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奇妙な話:序

 ホラー小説を書くようになってから、三年ほど経とうとしている。些細な出来事をきっかけに百物語を書こうと思い立ち、そのままズルズルと怖い話を集め続けている。とはいえ、そもそも純文学を中心に書いていたこともあり、いまだに恐怖に対する感覚は鈍いままだ。そう――、私は致命的なまでに恐怖に対して「鈍感」なのである。

 私の家系は霊感が強い一族であるらしい。特に父方の親族には、「そういうものが見える」という者が多い。ここで言葉を濁してしまうのが悪い所である。はっきりと「幽霊が見える」と言えばいいのに、何となく抵抗を覚えてしまう。お察しの通り、私は相当に疑い深い人間である。だから、霊魂や怪異といった不思議をスルリと飲み込むことができない。全く、ホラー小説を書いているのに可笑しな話である。

 しかし、だからと言って親族を軽蔑しているわけではない。ただ、何となく浮いている感じがする。地に足が付いていない感じがする。これも可笑しな話であるが、「そういうものが見える」という親戚の方がしっかりとした暮らしを送っている。超自然的な存在を知覚できる者の方が現実的な生活を営んでいるのだ。彼らは驚くほどにリアリストだ。少なくとも、ロマンを追い求めて小説を書き続けている私を生暖かい目で見守る程度には――。

 だからなのだろう。彼らの語る怪談は相当に怖い。まるで、世間話をするかのような気軽さで、ギョッとするような話を始めるのだ。その日の天気の話をするかのようにさり気なく怪談を語るのだから堪らない。「そんな話は信じられないし、そういうものが見えたことがない」と私は言う。しかし、彼らは言う。

「それは見えていないと思い込んでいるだけでしょ。私達からすれば、歩道ですれ違っただけの他人が、本当に実存していると信じられている方が不思議だよ」と。

 そうなのだろうか。言われてみれば確かにそうであるような気もする。道ですれ違っただけの人間を取っ掴まえて質問するわけにもいかないし、そんなことを実践する勇気もない。自分がいかに不確かな感覚を頼りに生きているかが分かる。つくづく、彼らの現実的思考に感心してしまう。

 そう思えば、「あれ、奇妙だな?」と思うような光景や風景を見たことがある。ただ、深く追及しようとはしない。不吉な感じがするからだ。まじまじと直視してしまうのが憚られるような感じがするのだ。視界の端で捉えるだけに留まった方が良いと思ってしまうのだ。

 すると、自分は「鈍感」であろうとしているだけなのかもしれない。思い返せば、奇妙な出来事だらけの人生を歩んできた。あれも、これも、よく考えてみれば不合理な出来事だったに違いない。そういう、奇妙な話をつらつらと書き綴ってみようと思う。あれは、何だったのだろうか――という話が大分ある。よろしかったら、お付き合いしていただきたい。

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