見出し画像

奇妙な話:腕

 これは友人のS君から聞いたお話です。私達が中学生だったころの話題ですから、二十年近く以前の出来事になるのでしょう――懐かしいことこの上ありません。こういった奇妙な話は時間が経てば、「なんてないことだった」と解釈されるものですが、今になっても皆目見当もつかない不可思議な体験談の一つだったりします。

 S君の家はとある小学校の裏山の頂上にあり、中々の景観を誇る場所に建っているのですが、好んで近寄ろうという同級生はあまりいませんでした。というのも、S君の家の前には墓所が広がっており、ただでさえ、足を運ぶのに苦労する上に、どこか曰くありげな雰囲気が漂っていたからです。
 何でも、S君の話によると、本来なら小学校の隣に持ち家があったようなのですが、幹線道路が開通されたことによって住居を移動させられたとか――。無論、子どもの間で交わされたお話なので、どこまで正確な情報なのかは分かりません。仮にS君の言う通りだったとしても、ある程度の損得勘定がなされた上での住居移動だったには違いありません。

 私はS君とは特に懇意の仲だったので、彼の家が裏山の山頂にあろうが、墓所の前に建っていようが、あまり気にせずに立ち寄っては雑談に興じたりしておりました。実際、あの辺りは人気も疎らで大声で歓談するには理想的な場所でもあったのです。が、S君はこの新しい家に馴染めないらしく、死者の眠る墓所に一定の敬意を払ってはおりましたが、言葉の端々から何とも言えない薄気味悪さを感じていることは窺えました。――このお話はそんな折に打ち明けられたものです。

「夜中に目を覚ますとさ、壁に腕が生えてるんだよ」

 S君は墓所をちらりと見た後に俯きながら言いました。あまりに唐突は話だったので、私は「ハア?」と間の抜けた返事をしてしまったことを覚えています。その反応が彼の羞恥心を煽ってしまったことは言うまでもありません。S君は歯切れの良い物言いをする生徒として有名でしたが、途端に口をもごもごとさせて、要領を得ないことを訥々と語り始めました。

「だからさ、ふと夜中に目が覚めることってあるじゃん。いつもベッドで寝ているんだけど、仰向けで横になっている時に目を覚ますとさ、壁からにょっきりと腕が生えているのが見えるんだよ。こう――カーテンを掻き分けるような感じでにょっきりとさ」

 その時、私は友人の打ち明け話を本気で聴き入れようとしませんでした。が、S君は真剣に話していたのでしょう。口ごもりながらも話を止めようとしません。彼は殊更には言いませんでしたが、墓所の方を気にしているのは明らかでした。供養された仏様が衆生に悪戯をするはずはない、とは思っているものの因果関係を見出さずにはいられなかったのでしょう。

「ある晩、さすがに夢だと思って触ってみたんだよ――その腕にさ」

 S君は信心深い性格をした子どもでしたから、その行動に至るまでに相当に葛藤したことだと思います。きっと、このまま悪夢を見続けるくらいなら、罰が下った方が幾分かましだと考えたのでしょう。私は彼の苦悩を思いやってあげられるほど敏い子どもではありませんでした。「それで、どうだったの?」と好奇心を優先するばかりでまるで役に立ちません。

「うん、もの凄く冷たかった。ああいうのを血が通っていないって言うんだろうな――そのまま気を失っちゃったよ」

 その後、S君が「腕」に纏わる奇妙な話をすることはありませんでした。もしかしたら、彼は単なる悪夢を続けて見ただけなのかもしれません。ですが、この歳になってもはっきりとした解釈を下すことができないままでいます。S君は珍しい程に誠実な人柄をしており、場を盛り上げるために嘘を言うような人間ではありません。

 ところで、小説のネタになる出来事が起きないかと考えて、最近になってS君の家の前を通り掛かったことがあります。その時に気が付いたのですが、S君の部屋は墓所に足を向けて寝るような間取りになっていました。墓所に漂う幽霊が、S君の習慣を咎めて現れたとも考えられますが、詳しいことは何一つ分かりません。
 今でもS君は墓所の前に建てられた住居に両親と共に暮らしております。「その後、腕はどうなったの?」とは怖くて訊ねられません。あの腕は何のために現れて、何を伝えようとしていたのでしょうか。これもまた、奇妙なお話の一つなのでしょう――。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?