見出し画像

奇妙な話:昆虫採集の記憶

 私の父親は経済不況の煽りを食らうまで、町の小さな居酒屋を経営していた。父は腕の良い料理人だったので、バブル経済が弾けるまでは相応の収入を得ていたらしい。とはいえ、飲食店の経営はそれなりに大変だったようである。明け方近くまで帰ってこないことも多かった。

 それでも、父は父なりに考えがあったのだろう。ある晩、ふらりと帰ってきて、寝ている私の肩をゆすぶり言ったことがある。「カブトムシを取りに行こう」と。無論、幼少の私は歓喜して父親に縋りつくようにして後ろを着いて行く。寝静まった町を自転車で疾走する時の胸の高鳴りを今でも忘れてはいない。

 ある晩、父と一緒に寺の裏手にある雑木林で虫取りをした記憶がある。今では信じられないことだが、その頃は何事に大らかな時代であった。墓地を抜けて生垣を乗り越えると、鬱蒼とした雑木林に入ることができた。立っているだけでもカブトムシやクワガタムシが懐中電灯の光に向かって飛んでくる。そういう時代が確かにあった。

 父の目標はオオクワガタを採集する事であった。「黒いダイヤ」と呼ばれて高額で取引される時代だ。一攫千金を狙っていたというよりは、単純に飼育に憧れていたのだろう。父は貧しい家柄に育ったこともあり、遊びに対しては貪婪だったようにも思える。「この藪の向こうにいそうな気がする」と言って、灌木の茂る藪に向かって、ズンズンと這いつくばりながら進んで行く。無論、私は置いてきぼりを食らう羽目になったわけだが、懐中電灯の光がチラチラと見えたこともあり、さほど怖がることもなく、しゃがんで大人しくしていた。

 随分と遠き昔の記憶であるから、確かなことは言えないが、草いきれでムッとするような明け方の時分であった気がする。朝の勤行のためか坊主が誦経する音が遠くで聞こえていた。別に自分の胆力を自慢するわけではないが、ちょっとも怖くはなかった。ただ、子どもの私よりも夢中になって昆虫を追いかける父の後ろ姿を見るのに飽きていたのだろう。「早く帰りたいなぁ」と考えていたことだけは妙に明確に覚えている。ちょうどその時である。

「坊や、何をしているの?」

と不意に背後から尋ねる者が現れた。私は振り返ることなく、父親が藪の中でクワガタムシの幼虫がいそうな朽ち木を探している旨を伝えた。声の主が女性であったか、男性であったかは判然としない。ただ、不思議に柔らかい印象を感じさせる声だったことだけは覚えている。だからだろう、「おそらく、このお寺のお坊さんだろう」くらいにしか私は考えていなかった。

 背後に立つ正体不明の大人は何も言わずに、私のことを見下ろしていたような気がする。結局、私は父が沢山の葉っぱを服に引っ付けて、ノロノロと藪から這い出てくるまで一回も振り返ることはなかった。直ぐにでも、大人同士の儀礼的な挨拶でも交わされるのだろうと考えていたが、それが行われることは遂になかった。私の背後には誰もいなかったからだ。

「不思議なこともあるものだ」と考えながらも、自転車に跨って家路に就いた。オオクワガタは採れなかったけれど、立派なカブトムシやノコギリクワガタを虫かごに入れて家に到着すると、早速、私は墓所で誰かに声を掛けられた事を母親に報告した。父がこっぴどく叱られたことは言うまでもない。これもまた、奇妙な話である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?