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不安に陥るのは簡単なこと

応募していた公募先が締め切りを迎えた。ということは、これから正式に書類審査が始まり、候補者には連絡が行き、落選者はやきもきする時間がやってくる。そんなに勝算は高くない。それでも、この時期にあの条件で飛び込める人がどれだけいるのかと考えると、出してみる価値くらいはあるかと判断して、自分なりに頑張って書類を用意して応募してみたわけだ。

もしかしたら、時期が時期だから、もう今日の内に候補者には連絡が行ったのかもしれない。もしかしたら、そんなことはなくて、丁寧に書類を今日から確認して、候補者を絞り込むのかもしれない。分からない。プロセスというものをまだ知らない私は、怯えていることしかできない。本当は早く解放されたい。専任とまで言えなくても、任期付きでも、常勤になりたい。ハードワークになったとしても、経済的な安定を、社会的な安定を、手に入れたい。それだけのことが、こんなに難しい。

私は一人で家族を経済的に支えている。妻、と呼ぶのは非公式な表現だが、同性のパートナーを一人で養っている。愛猫も一匹。病気知らずの親孝行娘だけど、きちんと大事にしなくてはと思っている。妻は働けない。精神疾患を抱えているのは二人とも同じだが、働ける状態なのは私だけだ。妻に障害年金が降りないか、今は社労士の先生とやり取りをしている。前向きに検討しているが、実際に受給できるかどうかは神のみぞ知る、だ。

上手く暮らしていきたいだけなんだ。いらぬ心配をせずに、穏やかに暮らしたいだけ。でも、それがどれほど贅沢な時代なんだろう、今は。家賃の安い公営住宅で、ひっそりと暮らしているだけなのが、とても贅沢なこの時代。川底はすぐそこなのに、足をつけては溺れてしまいそうだ。吸い込まれるように底へ沈みそうで、そこに安堵はなくて、どうにか浮いていようとばたばたと藻掻いている。不安に陥るのは簡単なことだ。本当に。

今日のこの記事は、本当はnoteで書くべき記事ではないのかもしれない。私には14歳から使い続けているプライベートなブログがあって、そっちに書いたほうがいいかもしれないような、鬱屈とした内容。でも、誰かの目に触れたらいいなとか、誰かが一声かけてくれるとか、誰かが助けてくれるとか、そこまで言わなくても、誰かに認識されることで不安に形を与えて砕くための一歩を進めたらと思いもして。そうして結局、ここに書いている。

不安とは、何とも不気味な存在だ。目に見えないのに質量を持って背中に乗ってくる。首に、頭に、圧も重みも感じる。こちらからは触れられないのに、向こうからは無遠慮に触れてくる。だから、私の持つ唯一の対抗策として、こうして言語化している。わずかにでも輪郭を与えて、打ち砕く可能性を生み出す。それは簡単なことではない。こっちは簡単なことではない。それでも。

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