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#8 こどもがテストで100点とったときに親がするべきことを考えた話

中学生までの私は「優秀」だった。約280人いる学年の中で、定期テストは3年間ずっと1位だった。あ、嘘です。一度だけ2位だったけど、それ以外はずっと1位だった。でも周囲にそれを自慢したことは一度もない。
「さくまるちゃんが1位なんでしょ?」
自分から公言したことはないのに、なぜか友達にそう聞かれた。答えは
「え?違うよ!」
の一択だった。自慢したいとも思わなかったし、すごいとも思われたくなかった。

勉強以外には、学級委員をはじめ、部長、最終的には生徒会長までやってしまった。別にやりたかったわけじゃない。なぜか周りの人に任されてしまったのだ。海外ホームステイのメンバーにも選んでもらえて初めて海外にも行った。運動もできたほうでスポーツテストでは3年間Aランクを取った。高校は誰もが名前を聞けば「優秀だね」と答える進学校に進学した。

高校でも同様の人生が待っていると思っていた。でも実際は違った。

入学後、最初のテストで大コケをしてしまう。順位は忘れたが、たしか約320人中160位くらいだったか。ずっと1位だった私の心にはずいぶんこたえた。特に数学がダメだった。入学前の宿題の段階ですでに数学につまずいてしまい、その後も苦手意識を引きずることになる。

体育の授業はどうだったか忘れたが、運動部に入った私は、2年生からはレギュラーに選んでもらえた。別に強豪校でもなんでもない、進学校の運動部だったから、目標は県ベスト16を掲げていながらも実際は2回戦勝てればいいほうの弱小チームだった。その中でも、自分より上手な人はいたのだが、キャプテンを任された。自分より上手なプライドの高い選手をまとめるのは困難で、大い悩み一時期体調を崩した。

上には上がいるものだ。高校でまざまざと肌で感じ、大きな挫折感を味わった。自慢したくないし、すごいと思われたくない。中学時代はそんな風にいつも思っていたのに、高校に行ったら本当にすごくない、ただの人になってしまった。

国立文系進学を目指すも入学当初から数学でつまずいてしまった私は、高3の夏に数ⅡBを捨てるという奇行に走り、最終的にはとある私立大学へ指定校推薦で入学することになる。実際、その当時の私の学力では、受験しても到底入ることができないレベルの大学だったため、推薦してもらえたのが奇跡だった。だけどこの奇跡ともいえる大学進学でさえ、私は挫折感を味わってしまう。部活の仲間たちが優秀すぎたためだ。同じ時間を共有してきた仲間たちは私よりも「優秀な」大学、「優秀な」学部へと進学した。

さて、身の上話はこの辺にしておいて、私が挫折感を感じた理由を考えてみた。それは「優秀かどうか」の物差し1つで自分を評価していたからだと思う。勉強における順位、偏差値、大学名、学部名、就職先等、だれもが聞いてわかるような「優秀さ」ばかりに気を取られて、そのせいで挫折を味わうことになる。

そんな私が挫折を克服したことに気付いたのは、本当につい最近のことだ。子育てを始めてからというもの、自分の人生を振り返り、良かった点、悪いと思った点を考えてみる。私は、はたから見ればおそらく順風満帆な人生を歩んでいる人になると思う。実際に、自分が挫折感でいっぱいの人生だったと打ち明けた人からは、
「その人生で?信じられない!」
と言われたこともある。確かに見ようによっては大失敗はしていない。だけど、もっともっと上の世界に行けたんじゃないか、そういう思いがぬぐえないでいた。

でもそれは、わかりやすい「優秀さ」の物差しで見た場合の話。それ以外に私は多くのものを得てきたことに気付いた。人間関係に恵まれたこと、社会に出てからは仲間や上司にたくさん助けてもらったこと、信頼できる夫と可愛いこどもたちとこうして暮らせていること。習い事や部活、友達と遊ぶ中で培った集中力や身体能力、コミュニケーション能力、計画性、工夫をこらすこと、チャレンジ精神など、実に様々なことを学び、実践し、身につけられてきたはずだ。そういった『目に見えづらい力』をガン無視して、勉強を始めとするわかりやすい物差しばかり使っていたから、挫折感をずっと感じていたのだと思う。

このことに高校生の私が気付いていたのなら、この歳まで挫折感を味わうことはなかったかもしれない。いや、もっと早く気づけよ、という話なのだが、大学に入ればここに女としての見た目での勝負も加わり、社会に出ればゴリゴリの競争社会で揉まれることになる。子育てをして初めて、自分は『目に見えない』良いところが多くある、ということに気付けたのだ。もちろんまったく完璧な人間ではないし、そもそも勉強もそこまでできた訳ではなかっただけの話でもあるのだけど。

こどもたちにはこの『目に見えない』自分の良い部分、特長、自信の持てる部分を育てていってほしいと思う。例えば、鉄棒が好き、料理が好き、人と話すのが好き、走るのが得意、絵を描くのが得意など、なんでもいい。ここでの大事なことは「自分の中で」ということ。人と比べなくていい。自分の中で鉄棒が得意だと思えば、人より下手でもいいのだ。物差しは人と比べるときに使うのではなく、自分の中で使う。これをやっているときは夢中になる、楽しい、ワクワクする、嫌なことを忘れられる、また頑張ろうと思える、そういうものを一つでも持っているだけで、他人からわかりやすい物差しをかざされ、落ち込みそうになったときに強力な武器になる。

そういった力は勉強をしているだけでは身につかないと思う。小さい頃の勉強以外の経験がものをいう。さらには、親の言葉がけがめちゃくちゃ重要だと思う。たとえテストで100点を取ってきても点数だけを褒めるのではなく、「毎日机に向えていたね。」「計画的に勉強できたね。」「間違えたところは繰り返しやり直していたね。」等そういった言葉をかけてあげるのが必要だと思う。結果だけでなくプロセス、姿勢を認めてあげるのだ。『目に見えない力』を付けてきたこどもにそういった言葉をかけてあげたい。

ここが親の頑張りどころな気がする。点数を褒めることは誰にでもできる。簡単だし、目に見えてわかりやすいし、点数を褒めればこどもが喜ぶのはわかるから。そして点数は勝手に人に伝わっていく。聞いた人もわかりやすく反応し、わかりやすく褒める。でも目に見えていない部分は、親こそが認めて大いに褒めてあげる部分だ。きっと私の親もそういう言葉がけをしてくれていたのだろう。でも他人や世間からのわかりやすい評価に、私が浮かれていたのだと思う。
小さいころからコツコツと。他人からわかりやすく評価される前に、自分のこどもにはそういった言葉をかけて自分のお守りにしてほしい。
そんなことを思ったのでここに記しておきたいと思います。


じゃあまたね!


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