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机の奥の手紙(怖い話)

この作品は創作です。読んでいる人に幻覚・幻聴や霊障をもたらすことは絶対にありません。
私の話を信じないでください。




子どもの頃のばつの悪い思い出って、誰にでもあると思うんですよ。
私の場合は小学四年生のときでした。


小学生が使う「おどうぐばこ」ってあるじゃないですか。はさみや三角定規を入れておくようなやつ。
当時通っていた小学校では、A4くらいの結構大きなサイズのものを使っていて。

その学校の慣習で、おどうぐばことその蓋を机の中に入れて、簡単な引き出しとして使っていたんです。
左側には箱そのものを入れて文房具を収納するために使い、右側には底が浅い蓋のほうを入れて、その日授業で使う教科書やノートを仕舞っていました。

みんな自分のおどうぐばこを机の中に入れて使っているので、席替えのときはおどうぐばこごと引っ越しするんです。
数か月使い続けた机からおどうぐばこを引っ張り出すと、私みたいにズボラな児童はその奥からいろいろ出てくるんですよ。特に、おどうぐばこに潰されてぐちゃぐちゃになった紙類が。
返却されたテスト用紙とか、落書きしたノートの切れ端とか。「保護者の方へ」って書かれた大事そうな書類が出てくることもあって、そんなときは冷や汗かいたりして。

ある日席替えがあって、次の子に席を空けるために机の中を整理していたんです。
机との摩擦で引っかきキズだらけになったおどうぐばこを引っ張り出すと、案の定その奥には何枚かの紙切れが溜まっていて。

どれも綺麗に折りたたまれたものじゃなくて、明らかに机の中でぐちゃっとなったような紙でした。ゴミにしか思えなかったけど、一応内容をあらためてみようと思って。

ちまちま広げて中を見ていたら、算数のプリントなんかに紛れて一枚、どう見ても保護者向けの文書があったんです。
これはまずいかも、と思って覚悟を決めて読み始めたんですが、すぐに「あれ」って思いました。


「今年度の六年生を送る会につきまして」みたいなタイトルだったと思います。

六年生を送る会って普通は三月とかじゃないですか。でもそのときはまだ夏休み明けだったんです。
夏休みに入る少し前、席替えしたいとうるさい児童たちに先生が「二学期になったらね」と約束してくれて、この日はその待ちに待った席替えの日で。だから覚えています。

こんなに早くお知らせが来ることなんてあるかな。
そう思ってふと書類の日付を見て、納得しました。

私は平成五年生まれで、小学四年生なら平成一五年頃のはずなんですが、そこには「平成二年」って書いてあったんです。

なんだ、今年のやつじゃないのか。じゃあいいや。

とりあえず親や先生に怒られないことが確定したことに安堵した当時の私は、日付が妙に古いことを何も気に留めませんでした。
まぁ、子どもですから。


でもおかしいですよね。席替えのたびに机の中は片付けられているはずなのに、そんなに古い文書が紛れてくることなんてあるでしょうか。

その文書は大人向けで、内容は読んでもよくわからないし興味もなかったのですが、そのときふと、文章が途中で途切れていることに気付きました。

その紙は半分に千切られていたのです。

もしかしてこれ、裏紙なんじゃないか。

自宅で母が家事の合間に作っている、裏が白の広告を小さく切ってクリップで止めたお手製のメモ帳を思い出しながら、私はそう思いました。
皺を伸ばして裏へ向けると、たしかにそこには文章が書いてありました。


細かい文面は覚えていません。ただ、ピンクのラメが入った可愛らしいペンで書かれていたことは覚えています。

それは同じクラスの女子からの手紙でした。
早い話、ラブレターだったわけです。

「K沢のことがずっと好きでした。つきあってください!」
みたいなことが書いてあったと思います。

つきあうって。まだ小四だろ、って思いました。
そんなツッコミを入れる間もなく、私の背を、さっき抱いたものよりずっと大きな不安が這い上がりました。

この手紙、いつもらったんだろう。


きっと送り主は、私がいない間に机に手紙を忍ばせておいたのでしょう。
文面からして明らかに私宛で、私の机に入っていた以上、今の席になってから入れられたはずです。
最後の席替えはたしかゴールデンウィークが明けてからでしたから、下手をすると五月にはすでにもらっていた可能性があります。

ひょっとしたら自分は彼女からの告白を、三か月も四か月も放置していたことになるんじゃないのか。


手紙をくれた女子はクラスの中でも目立たない子で、授業での班活動などを除けば、私は彼女とほとんど話したことがありませんでした。
でも思い返してみれば、暑くなってきた頃から急に女子からの視線が痛くなったような気がする。
教室の隅に集まって、こっちを見ながらこそこそ話していたこともあったような。

彼女に特別な感情を抱いていたわけではありませんが、いや、だからこそ、私はとても申し訳ない気持ちになりました。
振られるどころか、告白をスルーされるなんて。

かといって、今さら彼女を呼んで謝る勇気もありませんでした。手紙に気付かなかったと言っても信じてくれるかどうかわからないし、机の中が散らかっていることを明かすのは、当時の自分にはなぜだかちょっとプライドが傷付く行為だったのです。

誤解を解くことも、手紙を捨てることもできず、どうしようかと考えあぐねて時間だけが経ってしまいました。


そのまま学年が変わり、小学校を卒業して、結局その女子とは一度も話さずじまいでした。
私の心がそう思わせたかっただけかもしれませんが、女子たちの冷たい態度も一時的なもので、彼女自身も特に気に病んでいる様子はなかったと思います。

やがて中学、高校と進み、高校卒業後は地元を離れて関西の大学に進学しました。
彼女からの手紙のこともほとんど思い出すことはなく、思い出したとしても子どもの頃のほろ苦い記憶の一ページに留まっていました。


私は大学を卒業後そのまま関西で就職したのですが、諸事情で離職せざるを得なくなり、昨年久しぶりに地元へ戻ってきました。
それで次の仕事が見つかるまで、実家に居候することになったのです。

十年以上も実家を離れていましたから、私が元々使っていた部屋は立派な物置と化していました。
両親のものも多少はあったのですが、ほとんどが「一人暮らしの部屋に入りきらない」と言って長年の間私が実家に送り付けていたものたちです。
そうです、整理できないズボラな性格は小学生の頃から何も変わっていません。これを機にしっかり断捨離しようと決めました。

クローゼットを開けると、私が幼い頃から捨てられずにとっていたものがたくさん詰まっていました。夏休みの宿題で描いたポスターやら、高校の修学旅行のしおりやら、そういうやつです。

その中に、例のおどうぐばこもありました。

懐かしいという思いと、どうしてこんなものまでとってあるんだという自分への呆れが同時にこみあげてきました。
どうせ処分するつもりでしたが、ふと、中を開けてまだ使えそうな文房具でも入っていないか見てみようと思いました。こういう貧乏根性が、汚部屋を生み出す元なんですけどね。

蓋を開けると文房具だけでなく、やはり雑多なものが入っていました。友達と遊んだゲームの対戦表とか、先生の悪口を綴ったノートとか。

その中に、あの子からの手紙も入っていたのです。


くしゃくしゃになった保護者向けの文書。それを見た途端に、あのばつの悪い思いが甦ってきました。

子どもだったとはいえ、本当に悪いことしたよな。
それに、女の子から告白されるなんて初めてだったのに。

せっかくだし、人生初ラブレターは記念にとっておこうかな。そう思って紙を開きました。

そこに書かれていたのは、あのピンクの丸文字の手紙とは全く違うものでした。


お悔やみ申し上げます


黒いボールペンの細い線で、ただ一言そう書いてありました。
原稿用紙のマスにきちっと詰め込まれたような、神経質に整った大人の字で。

裏返してみると、やはりそれは平成二年の「六年生を送る会」のお知らせで。

私はしばらく呆然とその文字列を眺めていました。


これはいったいなに。


仕事でだけの付き合いの相手に礼儀上送るような、簡潔で事務的な文面。それでも文章から滲み出る不吉なにおい。
私がもらったのは絶対にこんな手紙ではなかった。


この手紙をもらったときのこと、そしてその後のことを必死で思い返してみました。
でもどこかで手紙がすり替わったとは思えません。

誰かがいたずらのつもりでこんなことをしたのだろうか。でも誰が、何のために。
わざわざ紙の裏側の文章まで同じものを用意して。


ひょっとして女子からラブレターをもらったというのは、私の妄想だったのではないか。

色々と考えをめぐらすうちに、そんな気さえしてきました。
何かの拍子にこの手紙をもらって怖くなった当時の私が、忘れてしまおうと記憶を捏造したのかもしれない。


しかしそう自分を納得させようとする一方で、やはりそうではないという思いも強く残っていました。

当時亡くなった身内なんていませんでしたし、この気味の悪い文章が何のために私に送られたのか、そもそも意味不明です。

それに、手紙を見つけたあと例の子とどう接しようか何日も迷った記憶もあります。
仮に私がそこまでの記憶を作り上げていたとしても、ほとんど交流がなく印象にも残っていなかった女子の記憶に置き換わるのは変です。


ぼーっと手紙に視線を落としていた私は、ふとあることに思い至りました。
件のラブレターを見つけた翌日、当時一番仲の良かったTにだけこっそり打ち明けていたはずです。
Tに聞いてみよう。

Tとは高校進学以来あまり連絡を取っていませんでしたが、辛うじてラインのアカウントだけは知っていました。
急に変なことを聞くのもどうかと思い、まずは近況を聞くメッセージを送りました。しばらく雑談を続けたあと、私は手紙のことを切り出しました。


Tはその手紙のことを覚えていました。実際に私から手紙を見せてもらったことも。

「ペンはピンクでかわいかったのに、謎に裏紙使ってたよねw あれ結局どうしたんだっけ?」

私が女子からのラブレターを無視してしまったことを覚えているか、とだけ聞いた次のメッセージが、この返答でした。

当時のTが見た手紙も、私の記憶通りのものだった。

私は適当にごまかして、話題を変えました。


やはり、どこかで手紙の文面は変わっていました。
でもどうして。どうやって。


そういえば、あの手紙をくれた子は何という名前だっただろうか。


私は肝心なことを覚えていないことに気付きました。
気になり始めると居ても立っても居られず、掃除なんてそっちのけで、私は小学校の卒業アルバムを探していました。
おどうぐばこの近くに積み上げられた山からそれを引っ張り出して、ページをめくって。

二クラスしかない小さな学校でしたから、手紙をくれた子らしき児童の写真はわりと簡単に見つかりました。卒業は二十年近くも前ですから、確信したわけではないですが。

彼女は佐山さんという、淡いピンク色のセーターを着たごく普通の女の子でした。
肩までの髪を二つに結び、カメラを見て微笑んでいます。

私はアルバムをまた頭からめくり直し、学校行事や授業風景の写真にも目を通しました。何枚か佐山さんが写っているスナップ写真を見つけましたが、どれも何の変哲もない写真としか思えませんでした。

アルバムの一番後ろの寄せ書きスペースも見ましたが、佐山さんからのメッセージはありませんでした。特別仲が良かったわけではないし、まぁそうだろうとは思いましたが。

佐山さんが小学校卒業後どこへ行ったのか、私は記憶していません。
中学の卒業アルバムも見てみましたが、佐山さんらしき人はいませんでした。私立を受験したか、転校したのかもしれません。


結局のところ、あの手紙は何だったのか、佐山さんが何者だったのかはわからずじまいに終わってしまいました。



ただ、最近奇妙な出来事がありました。
今になってこのことを書き留めようと思ったのは、それが理由です。


先月、親戚の結婚式に参加するために父の実家の九州を訪れたんです。
式の翌日も休みをとっていた私は、一人でレンタカーを借りて数年ぶりの九州を満喫しました。

一日観光を終えてレンタカー会社に戻り、車を返すために荷物をまとめて降りたときのことです。
後部座席の足元に、何かカードのようなものが落ちているのを見つけました。

途中の道の駅で買ったポストカードが落ちたのだろうか。
そう思いながら手を伸ばし、拾い上げたそれに目を落としたのですが。


それはポストカードではなく、一枚の写真でした。

今よりも画質の粗い、古いデジカメか何かで撮られたような写真で。


それは。


どこかの朽ちた民家のような建物の前で、
幼い私と佐山さんが並んで立っている写真でした。


そんな場所へ行った記憶も、そんな写真を撮った記憶ももちろんなくて。


裏返すと、ラメが入ったピンク色の、小学生の女の子が書くような丸っこい字で。


六年生を送る会


そう書いてありました。



気持ち悪くなって、私はそのまま写真をレンタカー会社のゴミ箱に突っ込みました。


実家に戻ってすぐに、念のためとってあったあの手紙も処分しました。

ついでにもう一度小学校の卒業アルバムを確認しようとしたのですが、なぜかどこにも見つかりません。


掃除中に誤って処分してしまったのだろうということにしています。





※記事トップの画像は画像生成AI「Stable Diffusion」を使って生成した写真に筆者の責任で手を加えたものです。
上手く似せることができたと思います。



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