でひょっとこ踊りをしていた。
クラスメイトの女の子に
「ヨシノリ君のお母さん面白いね」と言われた。
更にお祭りの終盤、居酒屋の前を通ると人だかりが出来ていた。
見ると父親が、これまた怖そうなおじさんと取っ組み合いのケンカをして、お祭りのメインイベントを飾っていた。
クラスメイトの女の子に
「ヨシノリ君のお父さん凄いね」と言われた。
夫婦で見事なまでに自分で言ったことの伏線回収をした。
もはやドジっ子ではすまない。

しかしまだまだある。
小学6年生の夏休み、朝早くに近所の神社で行われるラジオ体操を私はサボっていた。
それを祖母が父親にチクリ、また私は怒られた。
(普段、祖母と父親は仲が悪いのに、こういう時は連携をとる。)
父親から「愛の拳骨」と「ラジオ体操の大切さ」を教えられた。
後に偉そうに言っていた父親が「酒の飲み過ぎ」「高血圧」「不摂生」「運動不足」などが原因で「大病のスタプラリー」をするはめになるとは思っていなかっただろう。
父親が怖いので、次の日から早起きをしてラジオ体操に向かう。
素晴らしい朝が来た♪希望の朝だ〜♪
元気なBGMが流れる。
寝惚け眼でパジャマのまま来ている子、泣きながら来ている子もいた。
なぜそこまでして通うのかはわからないが、行けば友達もいるしそれなりに楽しかった。
ドジっ子の遺伝子を持つ私は、ラジオ体操に参加するとハンコを押してくれるカードを忘れた。
ハンコ係の女の子は、わざわざうちに寄ってくれてハンコを押してくれるという。なんて優しい子だ。
体操のおかげか、その子のおかげか、朝から清々しい気持ちだった。

家に着いた。
…何か様子がおかしい?その時、目を疑う景色が飛び込んできた。
両親が朝からおっぱじめていた。素晴らしい朝が来たのは両親にだった。
朝から⁉︎これが本当の朝活⁈
言ってる場合か!
だから私をラジオ体操に行かせたのか?
ウチの両親は朝派だったのか⁈
なぜ今なんだ!
一緒に来てくれたクラスメイトの女の子は
「ヨシノリ君の両親は朝からエッチだね」
とは言ってくれなかった。
無言でハンコを押し帰っていった。
見てはいけない気持ちと、邪魔をしてはいけない気持ちで、私はもう1度、神社に戻った。
やることがないから、縁もゆかりもない人の墓を見たりして時間を潰した。
お腹も減ってきて、このままいるとお供え物に手を延ばしてしまいそうなので、恐る恐る家に帰ると清々しい両親の「おかえり」という言葉が私を迎えた。
やかましいわ!

それから、ラジオ体操の後すぐ帰ることを恐れた私は、体力づくりと称し小学校までのマラソンをみんなに提案した。マラソンは、誰からも疑われることなく承諾された。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?