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7月11日 100日後に完成する本 9日目 学校で探究する

・学校で探究する

探究と自然から、一度学校教育に進んでみます。『「学校」をつくり直す』という本があります。この本は苫野一徳さんという方が書いた本で、苫野さんの本は非常に面白いしわかりやすいのです。

本書はこれからの教育はどうあるべきかを述べている本です。
著者は「探究する力」をもとに学校を作り直していく必要があると述べています。その具体的な箇所について、わたしの経験を踏まえて4つのポイントで述べていきます。

1探究する力

この力(探究する力)を、子どもたちはどうすれば育めるでしょうか?言うまでもなく、それは子どもたち自身が、「自分(たち)なりの問いを立て、自分(たち)なりの仕方で、自分(たち)なりの答えにたどり着く」、そんな「探究」の経験をったぷり持つことによってです。その時教師は、子どもたちの「探究」をサポート、ガイドする、「共同探究者」「探究支援者」になる必要があります。「共同探究者」「探究支援者」としての教師は、どれだけAIが進化したとしても、あるいはAI時代においてはなおのこと、これからますます必要とされています。

『「学校」をつくり直す』より

探究する経験をたくさんすること。確かに、探究する力は探究しないと身につかないですよね。でも、子どもに経験させる前に、教師がどれだけ探究しているかということを考えてみたいのです。

探求することの楽しさを教師が実感していなければ、「共同探究者」になれないのではないでしょうか。これは非常に大きな問題だと感じております。

「学習指導要領」の内容を何も考えずにそのままにやることでは主体性はないですよね。やらなくてはいけないことの中に、どうおもしろさを見つけるか。指導者側がどうワクワクできるかが重要です。

そして、やるべきことをやりながら、子どもたちのやりたいことにも沿っていく。これは非常に大変なことです。しかし、子どもが主体的になるには、まずは大人が主体的になるべきであると考えます。

教師が子どもと同じように好奇心や遊び心を持って探究するためには、ファシリテーターよりもジェネレーターのような視点が不可欠だと感じていいます。ジェネレーター視点で「共同探究者」になることは、今後AIが発展しても重要なことだと考えています。

2失敗の重要性

「探究」の過程で、子どもたちはたくさん失敗をします。でもそれこそが「探究」の重要な意義でもあります。月並みですが、わたしたちは失敗からこそ最も多くを学び取るからです。(中略)一つには、親や教師がケガや失敗を恐れて、子どもたちに冒険をさせないこと。「あれをやっちゃダメ、これをやっちゃダメ」。そのため、好奇心が育たない。と言うより、むしろ好奇心が去勢されてしまう。

『「学校」をつくり直す』より

「好奇心が去勢される」これはとても怖い言葉ですね。でも子どもには「それはダメ」といいがちです。教師、いや人間は自分の価値観を相手に押し付けるようなところもありますよね。

火遊びとか、水をただ出しっぱなしにすることなどは、世間一般によくないこととされているので禁止しようとします。

ただ、穴を掘ることなど意味のないようなことなども、怒られはしないものの、冷ややかな目で見られる確率が高いです。何を無意味なことをしているのかと。

今は、コスパ・タイパの時代で、無駄なことや非効率なことが嫌われ、危ないこともコスパが悪いとされ、て当たり障りがない世の中になっていると感じます。

そんな中で、わたしたちは失敗をどれだけ許容できるでしょうか。コスパ思考が広がると、失敗することはコスパが悪いとなるので、色々なことにチャレンジする好奇心が去勢されてしまいます。

非効率や無駄、余白が遊びや好奇心に繋がってくるのにです。だからこそ、わたしは自分の身の回りから、失敗することの大切さを体現していきたい。わたしがたくさん失敗する。そして、その失敗からより良いものを作っていく。それが一見非効率に見えても。

3遊びと探究

「探究」とは、本来最高の「遊び」である。そう、わたしは改めて言いたいと思います。子どもたちの「遊び」を見れば、それは一目瞭然です。あの「遊び」が、高度の「探究」でなくて一体何でしょう。あの「探究」が、最高の「遊び」でなくて何なのでしょう。「遊び浸る」ことこそ、「学び浸る」こと、「探究する」ことの、本来最も強固な土台なのです。

『「学校」をつくり直す』より

本書の中にも、「遊び」の大切さが説かれています。わたしも、子どもの遊びから学ぶべきことはたくさんあるなと感じています。子どもたちがなんとなく始めた遊びの中に、社会性やコミュニケーションなど様々な要素が入っています。

遊ばないで勉強しなさい、という批判を避けるためには何ができるでしょうか。特に学校教育では、遊びよりも勉強という風潮が強いように感じます。「学力」の向上が第一の目的になっている今、「遊び」には何ができるでしょうか。

その答えが「探究する力」だと考えます。学校で身につける力が「学力」から「探究する力」へパラダイムシフトすることにより、「遊び」の必然性が高まると思います。
まずは自分から。私のテーマ「好奇心と遊び」を大切にしていきたいです。

4評価のあり方

子どもたちには、点数評価などを気にせずに、とにかくたっぷりと、自分自身のテーマに浸り、自分自身の問いにチャレンジしていってほしいと思います。そして評価は、子どもたちがこれまで何をどのように頑張ったか、これから何をどのように頑張っていくといいか、子どもたちを応援・支援する仕方でフィードバックする。フィードバックとしての評価。これが、「探究」(プロジェクト)における評価の原則と言えるだろうと思います。

『「学校」をつくり直す』より

「探究する力」の評価はどのようにするべきでしょうか。本書では、「子どもを支援するフィードバック」が原則とのことです。現在の学校では市販のペーパーテストを中心に数値での評価が一般的です。

数値評価の良さは、パッとみて一目でわかるということです。逆に言うと、わかりやすさを犠牲にして、子ども一人一人の持ち味を見えにくくしている側面もあると思います。

だが、これは現在の教育システム上は仕方ないことではあります。1学級35人の一人ひとりにフィードバックしていくのは至難の業です。わたしも、一度37人の担任をしたことがありますが、集団を見ながら一人ひとりを見ていくことは非常に難しいことでした。

そんなシステムなので、現在の数値評価はある程度は仕方ない感じはします。ただ、もっと数値評価の部分を簡略化して、探究のフィードバックによる評価を大切にしてもいいのではないかと思います。

本書にも、学習指導要領の内容を抑えつつ、カリキュラムマネジメントにより4割くらいは探究学習ができると述べています。まずは、学校教育に地道に少しずつ、探究の文化を根付かせていきたいですね。

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