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奇妙な話:落下する幽霊

 これは月並みなお話かもしれないが、自殺した人の霊魂は土地に縛られるという。また、その幽霊は延々と自殺を繰り返すことになるようだ。俄かには信じがたいが、私の親戚の多くはこの説を支持していたりする。というのも、彼らのほとんどが「落下を繰り返す幽霊」を見ているかららしい。

 祖母が暮らしている団地の近くに有名な心霊スポットがある。一見すると変哲のないマンションなのだが、「あそこには行かない方がいい」と親戚の者たちは口を揃えて言う。「剣呑な幽霊が出るからか?」と質問すると、現れる幽霊そのものは無害であるらしい。危険がないなら問題ないではないか――と考えていたら、見透かされたように忠告された。

「あんたは特に行かない方がいいよ。地縛霊の全てが悪意を持っているわけじゃないんだ。だけど、ああいう類の幽霊は見ていると気が滅入ってくるからね。感受性が豊かな人間ほど影響を受けやすいんだよなぁ」

 そこに現れる女性の幽霊はマンションの屋上から身を投げ出す行為を延々と繰り返しているという。飛び降りて、落下して、潰れる。そしてまた、飛び降りて、落下して、潰れる――という苦痛から免れることができない。地縛霊の多くはこういった苦しみの輪から逃れられないでいる……。

 マンションの屋上に寂しく佇み、やがて柵を越えて静かに身を乗り出す女性の姿を想像せずにはいられなかった。落ちる、落ちる、落ちる――という行為を繰り返す。下っ腹の辺りが寒くなるような感覚が伝わってくるようだった。「行かない方がいい」という意見が漸く飲み込めた。

 もう、随分と以前の話になるが仕事に苦悩していた時期が私にもある。周囲の誰にも相談できず、一時などは自殺を考えた事すらあった。将来に対する漠然とした不安が背中を焼く日々に疲れていたし、その傷痕はいまだに癒えていない。だが、「落下を繰り返す幽霊」を知ってから後、自ら死を選ぶことだけはやめようと思い直すことができた。

 ホラー小説を書いている身としては彼らに興味がないわけではない。しかし、苦悩の末に自ら死を選んだ人々の霊魂を徒に弄ぼうとは思えない。生きている人にとって、恐怖は娯楽にもなり得る話題ではある。怪談や奇談は一つの文化として語り継がれてきた歴史があることも確かだ。それでも、決して越えてはならない境界が存在する。彼岸と此岸の境を見定めることは困難だ。「落下を繰り返す幽霊」は、そういった心得を教えてくれたというわけになりそうだ……。

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