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日記1/8 ラジオ・モンテーニュの悲劇

radicoを聞いてたら
モンテーニュの名前が流れてきた。
モンテスキューだったかもしれない。

しかしNoteを始めた私には
哲学者モンテーニュにしか聞こえなかった。

読者よ、これはうそいつわりのない真正直な書物です。
何よりも先にまず申上げておきますが、わたしはこの本を書くに当って、自分のこと私のことよりほかには何も目ざしはしませんでした。

モンテーニュ『エセー』

モンテーニュはエッセーの始祖だ。
ともすれば、Noteの起源とも言える。

1580年
非常勤の法官37歳は
107の随筆を纏めた本に
『エセー(試み)』と名付けた


読者に読まれるためでなく
少人数の知り合いと自身
それだけのために書いたと
序文で断言する

短文を用いて
時に古典をこれでもかと引用し
特にセネカ好きだからと300回以上引用し
赤裸々に書いたかと思えば
紳士らしさを捨てきれず
矛盾を抱えた人間らしさも溢れ出す

鮮やかなブラックジョークが冴え
加筆しすぎて曖昧な文章も生まれ
後年心情が変わって書き換えては

後世でも名作と称されるし
当時からも駄作と評される

パスカルは「パンセ」で「考える葦」を植えながら
エセーを「愚かな企て」と非難する

シオランは絶望を哲学しながら
「ドイツの悲劇は、ひとりのモンテーニュをもてなかったことだ。」と言う


女性周りも書きすぎて
猥褻だと禁書目録入りしたのも

現代の教科書では近代哲学でいう
「自我の目覚め」によるものとして
自由なエッセイだとして評価された

(青空文庫で読めるのでオススメです)

いっぽう私も
大勢に受ける文体やネタ
そういった基本を守るのが
評価されるNoteの鉄則だが

いかんせん私のNoteは
日記とエッセーの合いの子だ
アイ(私)の子ならば自由奔放に育って欲しい
1月も経たない日記だが愛着だって湧いてきた

なので、モンテーニュが自我を出し
うるさいくらいセネカを引用したように
過去の文学名著の威を借りて
私の日々の記録を彩らせてもらおう。

ですから読者よ、わたし自らがこの本の内容なのです。
こんなつまらない主題のために大切なお時間をつぶされるのはほんとうにばかげていますよ。
では、さようなら。

セネカ『エセー』読者に

とはいえ引用は難しい。
丁度共感した文章を切り取りたいのだが
自我が強く赤裸々なエセーでは上手くいかず
Noteの記事に載せるには大間違いで悲劇を生む…

読者の皆様、
ここまで読んで下さりありがとうございます。
では、さようなら。

引用、参考文献


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